ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

2014年鳥取・島根の旅(3)松江観光

2014-01-05 01:46:33 | 遠出(国内)
足立美術館からシャトルバスで再び安来駅に帰ってきたのが、11:45。

安来駅からJRで約30分で松江駅へ。



松江駅で昼食後、駅前から「ぐるっと松江レイクライン」のレトロ風バスに乗って、松江市内観光に。

「ぐるっと松江レイクライン」は松江市内の主な観光地を巡回していて、1周約50分、昼間は20分毎に走っていて、1回の乗車200円、1日乗車券は500円です。松江出身の俳優佐野史郎さんの声で案内アナウンスがされています。



「大手前堀川遊覧船乗場」でバスを降りて、「ぐるっと松江堀川巡り」の船に乗船しました。
松江城の周りを取り囲むお堀を屋形舟で巡り、江戸時代の城下町の面影を残す水都松江の風情を楽しむことができます。
船がたくさんあるので、ほとんど待たなくても乗ることができました。







船頭さんが辺りの説明をしたり、歌を歌ってくれます。
向こうに見えるのが小泉八雲の旧邸や武家屋敷が並んでいる一帯です。




舟の中に炬燵があるので、冬でも暖かくて快適でした。




16も橋をくぐって進み、橋の高さが低い所では舟の屋根が折りたたまれて下がってくるので、炬燵の上に頭をつっぷしていないといけません。




堀川の両側の民家などでもできるだけ昔の風情を壊さないように気を使って住んでおられます。




舟を降りて、すぐ近くの松江城へ。

1611(慶長16)年堀尾吉晴が築城、堀尾氏、京極氏、松平氏の居城でした。
破風の形が千鳥が羽を広げたようで、「千鳥城」とも呼ばれています。



五層六階、国の重要文化財です。

明治8年、松江城諸建造物と三の丸御殿は民間に払い下げ、取り壊すことになりましたが、天守閣は出東村の勝部本右衛門、高城権八達が資金を調達し買い戻したので、取り壊しは中止、保存されることになり、今に残っています。




松平不昧公が培ったお茶文化のお膝元、松江は和菓子の宝庫です。
和菓子屋さんがごろごろ、その中の4店で和菓子とお茶をいただくことができるという特典がJRの「松江・出雲ぐるりんパス」についていました。
時間が足りなくて、残念ながら1店だけしか食べることができませんでした。

「ぐるっと松江レイクライン」、「ぐるっと松江堀川巡り」、松江城、水木しげる記念館、足立美術館の入場料もみんな特典に入っていて、お得でした。


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2014年鳥取・島根の旅(2)足立美術館

2014-01-05 01:45:35 | お庭
米子に泊まった翌朝、安来駅から足立美術館に行きました。


米子から安来まではJRでわずか7分ですが、鳥取県から島根県に入りました。

米子駅の現駅舎は2008(平成2008)年にできたものです。



観光交流プラザが駅と繋がっていて、安来市伯太町内の山林から切り出した杉、ヒノキなどを使った和風木造2階建ての建物でできています。
たたら製鉄で栄えた鉄鋼の町、港町で江戸時代からの旧家が並ぶ安来の町も見所が多そうでしたが、またいつかということで。



安来駅から足立美術館へ無料で行くシャトルバスがほぼ1時間に1本出ていて、20分で着くことができます。

地元出身の実業家・足立全康氏が収集した絵画を昭和45年より展示するとともに、まわりに広がる広大な日本庭園が、米国の日本庭園専門誌で11年連続庭園日本一に選ばれていることでも知られています。


苔庭。



枯山水庭。

背景の山が借景となっていて、高さ15メートルの人工の滝が勢いよく流れ落ちるのをはるかに見ることができました。




まだ年末に降った雪が残っていました。





白砂青松庭。




生の掛軸。
床の間の壁をくりぬいて、向こう側の庭園が一幅の掛軸が掛かっているように見えます。




池庭。



たしかに、いろいろな顔を持った広大な庭が、一つの塵もなく見事に掃き清められ広がっている様は、「庭園日本一」と言うこともできるでしょうが、いつも京都の狭い庭を見慣れている目で見ると、やっぱアメリカ人好みやなあと思ってしまいます。
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2014年鳥取・島根の旅(1)境港の町散策

2014-01-05 01:43:45 | 遠出(国内)
お正月に鳥取・島根の旅に行ってきました。
と言っても、行ったのは島根県がほとんどで、鳥取県は境港だけです。



