ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

170806 武蔵寺写経浄行会にでかける。写経をしつつ想うこと

2017年08月06日 | アフターセブンティ

 武蔵寺の写経会にでかけた。写経道場には前回の反省もこめて30分前に到着。写経観念文を意識しながら心静かに墨をする、さらには一字一字、仏さまを彫るがごとく、気持ちをこめて写経をする、いや、させていただくという余裕をもった行動と謙虚な姿勢が必要。

 

 さて、諸悪の根源、不平不満の根源は人間のもつこだわりや執着心、思い込みから発する。「苦の元は多欲であり、生死の疲労は貪欲より起こる。小欲にして無為なれば心身自在なりと覚知せよ」と釈尊がおっしゃっていると前回も述べた。写経をする人を浄行者というらしいが結局はこの原理原則を体得すべく、日々努力しているということになるのだろう。

 お陰さまで世間のしがらみからいくばくか解放され、妻との二人だけの年金生活者となった今、だいぶ執着する心がおさえられ平穏な日々をおくることができているのはこの写経会のおかげかもしれない。

 

 しかしながら思うに、「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが年収200万未満のいわゆる貧困世帯の大人や子供たちが「小欲にして無為なれば心身自在なり」と達観できるかといえばなかなか難しいのではないか。食欲、性欲、金欲、名誉欲が氾濫する貪欲テレビ社会においてその害毒におかされず生きてゆくには、正しい考え方をもつための各人の学びが求められる。写経がほんとに必要なのは生きんがため、食わんがために日夜奮闘している彼ら現役世代ではなかろうか。

  

 ご住職の法話の後いただく昼食での食前の言葉や食後の言葉がごくごく普段の生活に定着させることができたなら飽食による現代病も減るだろうし、医療費削減にもつながるだろうに日夜テレビコマーシャルで飽食をすすめられ、胃腸薬をすすめられるこの矛盾一杯の世の中、経済最優先という今の政治の目指すのは一体どのような世の中なのか、清浄の姿はこの写経浄行会の場にしかないのだろうか

 こんな恨み節を言って妻の不興を買っている72歳の私である

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