映画のプロモーションのため来日したマイケル・ムーアは,ドキュメンタリー映画作家というより,情報バラエティ番組における毒舌コメンテーターという風情を醸し出していた。カンヌ映画祭のパルムドール(グランプリ)受賞歴を持つ名監督が,巨体を揺すりながら好奇心丸出しで東京の街を徘徊する姿は,彼の作品に劣らずフォトジェニックな見せ物だったとも言える。
そんなマイケル・ムーアの真骨頂は,「150㎏を越えないことが健康の秘訣」と語る彼自身の姿を,自らの作品中にトリックスターとして登場させては,常識だと「世間で考えられている」秩序を引っかき回す場面にあった。
しかしムーアは前述したように,既に(心ならずも?)アメリカ映画界の大立て者となり,そのパーソナリティーが有名になりすぎてしまったことによって,「ボウリング・フォー・コロンバイン」でチャールトン・ヘストンを激怒させ,ウォルマートに銃販売の規制を決断させたような,アポなし突撃取材を行うことは出来なくなってしまった(はずだ)。
本作でも議員への取材を筆頭に,重要なシークエンスの幾つかにムーア本人が登場するが,初期作のように取材先が彼を「普通の」ジャーナリストと勘違いしてトップへのインタビューを許可する,という僥倖に恵まれることは考えられない。
そんな状態で,作品に魂を込めるにはどうするか?ここで彼が取ったのは,(平凡だが)既成の映像のコラージュに磨きをかけるという至極真っ当な作戦だった。
ドイツと並んで日本が称揚される場面は,ややピントがずれていると言わざるを得なかったが,「ゴッドファーザー」のドン・コルレオーネの物真似を筆頭に,家庭教師のトライのCMのような笑える当て振りと,関連映像を繋ぎ合わせるセンスの鋭さは,まだまだ健在。ところどころで我田引水の匂いを漂わせながらも,「NHK週刊こどもニュース」もかくやというシンプルなロジックで,大企業の実態を白日の下に晒す手腕は,アメリカの「お笑い山崎豊子」と呼びたくなるくらいの切れ味を持っている。
ムーア監督が自ら公的資金の供給を受けた企業を回って,犯罪現場の封印作業宜しく立ち入り禁止のテープを張り巡らす最後のシーンに,まるで米国社会へのレクイエムのように静かに被さるペンギン・カフェ・オーケストラの名曲「Music for a Found Harmonium」が沁みる。
★★★★
(★★★★★が最高)
そんなマイケル・ムーアの真骨頂は,「150㎏を越えないことが健康の秘訣」と語る彼自身の姿を,自らの作品中にトリックスターとして登場させては,常識だと「世間で考えられている」秩序を引っかき回す場面にあった。
しかしムーアは前述したように,既に(心ならずも?)アメリカ映画界の大立て者となり,そのパーソナリティーが有名になりすぎてしまったことによって,「ボウリング・フォー・コロンバイン」でチャールトン・ヘストンを激怒させ,ウォルマートに銃販売の規制を決断させたような,アポなし突撃取材を行うことは出来なくなってしまった(はずだ)。
本作でも議員への取材を筆頭に,重要なシークエンスの幾つかにムーア本人が登場するが,初期作のように取材先が彼を「普通の」ジャーナリストと勘違いしてトップへのインタビューを許可する,という僥倖に恵まれることは考えられない。
そんな状態で,作品に魂を込めるにはどうするか?ここで彼が取ったのは,(平凡だが)既成の映像のコラージュに磨きをかけるという至極真っ当な作戦だった。
ドイツと並んで日本が称揚される場面は,ややピントがずれていると言わざるを得なかったが,「ゴッドファーザー」のドン・コルレオーネの物真似を筆頭に,家庭教師のトライのCMのような笑える当て振りと,関連映像を繋ぎ合わせるセンスの鋭さは,まだまだ健在。ところどころで我田引水の匂いを漂わせながらも,「NHK週刊こどもニュース」もかくやというシンプルなロジックで,大企業の実態を白日の下に晒す手腕は,アメリカの「お笑い山崎豊子」と呼びたくなるくらいの切れ味を持っている。
ムーア監督が自ら公的資金の供給を受けた企業を回って,犯罪現場の封印作業宜しく立ち入り禁止のテープを張り巡らす最後のシーンに,まるで米国社会へのレクイエムのように静かに被さるペンギン・カフェ・オーケストラの名曲「Music for a Found Harmonium」が沁みる。
★★★★
(★★★★★が最高)