豊田国際(14日~15日)の鉄棒で優勝したタイソン・ブル(豪)が感想などを語りました
・オーストラリア体操連盟
「日本で競技をする感覚を体験し、東京(五輪)で使用するのと同等の器具に慣れることができた」などと話し、今回の優勝でいっそう五輪への意欲がわいてきたもよう
オーストラリアはブルと、今回も出場したゴドウィンの2名が東京五輪出場権を獲得しています。
<参考>東京五輪出場権〜男女種目別〜(過去記事)
いっぽう神戸合宿中のフランス女子は、引き続き日本文化にふれたようです
・フランス体操連盟フェイスブック
今度は書道。自分のカタカナの名前や、「オリンピック」、「とうきょう」、「金」などを書いたもよう。
何かたいへんですね。練習の写真があまりありませんが・・・
世界選手権(10月・シュツットガルト)で団体3位となり意気上がるイタリア女子チームが、中国合宿をおこないました
・OA Sport
中国代表の本拠地である北京の体育館で、2週間ほどだったようで、すでに帰国しています。
メンバーは、ビラ、ダマート姉妹、イオリオら世界選手権代表に、さらに若い選手を加えた9名。
平均台とゆかを特に強化して東京五輪にそなえたいもようです。
12月17日に53歳の誕生日を迎えたワレリー・リューキン氏(ソ連、カザフスタン、米)に関する紹介記事
・Polit
ほかの情報も交えておおざっぱにまとめてみました
1966年 アクトベ(旧ソ連、現カザフスタン)に生まれる
1973年 7歳で体操を始める
1984年 18歳でソ連代表チーム入り
1987年 「後方かかえこみ3回宙返り」(リューキン)を初めておこなう
1987年 欧州選手権で個人総合優勝
1988年 ソウル五輪 団体と鉄棒で金メダル
1987~91年にかけ、多くの国内タイトルを獲得、このあたりでたぶん結婚
1989年 長女ナスティアが誕生
1991年 家族とともに米国へ移住、その後テキサスに体操クラブを開く
1993年 ソ連崩壊にともない、カザフスタン代表として国際大会に出場
1994年 引退
2016年 米国女子代表のコーディネイター就任(代表監督のようなものと思われる)
2018年 辞任、ブラジル女子代表監督に就任
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ナスティア・リューキンに関する部分は省略します。夫人は元新体操選手。米国移住を1992年とするものもあります。
カザフスタン代表として世界選手権やアジア大会に出たこともあるそうです
米国移住当初はコンピューター販売をしていたそうですが、その後、先に渡米していた旧ソ連のアクロ選手がクラブを開いたことから、一緒に体操指導への道に進んだということです。
いちおうカザフスタンの国旗にしておきます↓