新大阪から新幹線「みずほ」、岡山で特急「やくも」に乗り換えて2時間、



米子から境港まではJR境線で15駅、約40分。
電車の外も、



中も「ゲゲゲ」だらけです。



JR境港駅に隣接する「みなとさかい交流館」。
左側の灯台の形をしている所が境港駅です。



駅前広場の河童の三平・タヌキ・カッパ像。



街灯も「目玉おやじ」になっています。



駅から東へ伸びる「水木しげるロード」には、たくさんの妖怪のブロンズ像が並んでいます。







お正月なので、しめ縄が飾られています。















境港出身の漫画家水木しげるとその創り出した妖怪の世界が広がっています。




水木しげるさん(写真)と猫娘(着ぐるみ)と記念撮影。




近代建築の元銀行もゲゲゲモードになっています。
町の商店、神社、郵便局全てが水木しげるワールドで、観光客もたくさん来て賑わっていました。
「境港はゲゲゲの町」で、これ一本に絞った町おこしで成功しているようでした。



海岸通りには水木しげるの生家があり、その近くには魚や海の生き物のオブジェが家々の前に飾られている「おさかなロード」になっていました。



境台場公園に復元されている「境港灯台」。
1895(明治28)年に開設された木造六角洋式灯台で、高さ9.09m、約23kmの沖合まで光が届きました。対岸に突き出た半島にある美保関灯台より3年早く造られ、山陰最初の歴史的な灯台でした。昭和9年に消灯し、昭和40年に解体されましたが、平成3年に境港市の歴史と繁栄の象徴として元の地に復元されました。




お昼に食べた海鮮どんぶり。カニもたっぷりのっていました。



夜も米子の駅前で泊まり、近くの居酒屋でカニ三昧の御馳走を食べました。

カニの刺身に、


焼カニ、その他カニ・カニ・カニ・・・。


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2013年青春18冬の旅(4)和歌山市加太 淡嶋神社

2014-01-02 10:10:19 | 遠出(国内)
加太駅から歩いて約30分、海岸のすぐ側に淡嶋神社があります。


元は友ヶ島にあったと言われる淡嶋神社。ご祭神は少彦名命、大己貴命と神功皇后。
本殿は1585(天正13)年、豊臣秀吉の紀州征伐で全焼した後、浅野幸長が再建、紀州徳川家初代・徳川頼宣が修復、江戸時代末期に第十代・徳川治宝が造営したものです。
1979(昭和54)年には傷みが目立つようになった社殿を覆うような形で新社殿が造営されています。

年末からすでにお雛様が飾られていました。




そして、驚いたことは、

お堂の中にも、



外縁の下にも、



お雛様や日本人形がいっぱい!



さらに、庭には博多武士の人形やシーサーや、



木彫熊や信楽焼タヌキがぎっしり。
ものすごい数の人形や置物が供えられています。
人形の数は2万体ともいわれ、3月3日にはお雛様を舟に乗せて海に流す雛流しの神事が行われます。




社務所の横にはこんな巫女さん募集の看板もありました。
風光明媚、暖かな海の側での巫女さん体験はいかがでしょう。




赤い鳥居の参道横に3軒の茶店があり、



海産物のお土産や食事ができるようになっていました。



サザエの壷焼きをいただきました。


14:53に加太駅を出発して、和歌山市、和歌山、大阪と乗換えて、18:29に京都に帰ってきました。
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2013年青春18冬の旅(3)和歌山市加太 中村邸(旧加太警察署)

2014-01-02 01:21:25 | 建物(和歌山県)
加太駅から徒歩5分程のところに素敵な建物がありました。


中村邸。

1964(昭和39)年まで加太警察署として使われていました。
この地域は、昭和36年に和歌山市に合併されるまで加太町として町制を敷いており、かつては、深山・加太砲台、友ヶ島と大阪湾を守る重要な要塞地域でもあり、自由に出入りできないものの活気のある町でした。そのため警察署としての存在は大きく、建物も実に立派なものでした。300坪あまりの敷地には本館・取調室・留置場・道場・会議室・署長官舎など必要な物は全て揃っていたそうですが、現在は本館と署長室があった棟が残っています。



明治末期、もしくは大正初期の築。木造2階建。
設計者:松田茂樹
施工者:大彦組

下見板張りの外壁が特徴的で、警察署にしては、優しい雰囲気がします。




登録有形文化財に指定されています。




昭和38年頃に県の公示入札を通して中村清文氏が取得し、以来、住友金属が繁栄をなした時代には独身寮に、海水浴が大盛況だった時代には民宿に、と用途を変えながら今日まで大切に使い続けてこられています。
現在もきれいに外壁が塗りなおされ、大切に保存されている様子がわかりました。

