ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

2008年1月伊勢・松阪の旅もくじ

2008-01-15 04:39:16 | 遠出(国内)
2008年1月13日~14日、伊勢・松阪に行きました。









 
  


  


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松阪と言えば

2008-01-15 01:28:21 | 遠出(国内)
もちろん、松阪牛
ここまで来て食べないで帰る法はありません。

「牛銀」では行列を見て退散したので、松阪市役所前の和風レストラン「翠松閣」で網焼き牛をいただきました。

ここは松阪では名だたる「和田金」の直営店、和田金肉を手頃な値段で食べられる所と駅前の観光案内所で教えてもらいました。

と言っても、やはりお値段はかなりのもの。薄ーい牛肉5切れと野菜を焼いて、ごはんと赤だし、牛肉のしぐれ煮がついて4千円台です。

しかあーーーーしっ!
このお肉がトロットロ!!!
お箸でつまもうとするともう形が崩れそうに柔らかくて、口の中に入れるとジュワーーーと溶けてしまいそう、このおいしさを体験するともう他の牛肉は食べられないような気がするお味でした。ご馳走様でしたあ!
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松阪の近代建築-旧松阪水力電気本社

2008-01-15 01:27:08 | 建物(三重県)
御城番屋敷から歩いて15分程の松阪市白粉町にある旧松阪水力電気本社は1913(大正2)年の建物
現在は松阪地区医師会館として、検診などに使われているようです。



住宅街の中に堂々と立っている風格のある建物。立派に第二の役割を果たしてくれているようです。
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松阪の近代建築-旧三重県立工業学校製図室

2008-01-15 01:25:59 | 建物(三重県)
御城番屋敷のすぐ隣にある松阪工業高校の中に赤いベンガラ塗りの建物が目をひいています。

県下初の工業学校の製図室として1908(明治41)年に建てられました。
木の骨組みが見えるハーフティンバー風の建物です。

今も現役で使われているようです。
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城のある町:松阪

2008-01-15 01:24:24 | 遠出(国内)
蒲生氏郷が築いた松阪城、今は石垣だけが残っているけれど、立派なものです。

もう少し行くと松阪市立歴史民俗資料館があって、これは1912(明治45)年に飯南郡図書館として建てられた木造の和風建築で登録有形文化財になっているもの。時間がなくて見れなかったのが残念です。

お城の裏門から続く殿町に石畳の道の両側に「御城番(ごじょうばん)」と呼ばれる武家屋敷が並んでいます。
城の警護を任された紀州藩士のために1863(文久3)年に建てられたもので、明治維新後も住民士族が士族授産で得た資産を元手に「苗秀社」という合資会社を設立して建物の維持管理を続けてきています。今も一部のお家には子孫の方達が住まれ、他は借家として貸し出されています。
「類例の少ない近世武士の長屋建築」として国の重要文化財に指定されています。

槙の木の生垣がきれいに刈り込まれていて、人通りもなくお家の中もひっそりとしています。
よそのお家を覗き込むのははばかられますが、

19軒あるうちの1軒は松阪市が借用して内部を創建当時の姿に復元、無料公開しています。
10時~16時公開、月曜休館。
松阪市がこのあたりの電柱・アンテナも撤去して景観整備事業を行っています。


一番お城寄りにあった土蔵は改修中でした。

御城番屋敷から少し離れた所でも、殿町辺りには生垣が多い静かな町並みが残っていて、城下町の風情が今も色濃く漂ってしっとりとした松阪の町でした。
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江戸豪商の町:松阪

2008-01-15 01:23:04 | 遠出(国内)
鳥羽から近鉄に乗って、伊勢を越え、松阪まで戻ってきました。

天正16年、蒲生氏郷が秀吉から12万石を与えられ、開いた松阪城。(氏郷は滋賀県日野の出身、後に会津若松藩主となった)その城下町には江戸時代のたたずまいそのままに残っているところがあちこちに見られます。

特に、魚町、本町、紺屋町のあたりは松阪商人達が暮らした豪商の町です。

魚町の通り。黒壁の土蔵は木綿問屋長谷川邸です。

魚町の中程にある本居宣長旧宅「鈴屋」跡。宣長が12歳から72歳まで暮らした住居跡で、旧宅はそのまま松阪城内にある本居宣長記念館横に移築されています。

宣長邸跡の向かいにある「見庵」は元医師のお家。今は「まどゐのやかた
」として「ご自由にお入りください、お休みください。」と町の案内や、くつろぎ・交流の場となっています。
この町で生まれた本居宣長、宇田荻邨などの関係資料が展示されています。

