子供はかまってくれない

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映画「アリスのままで」:戴冠に相応しいジュリアン・ムーアの抑制

2015年07月11日 12時53分49秒 | 映画(新作レヴュー)
ありとあらゆるジャンルの映画を精力的に撮り続ける堤幸彦のフィルモグラフィーの中で,「完成度」という指標で作品を選ぶとすれば,私は「明日の記憶」を選ぶ。冒頭,広告代理店の優秀な管理職である主人公が「タイタニック」の主演俳優の名前を思い出せなくて煩悶するシーンは,渡辺謙の緻密な演技によって忘れがたい余韻を生み出していた。
ALSと闘病中だったリチャード・グラッツァーとウォッシュ・ウェストモアランドが若年性アルツハイマー患者を主役に据えて撮り上げた「アリスのままで」にも同様のシーンが登場する。
高名な言語学者であるアリス(ジュリアン・ムーア)は,講演中に「語彙」という言葉が思い出せずにフリーズしてしまう。帰りの車中でお目当ての単語を思い出して安堵すると同時に,言語学者たる自分の基盤とも言えるジャンルで「ど忘れ」をしてしまったことへの不安に苛まれる姿はとても他人事とは思えず,殺人鬼もモンスターも出て来ないホラー映画が裸足で逃げ出すくらいに,リアルな恐怖を漂わせている。

アリスがジョギング中に帰り道が分からなくなって呆然と佇むシーンでは,アリスにきつくフォーカスを絞り,背景をぼかすことによって,病気の進行と孤立を明確に示すディレクションが突出するのだが,それ以降は極めてオーソドックスな演出によって,アリスが運命と四つに組んで「別れ」に向かって歩んでいく姿が語られる。
この作品でアカデミー賞主演女優賞に輝いたムーアの演技は,病気や精神疾患などに苦しむ人間をややオーバーアクトに演じることで戴冠した過去の受賞者に比べると,かなり抑制的だ。役柄が求めるのであれば,服なんか着ようが着まいが知ったこっちゃないわ,という脱ぎっぷりの良さで,プライドを重ね着した他の熟年女優を圧倒してきたムーアだが,言語学者が言葉や論理的な思考回路を失っていく恐怖と,プライドと誠実さの狭間で悩む主人公をstill(静かな)な演技で演じる姿は,永年のムーア・ファンとして,とても感慨深いものがあった。

失われつつある知識や記憶を総動員して,自分が存在することの奇跡について,家族も含めた世界へ向けて感謝の言葉を紡ぎ出す講演シーンでは,不覚にも涙を堪えきれなかった。
感情の行き違いがあった末娘との和解をサブ・プロットとして織り込んだこの美しい物語を忘れることはないだろう。
ムーアのアカデミー賞受賞の報せを知った直後に亡くなったグラッツァーとパートナーのウェストモアランド,そしてムーアのトライアングルに,心からの敬意と祝福を。
★★★★☆
(★★★★★が最高)



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