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リュウタとの出会いのころを行動学的に考える

2018-10-21 11:35:07 | 猫・犬

昨年(2017年7月9日)亡くなった家のネコ「リュウタ」について、出会いのころを書き留めておこうと思いました。

妻と付き合い始めて、最初に今住んでいるこの家に来たとき、元々この家で妻に飼われていたオス・ネコ「リュウタ」はとても怖かったんです。私の周りをぐるぐる回って、足に噛みついてきました。かんだ跡がザックリ切れて出血しました。その後も私に向かってくるので、スリッパで蹴って防御しようとしていると、なんとかネコの攻撃はおさまりました。私を殺す気かと思いました。昔、人類の祖先はネコ科の動物によく殺されていたそうです。今ここにいるネコが仮にライオンくらいの大きさだったら私はきっと殺されていたことでしょう。なんで、このネコはこんな行動を取ったのでしょうか。まさか、私を食べる気じゃないでしょう。私はメス・ネコを飼っていたので、その匂いが私の身体に染みついていて、それを嗅いだこのオス・ネコは興奮してこうした行動を取ってしまったのかと思いました。

リュウタ。

このネコによる私への攻撃は、2回目に部屋に来た時にも繰り返されました。3回目に来た時、ネコは私の周りを威嚇するように回りましたが、攻撃まではしてきませんでした。じゃあ、私の飼っているメス・ネコ「シルバー」を連れてきたらどんな行動を取るのだろうと考え、引き合わせてみました。

シルバー。

そうしたら、「シルバー」に対してすごく優しいんです。「シルバー」はネコ慣れしていないので、「リュウタ」に対してシャーシャー威嚇したりパンチングしたりするのですが、リュウタはシルバーにいくら手荒くあしらわれてもけっして怒りません。とても紳士的なんです。ということは、私がこの家に来た時「リュウタ」が攻撃してきたのは、メス・ネコの匂いがしたからではなさそうです。

「リュウタ」は私に何度も会っているうちに、私に対する態度が変化してきました。私がここに住むようになったころには、むしろ友好的になってきて、喋ったり甘えたりしてくれるようになりました。多少手荒な扱いをしても、けっして怒ることなく、私の扱いを甘受しました。例えば、私がリビングルームで仰向けになって体を横にしていると、よく上に乗ってきて甘えてくれました。そのとき、ネコの背中をぎゅっと押すと、ウギャーと声を出すのですが、面白くてよくやっていたのです。きっとネコは痛かったでしょうが、怒らずにそのままじっと私のお腹の上でゴロゴロ言いながら乗ったままでいました。そんな感じで、とても仲のいいヒトとネコの関係が続きました。

人なつっこいリュウタ。

そして、晩年、亡くなる前には、夜、私の部屋にやってきて添い寝してくれたことは、以前ブログに書いた通りです。普段は私と一緒に寝たりするようなネコでありませんでした。その時のことは、最期のお別れのあいさつに来てくれたとしか考えられず、とても強烈な記憶として残っています。たかが動物、たかがネコとはいっても、人間と変わらない崇高な精神を持っていたのではないかと思いました。

ノーベル賞を取った動物行動学者のコンラート・ローレンツは著書「攻撃」の中で、動物の攻撃と友好性は同時に生まれたと書いています。今では、ホルモンの「オキシトシン」の作用としても説明できそうです。オキシトシン系は子育てをする母親で活性化されていて、子供を大切に養育するための原動力となっています。一方で、夫が子育てにあまり協力的でないと感じると、夫に対して攻撃的になるのもオキシトシンの作用だと言われています。また、オキシトシンは仲間通しの絆を強くする方向に作用しますが、部外者に対しては敵対的な感情を持つようになるとも言われています。このように、攻撃と友好性は、正反対の行動ですが、オキシトシンという一つの物質の作用でコントロールされている可能性があるのです。

「リュウタ」による、私に対する攻撃行動と親愛行動は、その時々の状況下でオキシトシンに影響されて行なった行動であって、矛盾はしていないと考えてもよさそうです。それにしても、亡くなる前の別れのあいさつ(と私が感じた行動)は、動物の行動としてどう説明できるのかは、いまだに思案中です。



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