この辺りの家の特徴はうだつ(隣の家との境に突き出て火事の延焼を防ぐ)、霧返し(庇の下に設けられた雨除け)、虫籠窓、格子、犬矢来等にあります。

魚町にある松阪牛の専門店「牛銀」。
創業明治35年のレトロな木造二階建てのお店で、入ってみたかったけれど、行列ができていたので諦めました。


魚町の一筋北側は伊勢街道に面した通り本町。
三井家発祥の地の立派な門構え。三井グループの創始者三井高利はのちの三越である越後屋を江戸に開店、今では当たり前となった店頭販売や「現金掛け値なし」の商法を打ち出し財をなしました。

同じく本町通りにある豪商小津家跡は「松阪商人の館」として公開されています。
江戸で紙商や伊勢木綿の店を開業、現在でも小津グループとして発展しています。
日の丸が出してあるのは成人式の祝日だったから。


この辺りには他にも
こんなお店(のぼりのお店)や、

こんなお店や、

こんなお店(三味線屋さん)があって、なつかしい面影のただよう町でした。

もう一筋北側にある紺屋町(こやまち)は江戸時代初期、染物業が軒を連ねていて、その名残である「武者隠し」のまちなみが残っているそうでしたが、今回はそちらまでは周れませんでした。
「武者隠し」のまちなみとは、家がでこぼこに建っていて、道がこぎりのようにギザギザになっているので、敵が城下に侵入して来たときに味方の武士が隠れて防ぎやすいようになっているのだそうです。
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伊勢地方のまいもん

2008-01-15 01:21:37 | 遠出(国内)
伊勢方面で食べたおいしいもん。

先ずは、伊勢うどん。
太い麺と黒いたまり醤油が少しだけ入っています。これは答志島産のメカブ入り。

かき混ぜると真っ黒に。おいしいけれど、やはり少しからかったです。

コンサートの後の夕食は、伊勢市観光文化会館すぐ前の料理屋さんで、手こねずしを。魚をむしって醤油ダレで味付け、すし飯に混ぜて手でこねこねしたもんだそうです。
これもおいしかったです。ごちそう様
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英虞湾めぐり

2008-01-15 01:20:04 | 遠出(国内)
伊勢市で1泊した次の日は近鉄電車の終点、賢島まで。
近鉄の1月限定ゆめもうで割引きっぷは伊勢市から賢島まで特急券つき乗り降り自由のフリー区間もついているので、乗らない手はないと、賢島まで足を伸ばすことにしたのです。

賢島に着いたらそこはもう海、船で英虞湾一周するしかありません。
近鉄の割引切符を見せると、船の料金も割り引いてくれます。

風は冷たいけれど、この日京都では雪がちらついたとは思えないような暖かい日差しの海でした。

浮いている丸い浮きの下には真珠が養殖されています。

たくさんの小島の間をぬって船が進みます。
島影に棒が立って緑色になっている所は、青海苔の養殖をしているところです。

御木本幸吉が最初に真珠養殖を始めた島には、真珠御殿が建っています。

乗船場付近には真珠屋さんがいっぱい。
随分古そうなお店もありました。

海のものを焼いてくれるお店の前には、サザエ、アワビ、大アサリ、檜扇貝、カキ・・・おいしそうなものが生簀にごろごろ。

サザエの塩焼きを賞味しました。
こんな大きなサザエは見たことないなあ。
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伊勢市観光文化会館でコンサートを「見る」

2008-01-15 01:17:42 | 西本智実
伊勢市観光文化会館、近鉄宇治山田駅のすぐ前にあります。
ここで1月13日午後4時から開催されたコンサートは、

西本智実指揮、ロイヤルメトロポリタン管弦楽団のオール・チャイコフスキー・プログラム、ピアノ協奏曲第1番のピアノは赤松林太郎。

今回の旅のメインはこれでした
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神都の玄関「近鉄宇治山田駅」

2008-01-15 01:11:01 | 建物(三重県)

