子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「その土曜日,7時58分」:シドニー・ルメット帰還

2009年01月03日 21時09分24秒 | 映画(新作レヴュー)
今年も駄文にお付き合いいただける皆様,あけましておめでとうございます。
素晴らしい映画や音楽との出会い,日本代表の2010年W杯の出場権獲得と日本のクラブのACL3連覇と札幌のJ1復帰,そして皆様のご健康を願いつつ,今年も好き勝手なことを書いていきたいと思っております。気が向いた時で結構ですので,冷やかして頂ければ幸いです。よろしく。

高齢の監督の活躍があちこちで話題になっているが,制作時に83歳だったというシドニー・ルメットの思いもかけないカムバックには,殊の外驚いた。緊密に構成されたシナリオと通好みのキャスト,至高の技を見せるスタッフに囲まれて,緊張感に満ちた犯罪映画を作り上げた大ヴェテランに,頭は下がるばかり。何処を捜してもクリエイティブな輝きが見つけられなかった,ジョン・カサベテスのリメイク作「グロリア」で,最早これまでか,と見切った私は甘かった,と素直に認めたい。

シチュエーションは,コーエン兄弟の「ファーゴ」に酷似している。経済的に追い詰められた男が,身内から金を巻き上げようとして犯罪を企てるが,悪事には付きもののアクシデントが発生してしまうことによって,更に窮地に追い込まれていくという犯罪譚だ。異なるのは犯罪者と被害者の関係で,そこに親子の確執と兄弟間の愛憎が織り込まれることによって,80年代の佳作「ファミリー・ビジネス」の対極とも言える家族の物語を語ろうとしたかのようにも思える。

本作が卓越しているのは,常に時間を溯りつつ,犯罪に関わる複数の人間の視点から描く語り口の滑らかさだ。徐々に追い詰められていく人間の感情を,限定された室内と電話の会話によって,重層的に描いていく手法は,「狼たちの午後」に見られたアメリカン・ニューシネマの残像を受け継ぐような切迫した画面作りに匹敵する効果を挙げている。会話から滲み出てくる兄弟と父親の焦りと絶望感は,デビュー作の「十二人の怒れる男」で描こうとした,隠された「真実」の重みから導き出された感情のようにも見えてくる。

フィリップ=シーモア・ホフマンとアルバート・フィニーの火花散る演技合戦は勿論素晴らしいが,正に度肝を抜かれた冒頭のシーンから,本当にこれが彼女か?と思わせるような迫力で迫るマリサ・トメイには最大級の拍手を送りたい。
そして何より陰の主役は,先に記したコーエン兄弟作品の常連,カーター・バーウェルが紡ぎ出した美しい旋律だ。現代の米国映画界における映画音楽の重鎮として活躍する「イースタン・プロミス」のハワード・ショア共々,常に映像に寄り添いつつ緊張感と哀切さを湛えた音楽を作り出す才能にはただただ敬服するばかりだ。

犯罪の責任と親子の関係に関する最終的な決着の付け方には,やや紋切り型という印象を抱いたが,そこまで持っていく牽引力の強さは,並ではない。人間の業の深さを描くためにとことん虚飾を(今回はついでに衣服までも)剥ぎ取ろうとする巨匠の姿勢を讃え,チームとしてそこに加わるスタッフ,キャストの歓びのようなものが感じられる佳作は,ルメットのフィルモグラフィーというゲームにおける8回裏の逆転打のような輝きを放っている。エキサイティングと言うしかない。


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