先週の週刊現代はおもしろかった。ボキのようなジジイやババァのことを特集してくれた。つまり、老後の夫婦でどちらか死んだ後のことを書いてくれていた。さっそく買った。で、よく読んでみた。
妻が先に逝くか、ボキが先に逝くかはわからない。同時に逝くかも知れない。海外で飛行機に乗っていて。それはあり得る。覚悟して成田から出発するが。
問題は、ボキが遺されたら生きていけるかということである。とてもじゃないが、自信が無い。皿がどこにあるか、調味料はなにを使えばいいのか、着替えの服はどこにしまってあるのか、家計費はどうやって管理するのか・・・・・・・まったく歯が立たないだろう。
小型のノートを使って、メモしていきなさいと教えてくれていたのが、週刊現代。
ううううううううううううううううううううううううううむ。
勉強しなくちゃジジイの老後もやっていけないってぇもんだ。
(*_*) マイッタ
一番こたえたのが、「老後に孤独になることを想定せよ」という指摘だった。そりゃそうだ。友人知人は、遅かれ早かれ死んじまう。ボキだって人のことは言えない。いつ死ぬかは誰にもわからん。
だから、定年前の人間関係だけに絞って生きていると悲惨なことになる。あるいは、同級生達との人間関係ばかり追いかけていても話にならん。みんな死んじゃうからだ。ボキのように、「同級生の半分はイノシシ」という育ち方をしていると、そんな心配はないがねぇ(^_^)。
積極的に生きるべし。相手は誰でもよし。
歴史の会とか、いろんなチャレンジをしているけど、そういうことである。狭い殻に閉じこもっている必要もない。
一筋の道ということをワレワレ日本人はとても尊ぶ。それはそれでわかる。しかし、ボキはもう定年で退職した身である。もう関係ないではないか。転職しようにもオファーがない。あるわけない。
どうでもいいようなただのひねくれジジイである。立場というもんがない。今を生きる、今しか関心のないジジイである。
今日は、研究計画書をまとめる。全体構想はできた。これでもって、またまた生き甲斐が発生する。そんな程度のもんでしかないけど。
図書館も行ってこようっと。それと孫のところにも行ってみよう。昨日、臨時に孫を迎えに保育園まで行ったが、ホンマにかわいいから。これは実際ジジイにならないとわからないタノシミでありますがねぇ。
BYE-BYE!