近鉄宇治山田駅説明文より、
『当駅は、伊勢神宮参宮の便を図るため、参宮急行電鉄(現在の近鉄)の終着駅として、昭和6年に建設されました。伊勢市の中心部に位置し、神都の玄関にふさわしい気品と風格を漂わせています。
設計は元鉄道省建築課長で蒲郡ホテル(元駅蒲郡プリンスホテル)などの設計者としても知られる故久野節氏です。
建物の外観は落ち着いたクリーム色のタイルが基調となっていて、平壁は2丁掛けスタイルです。
2階までの壁面には、神鏡を思わせるようなテラコッタ(陶器製の建築装飾)を張り、八角形の明り窓、飾り柱を配しています。また、3階壁頂部には赤いスペイン瓦をめぐらせ、軒回りも帯状にテラコッタを張りめぐらせ、スパニッシュ様式で仕上げられています。
文化的価値からも、現存する戦前の建築として専門家の評価は高く、昭和60年6月には「伊勢の建築二十傑」の第3位に、平成11年10月には「中部の駅百選」に選出され、平成13年11月には「国の登録有形文化財(建造物)」として、登録されました。』

両側に長く伸びているので入りきりません。
JR伊勢市駅の規模があまりに小さかったのに比べてここは格段のスケール、堂々とした立派な駅でした。








ホームから赤い瓦とテラコッタが見えました。

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神宮農業館

2008-01-15 01:09:22 | 建物(三重県)
徴古館のすぐ隣にある神宮農業館
これも設計は片山東熊で、珍しい木造建築で、明治38年築、国の登録有形文化財。

<自然の産物がいかに役立つか〉をテーマとする「日本最古の産業博物館」で、当時の農業の名は、農・林・水産・鉱業のすべてを包括したもので、明治時代の殖産興業をめざした様々な物が展示されていて、今では懐かしいものもたくさんありました。



建物の内部は天井板なしの吹き抜けで大きな梁の木組みが顕わになっている日本の伝統的手法で作られていましたが、細部の木の彫刻に西洋的なものも加味されているようでした。


その前にある神宮美術館は、1993(平成5)年に建てられ、遷宮が行われる20年ごとにその時代を代表する芸術家から奉納された絵画、書、彫刻、陶芸、染色などの作品を収蔵していく予定だそうです。が、中には入らずパス。

神宮徴古館前のバス停近くにあった門は何と、神宮文庫への門。
おおっ!これが名にし聞く神宮文庫への入り口なのですね。

この門は江戸時代に活躍した御師福島御塩焼大夫(おんし・ふくしまみさきだゆう)の屋敷のケヤキ造門(1780(安永9年)建設)を、昭和10年に移築したものです。伊勢市の文化財に指定され、「神宮文庫の黒門」の名で親しまれています。
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神宮徴古館

2008-01-15 01:08:08 | 建物(三重県)
外宮前からバスで約10分、静かな森の中にある神宮徴古館
明治20年代に日本で初めての私立博物館として財団法人神苑会により企画され、1909(明治42)年にルネッサンス式鉄筋コンクリート平屋建の建物が現在の位置に作られました。設計は片山東熊。
戦災で建物と収蔵品の大部分を焼失しましたが、昭和28年に二階部分が付け加えられて復旧されました。国の登録有形文化財です。

中には、伊勢神宮関係の神宝、御衣等の神様の持ち物、神宮関係の遺跡紹介、おかげ参りや御師の参宮資料、奉賛美術品等が展示されていて全部見てまわるのに大分時間がかかります。

建物の中も高い天井や、八角形の部屋等、片山東熊の宮廷建築の技法が現れていましたが、撮影禁止なもんで、残念ながら。




この一帯は、外宮辺りの騒々しさとはうって変わった静けさで、訪れる人もほんのわずかでした。
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伊勢河崎商人館

2008-01-15 01:06:44 | 遠出(国内)
江戸時代創業の酒問屋「小川酒店」は、町家2棟、蔵7棟の大規模な商家で、国の登録有形文化財に指定されています。川に面して蔵が3棟あり、道路を隔てて商店・住宅に続き内蔵を持つ河崎の代表的な建物です。

