子供はかまってくれない

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映画「ノウイング」:未知との遭遇+ディープ・インパクト=2001 SPACE ODYSSEY?

2009年08月02日 22時15分32秒 | 映画(新作レヴュー)
前作の「アイ,ロボット」が,思いのほか本格的SFの香りを湛えた逸品だったアレックス・プロヤス監督の新作。しかし今回はニコラス・ケイジが,マイケル・ベイの「ザ・ロック」で見せた跪きポーズを再び披露することに象徴されるような,過剰な梱包だけが目立つ,どうにも空疎な作品となってしまった。

主人公がタイム・カプセルに入っていた謎の数字が意味するところを理解して,二つ目の災害を阻止しようとする辺りまでは,スリラーとしての風格も堂々とした展開だった。サイモン・ダガンの暗めのトーンを活かした撮影と精密なSFXが上手く噛み合ったデザスター・シーンの迫力もかなりのものだ。墜落した航空機の残骸の間を彷徨う主人公(ニコラス・ケイジ)を,後ろから追いかける長めのワンカットは,アルフォンソ・キュアロンの「トゥモロー・ワールド」を意識しているようだったが,出来も肉薄するところまで来ている。

ところが,最後の災害を阻止しようと主人公が動き出すところから,逆に画面は停滞し始める。その理由は,どうやら根本の所で本格SFを指向しているらしいプロヤスが,そこから観客を追い詰めるようなスリラーの体裁を放棄してしまうことにある。

結論から言ってしまうと,プロヤスがやりたかったことはアーサー・C・クラークの「地球幼年期の終わり」だったのだ。かたや地球の進化プロセスの必然,こちらは太陽フレアによる地球の滅亡,という違いはあれど,全てを見通した異星人の手によって,最後を迎えた人類の中から子供達が選ばれる,という物語。
しかしこういった宇宙規模の壮大な進化論については,同じ著者の原作を基にキューブリックの手による偉業が既に成し遂げられている訳で,SFXの進化という武器だけであの「叙事詩」に立ち向かおうとした今回の試みは,やはり無謀だった,と結論付けざるを得ない。新世紀の叙事詩を気取ってみても,異星人と子供たちが宇宙船に乗り込むというテーマに直結する非常に重要な描写が,健闘していたデザスター・シーンと比べても,なあなあとしか言いようのない安易なイメージに終始していることが,そのことを如実に物語ってしまっている。

公開から日が経ったとはいえ,週末の夕方,札幌東宝プラザの2階の大スクリーンで鑑賞していた観客の数は7人。週末ならぬ,終末を共有するには,ちょっと寂しかったかも。
★★


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