子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
映画「ナイトクローラー」:優秀な仕事人と犯罪者の境界を周遊する狂気
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現代美術家の村上隆が仕事について語った本に,マーク・ジェイコブズと仕事をする前に「彼が何が好きで,何を求めているのかを真剣に探った」という趣旨のエピソードが書かれていた。
個人が単独で完結できる仕事が殆ど存在し得ない現代にあって,仕事の成果を求めるクライアントや購買者の意向を汲んで,最大限その期待に応えようとするのは仕事人として当然の姿勢だ,というのは一つの真理だろう。そういう視点で「ナイトクローラー」の主人公であるルー(ジェイク・ギレンホール)を見ると,当然の如く起こるであろう「極悪非道の犯罪人」であるという糾弾に目を瞑ってしまえば,「有能な仕事人」という見方も出来るのかもしれないという気がしてくる。
フェンスの金網を盗み,それをスクラップ屋に売って糊口を凌いでいるルーは,ある日交通事故の現場に遭遇する。至近距離から被害者を撮影しているカメラマン(ビル・パクストン)の姿に触発されたルーは,ヴィデオカメラを買って取材を始め,事故を記録した撮影テープをテレビ局に売りつけるという稼業にたった一人で参入する。やがて一人の若者をアシスタントとして雇った彼は,次々とスクープをものにしていくが,ある夜凄惨な殺人事件の現場に警察よりも早く到着し,犯人が逃走するところをヴィデオに収めることに成功するのだが…。
要領と知恵と工夫でのし上がっていくルーが,踏み越えてはいけない一線を越えたのは,カメラ写りを意識して交通事故の犠牲者の遺体を動かす,という判断をした地点だろう。その時点では,おそらく「道義的な意味での罪を犯した」とまでは言えなかったはずなのだが,刺激的な映像を欲しがるテレビ局のディレクター(レネ・ルッソ)がルーの衣服に付いた血を指摘しながらも,最終的に映像を買った瞬間,ルーは欲望と犯罪に満ちたプールへと哄笑をまき散らしながらダイブする。良識が支配する側から正気と狂気の境界を見据える観客は,彼が立てた水しぶきを,身をすくめながらも,まるで4DX劇場で実際に飛んでくる水滴を浴びるように,一種の爽快感と共に顔に受け止めることになるのだ。
主役のジェイク・ギレンホールは,カメラを手にした最初の瞬間からそれが天職であったかのようにはばたくルーを,まるで体温30度くらいで血液が沸騰してしまう変温動物のように,文字通り役に合わせた減量によって「ジャストなサイズ」で演じきる。ルーの所業を結果的にサポートしてしまうディレクター役のルッソも,夫であるダン・ギルロイの監督デビューを,野心家と母親のような深くて温かい懐を持った年長者の狭間で揺れる難役を見事に作り上げている。
ダークサイドのヒーローはラストで,まるで晴天が似合わない不気味な笑顔を弾けさせる。チラシに載っていた「戦慄のハッピーエンド」という言葉に偽りなしだ。
★★★★☆
(★★★★★が最高)
個人が単独で完結できる仕事が殆ど存在し得ない現代にあって,仕事の成果を求めるクライアントや購買者の意向を汲んで,最大限その期待に応えようとするのは仕事人として当然の姿勢だ,というのは一つの真理だろう。そういう視点で「ナイトクローラー」の主人公であるルー(ジェイク・ギレンホール)を見ると,当然の如く起こるであろう「極悪非道の犯罪人」であるという糾弾に目を瞑ってしまえば,「有能な仕事人」という見方も出来るのかもしれないという気がしてくる。
フェンスの金網を盗み,それをスクラップ屋に売って糊口を凌いでいるルーは,ある日交通事故の現場に遭遇する。至近距離から被害者を撮影しているカメラマン(ビル・パクストン)の姿に触発されたルーは,ヴィデオカメラを買って取材を始め,事故を記録した撮影テープをテレビ局に売りつけるという稼業にたった一人で参入する。やがて一人の若者をアシスタントとして雇った彼は,次々とスクープをものにしていくが,ある夜凄惨な殺人事件の現場に警察よりも早く到着し,犯人が逃走するところをヴィデオに収めることに成功するのだが…。
要領と知恵と工夫でのし上がっていくルーが,踏み越えてはいけない一線を越えたのは,カメラ写りを意識して交通事故の犠牲者の遺体を動かす,という判断をした地点だろう。その時点では,おそらく「道義的な意味での罪を犯した」とまでは言えなかったはずなのだが,刺激的な映像を欲しがるテレビ局のディレクター(レネ・ルッソ)がルーの衣服に付いた血を指摘しながらも,最終的に映像を買った瞬間,ルーは欲望と犯罪に満ちたプールへと哄笑をまき散らしながらダイブする。良識が支配する側から正気と狂気の境界を見据える観客は,彼が立てた水しぶきを,身をすくめながらも,まるで4DX劇場で実際に飛んでくる水滴を浴びるように,一種の爽快感と共に顔に受け止めることになるのだ。
主役のジェイク・ギレンホールは,カメラを手にした最初の瞬間からそれが天職であったかのようにはばたくルーを,まるで体温30度くらいで血液が沸騰してしまう変温動物のように,文字通り役に合わせた減量によって「ジャストなサイズ」で演じきる。ルーの所業を結果的にサポートしてしまうディレクター役のルッソも,夫であるダン・ギルロイの監督デビューを,野心家と母親のような深くて温かい懐を持った年長者の狭間で揺れる難役を見事に作り上げている。
ダークサイドのヒーローはラストで,まるで晴天が似合わない不気味な笑顔を弾けさせる。チラシに載っていた「戦慄のハッピーエンド」という言葉に偽りなしだ。
★★★★☆
(★★★★★が最高)
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