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2013年青春18冬の旅(2)和歌山市加太の町

2014-01-01 01:43:25 | 遠出(国内)
加太駅の近くに地元の小学生が作った「加太淡嶋温泉てくてくマップ」が置いてあったので、これを参考にしてまわりました。

マップの説明によると、
「加太は、古くから瀬戸内海の入口・淡嶋街道賀太(かだ)駅として、淡路島・四国・九州への交通の要所でした。奈良時代からは役行者の修行の場となり、平安時代には弘法大師も訪れました。江戸時代には四国・九州の大名の参勤交代の道となり、紀伊国屋文左衛門が江戸へみかんを運ぶ船を出すなど、港町として栄えました。また、幕末には紀州藩出身の14代将軍徳川家茂が淡嶋神社を訪れ、勝海舟も加太の宿に泊まったと言われるそんな加太の町は歴史のある建物や史跡でいっぱいです。」
となっています。


暖かい日差しの中、加太駅からぶらぶら歩いてみました。

駅近くにお風呂屋さんがありました。



「温泉」とありますが、まだやっていなかったので、銭湯なのか温泉なのかはわかりませんでした。
海岸沿いの旅館・ホテルは加太淡島温泉の重曹泉で本当の温泉になっています。




淡嶋神社への道に沿って古い家が並んでいます。



その辻に立っていた道しるべです。
「右和可山道(わかやまみち)」「左あわしま道」「嘉永二年・・・」と彫られています。



その近くの常行寺。
大晦日には除夜の鐘を突けると言うので、昼間から住民の方がお参りに来ていました。


門の左手に大きなビャクシンの木があり、見事なジン(白く枯れた幹)があって風格のある巨木でした。和歌山県指定の天然記念物です。




海岸に出ると、穏やかな海が広がっていました。
海水浴場として有名で、夕日がきれいなスポットでもあります。




沖にある友ヶ島へ行く船が停泊していました。
友ヶ島には戦争中の砲台(土木学会選奨土木遺産)や明治5年築の灯台があるので、いつか行ってみたい所です。
船は3月~11月は1日4便(火水曜日は運休)、12月~2月は土日祝日のみ1日2便運航されていますが、欠航や臨時便もあるので、友ヶ島汽船(株)に問い合わせたほうがいいようです。



淡嶋神社入口前にある吾妻屋旧本館。登録有形文化財です。
1933(昭和8)年築、二階は柱がない百畳の大広間という大規模な和風旅館です。
昭和30年代には高松宮も宿泊し、昭和28年には山田五十鈴主演「唐人お吉」の撮影のために宿舎として利用されました。その後、森光子、司馬遼太郎、小磯良平などが宿泊、学生の合宿等にも使われましたが、現在は老朽化のため、別の場所で旅館業を行っているそうです。


この他、加太にはたくさんのお寺やお堂があり、細い路地に鄙びた漁師町が続いていて、なつかしさのあふれる町でした。

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2013年青春18冬の旅(1)南海電気鉄道加太駅

2014-01-01 00:33:28 | 建物(和歌山県)
年末に青春18切符を使って日帰り旅行に行きました。


9:14京都駅発、JR阪和線で和歌山駅へ、そこからJR紀勢線に乗換えて二つ目の駅、和歌山市駅に11:51に着きました。

JRと南海電鉄の駅を兼ねています。
南海電鉄3代目駅舎となるこの「南海和歌山ビル」は、1973(昭和48)年に竣工、地上7階・地下1階建です。銀行、飲食店街や百貨店タカシマヤが入っています。



和歌山駅が賑わっているのに対して、こちらの駅前はかなり人気が少なくて、駅舎は立派なのに寂しさを感じてしまいました。




和歌山市駅から出ている南海電気鉄道加太線に乗りました。
南海加太線は1912(明治45)年加太軽便鉄道として開通、1930(昭和5)年電化に伴って加太電気鉄道と改称、1942(昭和17)年南海鉄道に吸収合併され、加太線として運行を開始しました。

その昔京都から加太の海にはるばる海水浴に来た時に乗ったはずですが、ほとんど記憶にありません。


ワンマン電車です。



和歌山市駅から約25分、320円、8つ目の終着駅、加太駅です。12:47着。
1912(明治45)年6月に建てられた古い駅ですが、下見板張りでかわいい駅です。




加太軽便鉄道の開業以来、淡路・四国方面と本州を結ぶ加太港から、和歌山市への連絡輸送口として、軍需物資や兵員輸送にも利用されましたが、戦後は主に行楽地への玄関口として親しまれてきました。








ホームは二本ありますが、ほとんど一番ホームだけで乗り降りされています。


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