課題意識というのはなにかということを考えることがある。
課題というのがあって、それに応えるように生きるということ、働くということが大体の進み具合であろう。出世が目標ならば、それなりの活動をしたりしなくちゃアカンだろうからなぁ。学歴もそれに見合うだけのものを準備しなくちゃならないだろうけど。
でもそれだけが目的だとなると課題というのは善し悪しである。男は成果だけで人生を完遂できるものではないからだ。
よくいるではないか。
男は稼いでなんぼの価値だというやつが。その点では、ボキは失格である。稼ぎもできなかったし、価値のある人生を送ったわけでもない。学歴もちょ~~~お粗末である。
やはり毎日の日々の送り方が大事である。家庭にへばりついているだけではなく、日々を楽しく生きているかということである。家人を大事にして、子々孫々繁栄して生きていけばよし。マジにそう思っている。
コロナもしょうがないが、これもようやく解決の道が見えてきた。ワクチンがきいてくるだろうから。
問題は課題に殴り飛ばされないこったよん。それが唯一の価値ある生き方と勘違いしちゃうと、みじめになっちまう。
人間はどうせ死んじまうのである。だったら、一つの価値とか課題だけに縛られていると死んでも死にきれない。後悔だけはしたくないものだ。
そう思いません?
ボキなら、そういう死に方はしたくないからだ。営業だって、いつまでもやっていられるわけではないからだ。
ま、今までやってきた仕事の繰り返しだから、気楽なもんなのだが。
それもこれも恨みっこなしであるしなぁ。
(ToT)/~~~