子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「そこのみにて光輝く」:池脇千鶴の身体が映画に与えた奥行き

2014年05月04日 17時49分37秒 | 映画(新作レヴュー)
原作者の人気なのか,綾野剛人気なのか,評判の高い作品そのものへの期待や口コミの結果なのか,理由はよく分からないが,とにかく休日のお昼の回は最前列までほぼ満席。
東京のミニシアター観客動員ランキングでも上位となっていたことを裏付けるような入りに,コアな「映画ファン」のアクティヴィティーの高さって凄いと実感する。

早世した悲運の作家,佐藤泰志の原作を,舞台となった函館で映画した作品の第2弾。
採石場で起こった事故のトラウマから,現場を離れて街を彷徨う男(綾野剛)が,パチンコ店で知り合った若い男(菅田将暉)の家で,その姉(池脇千鶴)と出会う。男は彼女に惹かれるが,彼女は家族のために闇の世界で生きざるをえない境遇にあった。

「オカンの嫁入り」の呉美保監督は,函館の街を物語の背景としてヴィヴィッドに活用しつつ,若手俳優の文字通りの「競演」を長回しを多用した余白の多い展開で見せる。
特にどちらかというと幼児体型に近いフォルム(失礼)から,シームレスに中年女性の色気を漂わせるようになった池脇千鶴の佇まいは,一見の価値がある。彼女の身体の奥行きが,ほぼこの映画の奥行きを決めていると言っても過言ではない。
菅田の狂気を秘めた眼差しにも,綾野の甘えと諦念が共存しているような陰影にも,日頃彼らがTVドラマで見せている表情とはひと味違う,映画ならではのザラザラとした感触がある。

だが役者の健闘は認めるにしても,映画としての底は浅い。
トラウマから抜け出そうとする主人公とヒロインに立ちはだかる運命のドラマとしては,あまりにも先の展開が見え過ぎていて,観ている居心地の方が物語以上に遥かに辛い。
彼らの行く手に立ちはだかる悪(高橋和也)の描写があまりにも凡庸の上,前科のある菅田が再び犯罪に走る展開も,家族の絆や愛情を強調するプロットとしてはありきたりだ。
ラストシーンの美しさは特筆すべきものだったが,同様にラストの太陽光線がそのままタイトルになっているエリック・ロメールの「緑の光線」を思い出してしまったことで,後味はかえって悪くなってしまったかもしれない。
★★
(★★★★★が最高)


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