「どうして私は、まず動物たちとの生活のいやな面から筆をおこすのだろう?それはこのいやな面をどれくらいがまんできるかによって、その人がどれくらい動物を好いているかが、わかるからなのだ」
これは、動物行動学者コンラート・ローレンツの著書「ソロモンの指輪」の冒頭の文章です。この文章にしたがえば、私はそんなに動物を好いていないということになるのかもしれません。自分ではネコ好き、動物好きと思っていたのですが、そんなことを言ってられないほどのがまんできない動物のいやな面にさらされてしまったからです。
実家の飼いネコのことなのですが。去年の7月ごろ、実家の玄関前にいた生後1、2ヵ月くらいのオスネコとして保護されて、飼われています。だいぶヤンチャなネコでしたが、去年の夏や今年の2月ごろまでは私が訪問してもまだなんとか大丈夫でした。ところが今年の5月に行ったときには、いきなり右腕につかみかかって引っ掻かれて、着ていたシャツがボロボロになり、皮膚も引っ掻き傷で血まみれになり、夏になっても傷跡が残ったままです。最近は夜中になるとうなりながら2、3時間も徘徊を続けるということで、父が去勢させました。そして、8月に私が実家を訪問したら、やっぱり飛びかかってきて左手を引っ掻かれました。ネコの爪を切っておいてもらったのですが、それでも引っ掻き傷が残りました。危険なので、急遽ケージに収容してもらいました。私が近づくと、怒り狂って大きな怒声をあげています(上の写真)。こんな凶暴なネコになってしまうとは思いませんでした。
実家の家族によれば、家族にはこんな手出しをしたことがないと言います。それはそうでしょう。家族に手を出したら、追い出されてしまうことくらいはわかるのでしょう。ヤクザだって、身内に手を出したら、破門状が出されてこの世界では生きていけなくなってしまいます。
私もいろんなネコを見てきました(とは言っても10本の指におさまる程度ですが)。いつになっても人見知りするネコ、人たらしネコ、家の守り神のようだけど客人にも優しいネコ、ネコには絶対慣れないけど人の愛情が必要なネコ、神経質なネコ、人にもネコにもフラットなサバサバしたネコ、といろんな性格のネコがいましたが、ここまで攻撃的で排他的なネコは初めてです。
ネコには多様性があります。これだけいろんなタイプのネコがいるからこそ、人に飼われても、野良でも、この地球上でいろいろな環境に適応して繁栄してきたのだと思います。
そして思ったのは、育ちが影響しているだろうということ。飼いネコとして生まれたのなら、人に慣れ親しんでいるので、他人であってもそこまで攻撃的にはならないでしょう。一方、野良ネコとして過酷な環境で生まれたのなら、人は警戒すべき相手として反応するようになるのでしょう。生まれてから最初の時期は、周りの状況を感知しながら脳が最も可塑的に発達している時なので、環境によって性質が大きく変わってきそうです。
アビゲイル・タッカーの著書「猫はこうして地球を征服した」によれば、昔は、人類はネコの食糧だったそうです。ネコ科の動物たちは人類の祖先を洞窟に持ち込んだり、森のなかでガツガツ食べたり、内臓を抜いた死骸を巣穴に隠したりしていました。実際、ヒト属のものとされる世界最古の完全な形で残されていた頭蓋骨は、絶滅した巨大チーターのピクニック場のような洞窟だったらしいです。実家のネコには、そんな野生の血が濃く現れているのかもしれません。
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