食事マナー関連で10年以上前から議論されている「パスタ・スプーン論争」というのがある。
スパゲティやリングイーネなど麺状のパスタを食べるとき、スプーンを使うかどうかというものだ。
スプーン否定派の意見で必ず出てくるのは「イタリアでスプーンを使っている人はいない」と「スプーンを使うのはフォークだけで綺麗に食べることができない子供だけ」というものだ。
「パスタでスプーンを使い始めたのは不器用なアメリカ人」というのもある。
なかには「正式なマナーでは、スプーンを使ってはいけない」と言う人までいる。
対してスプーン容認派の意見は、「お店でスプーンと一緒に出てくるのに、どうして使ったらいけないのか?」というものが多い。
「スープスパや、タラコスパはスプーンを使って綺麗に食べることこそマナー」ともいう。
「南インドではカレーは手食い、しかし日本じゃスプーン、パスタも日本流でいいじゃないか」という意見ももっともだ。
僕は基本的にフォークだけで食べるが、心情的にはスプーン容認派だ。
一説によると、欧米ではパスタ料理は大衆的な食べ物でマナーうんぬん言ってる人はいないという。
日本でいえば牛丼とか立ち食いソバ程度のものであり、正式だ、マナーだと言うほうがナンセンスだ。
昭和の頃、スパゲティといえば「ミートソース」か「ナポリタン」だった。
日本においてもこれらは大衆的な食べ物で、家庭から学校給食、近所の喫茶店でも食べることが出来る庶民の洋食だった。
味付けは別として、この大衆感覚は欧州での接し方に近いだろう。
それがバブルの頃、「イタリアン=オシャレな食べ物」という価値観が浸透し、ハイセンスなレストランで出されるようになる。
もしかすると、これって「懐石料理を出すような割烹でうどんや親子丼を食べる」くらい違和感あることなのかもしれない。
現在、スーパーでスパゲティの乾麺とレトルトのソースを買えば、誰でも手軽に安く食べることが出来る。
300円もあれば、お腹いっぱいパスタを食べることが出来るだろう。
たかが大衆洋食、しかし「白人様」の料理だから「本場イタリアでは~、正式には~、え?知らないの?」という人間が必ず出てくる。
これもまた一つの日本流なのかもしれない。
スパゲティやリングイーネなど麺状のパスタを食べるとき、スプーンを使うかどうかというものだ。
スプーン否定派の意見で必ず出てくるのは「イタリアでスプーンを使っている人はいない」と「スプーンを使うのはフォークだけで綺麗に食べることができない子供だけ」というものだ。
「パスタでスプーンを使い始めたのは不器用なアメリカ人」というのもある。
なかには「正式なマナーでは、スプーンを使ってはいけない」と言う人までいる。
対してスプーン容認派の意見は、「お店でスプーンと一緒に出てくるのに、どうして使ったらいけないのか?」というものが多い。
「スープスパや、タラコスパはスプーンを使って綺麗に食べることこそマナー」ともいう。
「南インドではカレーは手食い、しかし日本じゃスプーン、パスタも日本流でいいじゃないか」という意見ももっともだ。
僕は基本的にフォークだけで食べるが、心情的にはスプーン容認派だ。
一説によると、欧米ではパスタ料理は大衆的な食べ物でマナーうんぬん言ってる人はいないという。
日本でいえば牛丼とか立ち食いソバ程度のものであり、正式だ、マナーだと言うほうがナンセンスだ。
昭和の頃、スパゲティといえば「ミートソース」か「ナポリタン」だった。
日本においてもこれらは大衆的な食べ物で、家庭から学校給食、近所の喫茶店でも食べることが出来る庶民の洋食だった。
味付けは別として、この大衆感覚は欧州での接し方に近いだろう。
それがバブルの頃、「イタリアン=オシャレな食べ物」という価値観が浸透し、ハイセンスなレストランで出されるようになる。
もしかすると、これって「懐石料理を出すような割烹でうどんや親子丼を食べる」くらい違和感あることなのかもしれない。
現在、スーパーでスパゲティの乾麺とレトルトのソースを買えば、誰でも手軽に安く食べることが出来る。
300円もあれば、お腹いっぱいパスタを食べることが出来るだろう。
たかが大衆洋食、しかし「白人様」の料理だから「本場イタリアでは~、正式には~、え?知らないの?」という人間が必ず出てくる。
これもまた一つの日本流なのかもしれない。