建物の寄贈を受けて伊勢市が敷地を買収、修復整備を行い、2002年に「伊勢河崎商人館」として開館、「伊勢河崎まちづくり衆」が管理運営を行っています。

河崎商人館の中心施設、母屋の入り口。
1892(明治25)年の建物です。

通り庭部分に帳場があります。

裏千家の茶室、吶々斎を模して造られたという茶室からの庭の眺め。

庭の奥にある洋館(上の写真では真ん中の石灯籠の右側)は大正13年のもので、応接間として使われていたらしく、暖炉がありました。

内蔵資料館の展示品から。
伊勢地方ではお正月のしめ縄を一年中飾っておくそうで、「千客万来」とか、「笑門」とか、「蘇民招来」と大きく書かれた見事なしめ縄です。

二階から向かいの蔵が眺められます。

川に面した3棟の蔵は、1867(慶応3)年から明治後期に建てられたもので、中はアンティークや手作り品のミニショップやミニギャラリー、貸しボックスショップやカフェになっています。


昭和初期にはサイダーも作っていたそうで、サイダーのろ過施設です。
登録文化財のプレートがついています。

酒工場の入り口か?

他にも、伊勢と河崎の歴史と文化を展示する「河崎まちなみ館」・イベント等を行う「河崎角吾座(かどござ)」・古文書や書籍の倉庫「河崎文庫」に使われている蔵やイベントをする石畳の広場など、昔のものが上手に修復活用されていました。

受付でもらった「河崎かわら版」によると、館の展示に皇學館大学の学生の博物館実習が充てられ注連縄の展示とかもされたとか、旭湯で親子で伊勢玩具を作ったりとか、「河崎井戸端会議」という催しで、河崎や勢田川で遊んだ話とか、昔の仕事や祭りの話など懐かしい話をしゃべる会が行われているそうです。市民が中心になってまちづくり運動が元気に行われている様子がわかって、とてもおもしろそうです。

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伊勢河崎のまちなみ散歩

2008-01-15 01:05:30 | 遠出(国内)
伊勢市駅から徒歩15分程のところにある河崎地区は、江戸時代の問屋街の街並みが今も残り、昔の伊勢の面影が色濃く残っているところです。


河崎は室町時代から周囲を水堀「環濠」で囲み、まちを守っていました。
勢田川の水運を利用して、戦国時代初期から本格的に町としての機能を整え、安土桃山時代に伊勢神宮周辺の経済の中心となり、江戸時代には参宮客でにぎわう門前町、宇治・山田に大量の生活物資を供給する伊勢の台所として栄えたところです。
また、舟で参宮に訪れる人々がひと息いれるところでもありました。



川に向かって蔵の入り口があり、舟からいきなり荷物の積み下ろしができるようになっています。

川に並行に走る通り沿いに切妻屋根の町家や蔵が並んでいます。






蔵を利用したワインバー。

美容室。

旅館「星出館」。


伊勢地方の民家の造りは「妻入り」様式が特徴、屋根の側面の山形になった面(妻)を入り口とする造りです。

昭和49年の水害を機に勢田川の改修事業が始まりましたが、それを発端として町並み保存運動が起こり、現在では「NPO法人伊勢河崎まちづくり衆」が行政と協同して歴史と文化を生かした市民主体のまちづくりに取り組んでいます。
つくりこんだ観光地でなく、生活感のあるそのままがいい、そんなまちを目指しておられるので、どこか懐かしくて安らげる町並みになっています。
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伊勢神宮に初詣

2008-01-15 01:02:48 | 遠出(国内)
1月13~14日に初めてお伊勢参りに行ってきました。

先ずは外宮(げぐう)から。
外宮は近鉄伊勢市駅から歩いて5分くらいのところにあります。

団体で参拝する人、家族連れ、若いカップルも・・、駅からみんな同じ方向にむかってぞろぞろぞろぞろ、あまりの人の多さにびっくり。
外宮から内宮に行くにはバスで20分くらいはかかるみたいで、バスの乗り場には長い行列ができて、乗るまでにだいぶかかりそう。道もものすごく渋滞しているそう。

外宮を見たことだし、内宮もどうせ同じようなものだろうと、内宮に行くのは諦めました。従って、おかげ横丁、おはらい町もパス。

駅から外宮までの参道にある風情のある建物に目を惹かれました。
菊一文字の刃物屋さん、伊勢神宮に奉納する刀を作ることから刃物屋さんも繁盛したようです。

三階建て三連の和風旅館。
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