さあ、いよいよ丹波篠山城です。

お城の手前の駐車場には昔の武家屋敷の門が残っていました。

お堀の向こうに篠山市役所があります。

お城の入口。

桜が満開の時期で、あちこちでお花見の弁当を広げる人々で賑わっていました。
篠山城は篠山盆地の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城です。
1609(慶長14)年に徳川家康が大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとするのを目的として築城を命じ、藤堂高虎が縄張りを担当し、池田輝政が普請総奉行を務め、15か国20の大名の助役、天下普請によりわずか6か月で完成しました。以来、松井松平家一代、藤井松平家二代、形原松平家五代、青山家六代の居城を経て明治を迎えました。明治以降取り壊しから免れた大書院が篠山尋常小学校、多紀郡公会堂として利用されてきましたが、1944(昭和19)年1月6日に失火により焼失してしまいました。戦後、城周辺は公園として整備がすすめられ、2000(平成12)年に二の丸大書院が復元されました。

図でお城の上側と左側に武家屋敷街が残り、下に伸びている地域には伝統的商家群の町並みが残っています。


お城の大書院に入って行きました。
入館料400円。

まだ畳の香りも真新しい大広間、狩野派絵師が描いた障壁画で飾られた上段の間です。

特殊紙製の鎧甲冑。着付体験もできます。

大書院を出て、南側から振り返って見たところ。

井戸がありました。

二の丸を通り抜けて、石垣を下り、

反対側のお堀を渡って、

石垣の向こうにあるのは篠山市立篠山小学校です。元は大書院にあった小学校が1910(明治43)年に三の丸東の地に移転したもので、木造の風格ある校舎群が今なお残っています。

堀の向こう側、武家屋敷街が残っている辺りには桜の木がたくさん植えられています。

江戸時代禄高170石だった小南家の長屋門で、奥に主屋も残っています。門は東部分は中間部屋、西部分は馬屋として使われていました。
2005(平成17)年に老朽化のため、解体復元修復されました。
2016年青春18春の旅(4)に続く。