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映画「トロピック・サンダー」:ドリームワークス制作というのは驚き

2008年11月29日 11時14分29秒 | 映画(新作レヴュー)
またしても笑えなかった。
期待していた「ゲット スマート」で裏切られたこともあって,「笑うぞ!」と腹筋に力が入りすぎてはいけない,と戒めて臨んだハリウッド・コメディ秋の陣第2弾,話題の戦争パロディ映画「トロピック・サンダー」だったのだが,中途半端な脚本と何とも生煮えのギャグのせいで,敢えなく返り討ちにあってしまった気分だ。

多分,ベン・スティラーが長年温めていたという構想そのものは,決して悪くはなかったのだと思う。戦争が内包する残虐性を,シニカルな笑いによって直接切り取っていくという手法は,ロバート・アルトマンの「M★A★S★H」という金字塔がある限り,どう上手くやっても2番手止まりになってしまう訳で,視点を変えて,映画制作という「仕事」への愛と戦争を商売にすることの矛盾を,「笑い」によって止揚しようとする狙いは,ある意味で画期的とも言える発想だったはずだ。

しかしどちらも取り扱いが難しい「戦争」と「笑い」を,セットで物語に組み込むという作業は,やはり簡単な仕事ではなかったようだ。大仕掛けのアクションへの未練を断ち切れないまま,いつの間にか笑いを忘れて「ブラッド・ダイアモンド」になってしまうという展開の迷走振りは,名うての役者の力演を持ってしても,修正不可能な領域にまで入り込んでしまっている。
「プラトーン」や「地獄の黙示録」といったヴェトナム戦争を題材にした作品から,「戦場にかける橋」や「未知との遭遇」まで引っ張り出して,映画制作という夢に満ちた仕事に,騒々しくも熱いオマージュを捧げようとしたベン・スティラーの目論見は,この脚本とどうにも笑えないまま積み重ねられていくギャグのせいで,ジャングルの只中で方向性を見失い,劇中の監督と同様に地雷を踏んで吹き飛ばされてしまったという印象だ。

ニック・ノルティとマシュー・マコナヘイは,主役3人の空振り熱演に比べると,さながら油揚げをさらう鳶のような役得にありついているように見えるが,一番楽しそうにやっているのは,特徴のある声のせいで扮装が全く意味をなしていないプロデューサー役の大物スターだろう。ポール・トーマス=アンダーソンの「マグノリア」の時のはじけ振りに比肩する一人踊りの躍動感は,確かに一見の価値はある。

ここまでつまらないと,もうハリウッド制作のコメディは駄目かとも思ってしまったのだが,絶望の海に沈む直前に,かの国にはカザフスタンから来た(ということになっている)最終兵器,サシャ・バロン=コーエンがいることを思い出した。
大傑作「ボラット」に続く作品を観られる可能性はそう高くはないと思うが,どうかしてこの願いが叶うまでは,マルクス兄弟とキートンのクラシックを見直して,「笑い」という人間に与えられた崇高な特権について考えることにしたい。


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