エレイン・N・アーロンの「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」を読んで、なにか消化不良のような感じが残っていたのだが、岡田尊司氏のこの本を読むことで頭の中のモヤモヤは完全にスッキリした感じがした。それくらい私にとっては意味のあった本である。
この本は、まずアーロンの著書に対する科学的な考察から始まる。アーロンは敏感すぎる人をHSP(Highly Sensitive Person)と命名し、その著書が多くの人に読まれたことで、そういう人たちの存在が一般に認知されるようになったことは意味のあることである。しかし、このユング派の心理療法家の作ったこの用語やその概念は、精神医学や臨床心理学の専門家にはまったく相手にされてこなかった。その理由としては、一つには「敏感すぎる」という症状だけで一般化して論じることは、あまりにも乱暴で科学的な精緻さに欠けた議論とみなされたからである。また、ユング派という、科学的客観性においてはあいまいなところを本質的に抱えていることも関係している。精神医学ではHSPという用語は用いられないが、過敏性についての膨大な研究があり、それらをもとに本書は書かれている。
第1章 「過敏性」とは何か
・音、臭い、など様々な感覚の過敏性があるが、これらは人生をも左右するし、心身の不調にも大きく影響する。
・過敏な人は、ネガティブな人より、社会適応度や生きづらさの悪さと強く関係している。つまり、生きづらいといえる。
・感覚の過敏性を評価する方法としてもっとも知られているものの一つが、カタナ・ブラウンとウィニー・ダンが作成した「感覚プロファイル」である。神経学的な閾値を縦軸に、行動反応・自己調節を横軸にして、それぞれの高さ低さによって4つのグループに分類される。その4つは、刺激に対して閾値が高く能動的な反応を示す「感覚探求」、刺激に対して閾値が高く受動的な反応をしめす「低登録」、刺激に対する閾値が低く能動的な反応を示す「感覚回避」、刺激に対する閾値が低く受動的な反応を示す「感覚過敏」である。本書には、感覚プロファイル検査の簡略版があるので、自分がどれに当てはまるかおおよそ把握できる。ちなみに私は、「感覚過敏」がもっとも高く「その傾向がややある」という判定だった。
第2章 あなたの過敏性を分析する
・第1章で説明された「感覚過敏」以上に重要なのが「心理社会的過敏性」であり、心理的な面と対人関係など社会的な面における過敏性である。これは神経学的な過敏性以上に、生きづらさや幸福度の悪さに関係してくる。この神経学的および心理社会的含めた過敏性を評価する「過敏性プロファイル」を筆者が開発し、本書にチェックリストが紹介されている。
・「過敏性プロファイル」では、神経学的過敏性として「感覚過敏」「馴化抵抗」、心理社会的過敏性として「愛着不安」「心の傷」、さらに、病理的過敏性として「身体化」「妄想傾向」が、過敏性に伴いやすい傾向として「回避傾向」「低登録」、以上8項目が評価される。
第3章 過敏性のメカニズムと特性を知る
・音への過敏性は、単に聴覚的な過敏性だけでなく、全般的な過敏性の良い指標になる。過敏な人にとって音は凶器のようなものである。
・過敏な状態になると、視床下部―下垂体―副腎皮質系の反応によって副腎皮質ホルモンが放出される。また、視床下部の反応に伴って、交感神経が興奮する。過敏性の獲得は学習でもあり、いったんスイッチが入るとしばらく興奮し続けるNMDA受容体が関わっている。とくに、ネガティブな感情の中枢である偏桃体においてNMDA受容体のスイッチが入ることで、過敏で傷つきやすい状態が生み出されると考えられる。
・偏桃体は前頭前野という脳の司令塔によって抑制性のコントロールを受けている。このコントロールを高める代表的な方法が「認知行動療法」である。また、セロトニンが興奮を抑えるので、セロトニンの働きを活発にする薬であるSSRIも役立つ。抑制系の神経システムとしてもう一つ重要なのが、GABAという神経伝達物質を介した仕組みである。アルコールや抗不安薬はGABA系を活性化させる働きがあり、そうした物質の助けを借りてどうにか気を鎮めようとしているのである。しかし、過敏な人は、アルコール依存症や抗不安薬依存になりやすい。もっと安全に神経の興奮を冷ます方法として、マインドフルネスや瞑想、ヨガ、リラクゼーションなどがある。
・抑制系が弱いので、新しい刺激や環境の変化が苦手である。そのため、人を避ける消極的な傾向が10代後半から20代にかけてもっとも強まり、過敏な人では若い頃のほうが元気がないというケースが少なくない。この時期を過ぎると過敏さは徐々に薄まるので、成熟とともに楽になっていく。
・その人の精神状態は一番表情に表れやすい。過敏な人では表情が硬く乏しくなりがちだ。表情は単なる心理学的現象ではなく、脳内の神経系の働きを映し出した生理学的現象でもある。たとえば、ドーパミン系の働きが過剰になると瞬きが増え険しさが強まり、逆にパーキンソン病や重度のうつ病でドーパミン系が低下すると瞬きが極端に減り能面のような無表情になる。また、セロトニン系が亢進している人はボス的で堂々としたときには傲慢な様相を呈するが、低下している人はおどおどびくびくしている。
