全部捨てることが一番いいでっせ。世間体を捨てることが一番でっせ。マジに。近所になんと思われるかなんてぇことは捨てることでっせ。
昨日の文芸賞審査会で、ボキのことを紹介するのに「元****」とやられてしまった。がっかりした。ボキはもうそんな世界に生きていないからだ。しかも****の中にはボキが最後にクビになったガッコの名前まで入っていた。あんぐりとなっちまった。
ボキはただのジジイでしかない。ぼんくらジジイ。バイトはやっている。覚えきれないほどの。
でもそんなもんがなんになるかと思ってきたし、これからもそうだろう。それこそ息子のような上司に仕えているし、なんも恥じらうこともない。銭さえいただければ、それで結構。銭も払わないというのなら、ボキもそれなりの反撃はするからだ。そりゃそうだ。新聞配達までして、底辺をなめるように暮らしてきた苦学生である。やってみなさいよと言いたい。だから、ボキは、東京に行ったときにお世話になった新聞店を見に行ったりしているのだ。今度行ったら、ビールでも差し入れしようと思っているくらいだ。ボキのくら~~~~い青春があるからだ。あんなふうにして、よくまぁ最初のダイガクを卒業できたもんだった。
コロナよりひどかった。なにしろ共産革命のために命まで捨てて、反社会運動をしていたストライキ名人の大学生がいっぺぇいたのだったよん。あほらしい。あいつら、卒業したら見事に転向していったからなぁ。公務員とかせんこーになったのもいくらでもいたのではないのかと思っている。こっちは、その日暮らしである。新聞を配ってこないと、その日の晩飯にもありつけなかったのだから。そんなガキどもには腹も立たなかったが、神田川とか歌っていたアホな抒情だけは許せなかったよん。なにしろボキには恋人もひとりもいなかったからで。もっともこの面ではなぁ。できるわけがない。
一人新聞店の二段ベッドの中でドストエフスキーを読む日々だったよん。だから白内障になっちまったのだ。二段ベッドが書斎だったしねぇ。世界のありとあらゆる文学作品を読んでいたからだ。
それで古希になるまで、飯を食ってきたのだから感謝であるけど。
ともかく全部捨てちまうつもりである。
家人だけは大切にしていくけど。
わははっはははっはっはっはははっはははっはははっは。