ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

妙心寺でお茶会にふられる

2006-05-29 00:06:24 | ぶらり都めぐり
サントリー「伊右衛門」のお茶会が何回か催されていて、無料でお煎茶の会に参加できるというので、28日午後の部に出かけました。

ところが、整理券配布開始の1時に5分前に行ったところ、妙心寺退蔵院の前にはこの行列。

行列に並ぼうとすると、「定員になりましたので、申し訳ないですが」とお断りされてしまいました。(涙涙)

仕方がないので、妙心寺の本坊と大通院を参拝して帰りました。


多色の幟がつけられているところが法堂(はっとう)で1656(明暦2)年の再建。天井に狩野探幽筆の八方にらみ雲龍図が描かれています。
法堂の中に日本最古の鐘(698年)という国宝の鐘もありました。




浴室は1587(天正15)年に塔頭太嶺院(廃寺)の密宗和尚が明智光秀の菩提を弔うために創建したもので、明智風呂と呼ばれています。蒸し風呂、いわゆるサウナ形式で、4と9のつく日だけお風呂が沸かされたそうです。


次は山内一豊と千代のお墓がある大通院。大河ドラマにあわせて特別公開されていました。山内家とこのお寺の関係は、一人娘のよねさんが地震で亡くなった頃に、千代さんが拾って養子として育てた子供が成長して湘南国師となり、このお寺を再興して山内家の菩提寺にしたのだそうです。



門は額縁のように向う側の景色が見えるので「額門」と呼ばれています。また、参拝に来た殿様が馬に乗ったまま門をくぐれるように背が高く作られているので、「馬上門」とも言われています。




もみじの緑がすがすがしい参道を通って行くと、




一豊と千代が祀られている霊屋(おたまや)があります。




二つの供養塔の大きさが同じなのは当時としては珍しいと言われていますが、今日の解説の方は「千代さんの方がやや大きいように見えるのはまさにこの夫婦の力関係です」とまで言っておられました。




霊屋の横手の墓地に小さなお墓があって、千代が徳川勢の陣地にいる一豊に石田三成の動静を書いて送った密書を運んだという家来田中孫作の墓だということでした。




「伊右衛門」お茶会にはふられちゃったし、当然もっくんにもりえちゃんにも会えなかった。上川隆也と仲間由紀恵の写真で我慢しておこう。

そうだ、一豊の通称は「伊右衛門」って言うんだったなんのこっちゃ。

それから、このお寺の庭は江戸時代の「都林泉名勝図絵」にも出るくらいだったけれど、明治の廃仏毀釈で取り払われてしまって、石木が平安神宮に移されたそうです。




コウホネの花。




門前の溝に黄菖蒲がたくさん咲いていました。
コメント (8)
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