・神経が過敏な人では、気分が憂うつになりやすいだけでなく、体調もすぐれない傾向がみられる。頭痛、胃痛、吐き気、めまい、下痢、疲れやすいといった身体面の不調が現れやすい。これは抑制性の神経機構が弱く、緊張しやすいからだと考えられる。また、妄想傾向も出やすい。身体化と妄想傾向は、身を守るための究極の防衛反応だともいえる。(1)
・過敏症は、優れた表現力や創造性と結びつきやすいという面もある。感覚過敏に苦しんだ人には、たとえばフランスの小説家プルーストや、文豪の夏目漱石などがいて、逸話も残っている。
第4章 発達障害と感覚処理障害
・過敏症の原因の一つが自閉スペクトラム症などの発達障害である。脳の画像診断自術の進歩により、それまで自閉スペクトラム症の感覚統合障害とぼんやりととらえられていたものが、神経走行の異常などによる感覚処理の障害として解明されるようになってきた。そして、神経発達障害に伴って起きた感覚処理障害が、発達障害の基本になっているとも考えられている。
第5章 愛着障害と心の傷
・愛着障害も心理社会的過敏症の要因となる。愛着は自律神経系の働きに密接に結びついている。母子関係において、虐待を受けている場合、子どもは母親といると交感神経が過剰に興奮した状態が続く。愛着が安定している関係では、母と子の再会によって、子どもの心拍数は下降し、落ち着く。面白いことに母親の心拍数にも同じ変化が見られるという、自律神経の相互的な働きが起きる。
・愛着スタイルによってストレス耐性は異なる。回避型愛着スタイルの人では、ストレスを受けても自律神経系が過剰反応することはないが、これは表面的な対応にとどめているからである。このタイプの人でもストレスホルモンの血中コーチゾルは上昇していて、ストレスを感じていることは確かである。さらに、自分が前面に出て関わらざるをえない立場になると、自律神経系は過剰反応を示すようになる。
・心理社会的過敏症を生む要因となるのは、愛着不安とともに心の傷がある。トラウマ的体験が夢の中に出てくるのは、無意識の中でその体験を乗り越えようとして戦っているのだと考えられる。PTSDは自分の生命が脅かされるレベルの非日常的な出来事で生じるトラウマによる障害である。もっと日常的なレベルの出来事でもトラウマが生じ、長く生き方や生活に支障になることも多い。代表的なものに、親からの虐待や否定的言動、親の離婚、配偶者やわが子との離別、家族との死別、中絶、失恋などがある。これらの出来事は愛着を脅かし破壊するので、大きな影響を及ぼす。
・大人になっても愛着の傷跡を引きずり続けている場合、「未解決型愛着スタイル」とよぶ。未解決型になると、相手に愛されたいのか愛されたくないのか、一緒にいたいのか離れたいのか、自分でもわからなくなってしまう。このタイプの人は、自分の身に起きた苦しい出来事を、自分をいじめている、自分だけがつらい仕打ちを受けているように受け止めてしまいやすい。人生自体も迷走していることが多い。
第6章 過敏性が体に表れる
(上記(1)の詳細な説明)
第7章 過敏な人の適応戦略
・過敏さとの付き合い方としては、①刺激量を減らすために、周りの目につくものや音を極力減らすようにする、②刺激を予測のつくものにするために、生活や活動を整理し習慣化する、③安全限界を超えないために、その前でとどめるようにする、④休みの日などにはボーッとする時間を積極的にもつ、⑤薬を使って過敏症をコントロールする、⑥場合によってはストレスのかかる場面を回避する、⑦行動を儀式化する、などがある。⑦の例として、とても神経質で過敏な体質だった画家サルバドール・ダリや、過敏な少年だったユングが、気持の安定のために木彫りの人形を持ち歩いていたことが紹介されている。なお、心理的なアプローチは第8章で説明される。
・過敏さと鈍感さが同居することもある。過敏な人では過集中や、集中している対象以外のものに対する鈍感さがしばしば併存する。科学者や発明家が、驚くべき集中力と、それ以外のことに対する無頓着さを示したというエピソードは枚挙にいとまがない。そうして生まれた発明や発見にわれわれは恩恵を受けているのである。そうした特性は、気が回らない人や切り替わりが悪い人にもつながる。機転が利かず、巧みな会話ができなくても、悲観する必要はなく、不器用さや誠実さを売りにして、根気と日々の蓄積で勝負すべきである。
第8章 過敏性を克服する
・幸福にどれくらい遺伝要因が関与しているか調べた研究では、幸福であることへの遺伝要因の関与は36%、人生に満足していることへの遺伝要因の関与は32%だという。つまり、三分の一は遺伝子によって決定されるが、残りの三分の二は環境因子によって決まるということになる。また、子どものころは、親や家庭環境の影響が大きいが、大人になると自分の意志と責任で自分の人生を良いものにも悪いものにもしていくことができる。肥満の遺伝率が78%であるのと比較しても、幸福や人生の満足を手に入れるチャンスは、その人次第の部分が大きい。
