うどん★大作戦 blog

うどん好き人の日記。岡山・讃岐のうまいうどん屋を食べ歩き、いつかうどんやを開きたいな~♪

金毘羅往来(第7話)

2007-02-18 21:58:05 | ◇岡山観光学習

腹ごしらえもすみ、「早島町中央公民館」に移設されている「道標」の確認にへ向かう。
敷地内にひっそりと建っていた「道標」は想像よりでかかった。
これはさっき通ってきた松尾坂の「金毘羅灯篭」の近くの県道妹尾倉敷線、早島駅前交差点に
あったものということで、正面に「吉備津 にわせゑき 三谷 高松いなり なつかわ 矢尾」 
東面に「右 金刀ひら 田之口 茶屋町 由加山 下むら 阿まき」
西面に「西市 おか山 みし満 大坂 宗忠神 せのを」と彫られている。


ということは、現在の向きとは180度反転して建っていたことになり交差点の北側にあったことになる。
庭瀬からのルートも気になるが先の「戸川家記念館」のガイドさんからもルートの詳細を
聞くことはできなかった。後に解明してみたいと思う。

話を「戸川家記念館」を戻して、「いかしの舎」の三叉路を西へ、少し進むと「小浜の樋」という信号のない交差点を左折し南下する。
200m先の交差点左に「道標」(明治30年4月)その奥「荒神社」の境内が見えてくる。

何年か前までは境内のすぐ横まで港が広がっていて確か10m位あったと思う。道は狭く、対面通行するのに苦労したよなぁ。
「荒神社」の前に立つと、左手に「金毘羅燈篭」 右手に「道標」がある。

「道標」があり「左 金毘羅 由加 田の口 茶屋町」(明治38年日露交戦記念建立)
以前は「荒神社」の川向こうのポンプ場のあたりに建っていたらしい。
この地の「金毘羅灯篭」(文化年)は、先の松尾坂の「金毘羅灯篭」と近い時期のものである。
「荒神社」付近は、舟本と呼ばれ港であったと容易に想像できる地名だ。い草を加工した畳表などが積み出され、
汐入川を何艘もの帆掛け舟が出入りしていて相当の賑わいがあったとのこと。
早島=い草と全国的な知名度を誇ったのも干拓後、塩分の多い土地で栽培が可能だった“綿”その後“い草”と移行するわけで、
かつての旅人も賑わいのある町とともにこの光景を見ながら歩いたであろう。
「荒神社」から汐入川沿いの土手を進むと左右に田園風景。道のずっと先には児島の山々が見える。
目を瞑れば干拓間もない土地の向こうに広がる広大な児島湾が見えてくるようだ。
数百メートル進むと三軒地の三叉路が現れる。
ここにも「道標」があり「右 由伽山 志毛つい 志もむら 道」「左 吉備津宮 にわせ おか山 道」とある。

しばらく南下すれば茶屋町に入る。

コメント
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