アメリカの自動車教習が,日本のように一般交通が遮断された「自動車教習所」敷地内で行われるのではなく,いきなり路上講習をスタートさせる,という話は聞いたことがあったが,まさかここまでとは,という本筋にはあまり関係のない話で度肝を抜かれる。何せ,初心者であるはずの免許取得希望者を運手席に座らせ,注意するポイントを幾つか教えただけで,即路上運転をさせるのだ。
補助ブレーキが付いた助手席に先生が座っているので危機回避はできるはず,という理屈はあるにせよ,まさに「習うより慣れろ」を地で行く合理的なメソッドは,入念な準備を前提とした日本式カリキュラムからすると信じられないものだが,映画を観終えると「予行演習が効かないのが人生」という見方を体現するものなのかもしれないな,という気もしてくるから不思議だ。
主人公の書評家ウェンディ(パトリシア・クラークソン)は,夫が走った相手の女流作家をそれとは知らずに,ラジオ番組で「好きな作家」と発言してしまうような,熟年でありながらもちょっと痛々しい「人生初心者」。そんな彼女が夫の裏切りから立ち直る途上で出会ったタクシードライヴァー兼免許取得教師ダルワーン(ベン・キングズレー)の実直な生き方にガイドされながら,正真正銘の「人生免許証」を勝ち取っていく物語。
そんなまっすぐなだけの「人生応援歌」であれば,何も年齢不詳,スレンダーなのに妙に肉食な気配を漂わせ続ける不思議な女優,パトリシア・クラークソンを起用する必要はない筈。そう思っていたら案の定,百戦錬磨のイザベル・コイシェは終盤,免許証取得という目的を遂げた二人に向けて「熟年男女間にピュアな友情は本当になり立つのか?」という難問を用意する。
ダルワーンのアプローチに対して「あなたは私の希望の光なのよ」とはね返す時のウェンディの瞳には,高速道路本線への合流も苦にしない,本当の人生免許証を勝ち得たのだという,強い自信を帯びた光が宿っている。
ダルワーンの妹の紹介でインドからやって来たダルワーンの妻ジャスリーンが,意を決して買い物に出たスーパーマーケットで,同じ有色人種であるネイティブ・アフリカンの店員から嫌がらせを受けるプロットや,不法移民の強制捜査など,さりげなく挟み込まれるニューヨークの移民事情の描写が,控え目かつ的確に,ウェンディが直面する社会の現実を炙り出して作品に奥行きを与えている。
それでも全編を引っ張るのは,パトリシアの何とも言えない無邪気な香気。これからも頑張って不思議な色気を出し続けることを願って,☆をひとつ追加。
★★★☆
(★★★★★が最高)
補助ブレーキが付いた助手席に先生が座っているので危機回避はできるはず,という理屈はあるにせよ,まさに「習うより慣れろ」を地で行く合理的なメソッドは,入念な準備を前提とした日本式カリキュラムからすると信じられないものだが,映画を観終えると「予行演習が効かないのが人生」という見方を体現するものなのかもしれないな,という気もしてくるから不思議だ。
主人公の書評家ウェンディ(パトリシア・クラークソン)は,夫が走った相手の女流作家をそれとは知らずに,ラジオ番組で「好きな作家」と発言してしまうような,熟年でありながらもちょっと痛々しい「人生初心者」。そんな彼女が夫の裏切りから立ち直る途上で出会ったタクシードライヴァー兼免許取得教師ダルワーン(ベン・キングズレー)の実直な生き方にガイドされながら,正真正銘の「人生免許証」を勝ち取っていく物語。
そんなまっすぐなだけの「人生応援歌」であれば,何も年齢不詳,スレンダーなのに妙に肉食な気配を漂わせ続ける不思議な女優,パトリシア・クラークソンを起用する必要はない筈。そう思っていたら案の定,百戦錬磨のイザベル・コイシェは終盤,免許証取得という目的を遂げた二人に向けて「熟年男女間にピュアな友情は本当になり立つのか?」という難問を用意する。
ダルワーンのアプローチに対して「あなたは私の希望の光なのよ」とはね返す時のウェンディの瞳には,高速道路本線への合流も苦にしない,本当の人生免許証を勝ち得たのだという,強い自信を帯びた光が宿っている。
ダルワーンの妹の紹介でインドからやって来たダルワーンの妻ジャスリーンが,意を決して買い物に出たスーパーマーケットで,同じ有色人種であるネイティブ・アフリカンの店員から嫌がらせを受けるプロットや,不法移民の強制捜査など,さりげなく挟み込まれるニューヨークの移民事情の描写が,控え目かつ的確に,ウェンディが直面する社会の現実を炙り出して作品に奥行きを与えている。
それでも全編を引っ張るのは,パトリシアの何とも言えない無邪気な香気。これからも頑張って不思議な色気を出し続けることを願って,☆をひとつ追加。
★★★☆
(★★★★★が最高)