・過敏症への関係は、過去の境遇<肯定的認知<二分法的認知<安全基地、の順で強くなる。肯定的認知を高め、二分法的認知を克服し、安全基地を利用するための方法が、以下に述べられる。
①肯定的でバランスの良い認知
肯定的な認知を高めることの有効性が、1970年代からのポジティブ心理学の研究で示されてきた。以下のようにいくつかの方法があるが、人によってよく効くものとそうでないものがあるので、自分に合ったものを見つける必要がある。
・「希望のエクササイズ」自分の理想の人生を書く。
・「親切にするエクササイズ」他人に親切な行動をすることで、相手だけでなく本人も幸福になれる。
・「感謝するエクササイズ」週に一度、感謝していることを五つ挙げる。
・「人生において良かったことを三つ書く」「自分の強みとなることを新しいやり方で生かす」この二つはうつ病の改善に効果があった。
・「良いところ探しのエクササイズ」ヴァリデーション(認証)、つまり悪い面にばかり目を向けるのでなく、良い点やできることを肯定的に評価する。これは自殺企図を繰り返す境界性パーソナリティ障害や認知症の人に対しても有効な、弁証法的行動療法の柱の一つである。
・「許しのエクササイズ」自分が傷つけられたことや不快な目に合ったことを思い出し相手を許す。難易度が高い方法ではあるが、これができることは苦悩が少なくなってきていることでもある。
②振り返りの力を養う
ポジティブ心理学の取り組み自体受け付けられないレベルの苦難や偏りを抱えた人に必要な訓練は、自分から距離をとり、自分を第三者のように客観的に見ることである。その一つの段階がメタ認知を鍛える段階である。メタ認知とは、認知の認知であり、何かを感じたり考えたりしている自分の感情や思考を、第三者のように見て、感じたり考えることである。
・メタ認知の代表的な訓練の方法が、認知(行動)療法である。そして、元は宗教的な方法であったが、近年普及しているのが「マインドフルネス」だ。禅の修行法には難しいものがあったが、欧米の認知療法と結びつくことで、新しい心理療法である弁証法的行動療法、マインドフルネス認知療法、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)などが生み出された。これらに共通する考え方の一つは、ありのままに受け止め、それと戦わないということである。
・マインドフルネスは、呼吸に注目しながら瞑想する作業と、身体感覚を味わうボディ・スキャンという作業を基本的なワークとし、初心者でも比較的取り組みやすく効果も出やすい。通常、ワンセットに30分程度の時間をかけて行うが、忙しい人のために「3分間呼吸空間法」が提唱されている。背筋を伸ばして座り、軽く目を閉じる。最初の1分間は自分の心の状態をありのままに感じ観察だけする。次の1分間は意識的に呼吸をする。最後の1分間は体の下から上まで順番に状態を感じていく。
・認知・感情・行動は三角形の形で結びついている。切羽詰まっているときには、頭を使うより体を使うこと(行動)が役立つ。行動の目標は、いきなり最終の目標とはせず、中間段階や別の目標を作って取り組んだほうが得策である。例えば、学校や職場に行けなくなってしまった場合、そこへ復帰することはいったん忘れ、今できる行動として、まずは家事、掃除や料理をすることが役に立つ。料理ができると大抵働けるようになるという。
③安全基地を強化する
母親の機能である、1日中ぴったりとくっついていられる、安全で心地よい存在である、自分の反応に応えてくれる、ということが安全基地としての最低条件といえる。安全機能がうまく機能しているかどうかは、過敏症と最も深く結びついている。日々の臨床で目にすることとして、患者本人を一生懸命見るより、支えている人の大変さを受け止めたり、本人の状態を理解してもらったり、接し方についてアドバイスすることを増やしたほうが、状態の改善に効果的なことが多い。つまり、親やパートナーなどその人にとって重要な存在が安全基地としての機能を取り戻せば、もはや病気になる必要さえなくなっていく。
・愛着は相互的なものなので、相手に安全基地になってほしかったら、自分が相手の安全基地になるように努力するのが一番近道である。
・愛着の本質は、依存と世話である。依存は悪いことで、自立は良いことだと単純化して考える勘違いをしやすいが、人が健康に生きていく上では、依存も自立もどちらも必要で、ほどよいバランスが大切である。
・いくら努力しても、相手が安全基地となれない場合は、その人から心理的、物理的に距離を取ることである。物理的に離れられない事情があって心理的に距離をとるときの賢明なやり方は、この人はこういう人だと割り切り、相手を傷つけないように形式的には配慮しつつ、心情的な面では深入りを避けるようにする。
・人々は、どんどん自己愛的、回避的になりつつある。それは、心理的、社会的、文化的な特性であると同時に、生物的な変化なのかもしれない。われわれにできる最善のことは、自分自身が自分の安全基地になるということかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます