今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

入学式に初めて出席

2018年04月03日 | お仕事

職場の大学の入学式に初めて出席した。
普通の教員は用がなく席もないので出席する理由がなかったから。

私は今年度から役付きになったので、舞台上の来賓席に座ることになる。
しかも最前列の真ん中の椅子が宛てられた。

この事態に備えて、実家から礼服を持ってきていた。
礼服自体、亡父の数年前の法事に着て以来で、更に白いネクタイを締めるのははるか昔、たぶん教え子の結婚式以来か。
今後は、入学式と卒業式の年2回礼服を着て、壇上の最前列に座ることになる。

あいにく風邪がまだ完治せず、一定時間ごとに粘度の高い鼻水を勢いよく出す必要があることが心配になる。
壇上で勢いよく鼻をかむわけにはいかないが、とりあえずティッシュをポケットに忍び入れる。

会場は、卒業式と同じく名古屋国際会議場のセンチュリーホール。 

緞帳が上ると、目の前に拡がる客席すべてに新入生が座っている。
女子大では定員が全国最大だけある。
新入生のほとんどが黒のスーツだ(3年後の就活にも使えそう)。 
もっとも場面としては、こちらが見られている側なので、壇上であまりキョロキョロできない。

単なる来賓の一人なので、やることといっても、学長や新入生代表あるいは在学生代表などが祝辞・答辞の前後にこちらの列に向ってしてくるお辞儀に応えて頭を下げるのを繰り返すだけ。
式の最初と最後は会場の全員が立ってお辞儀をする。
要するにお辞儀要員だ。 

式典は30分ほどで終了したので、鼻水の対応に困ることもなかった。

数時間後、大学本部で辞令をもらった。
役職は大学院の研究科長。
大学での役職は、任期つきの持ち回りなので、昇級ではない。 
任期が終れば平の教員に戻る。 

明日は、学内で私が大学院生の入学祝いの挨拶をする。 
いつもの平服で。 


名古屋に日帰り出張

2018年03月20日 | お仕事

春休みを堪能していた私だが、余儀なく中断せざるを得なくなった。
名古屋の職場で会議が招集され、また取りに行かねばない書類があるのだ。 

その会議は、今までならサブ要員であったため、欠席することも可能だったが、来年度(来月)から主要メンバーになるため、内容を把握しておく必要がある。
書類の方は今週中に対応しなくてはならない内容で、しかも学生の個人情報が盛られているため(要するに学生指導)、ネットで送ってもらうわけにもいかない。

もちろん、常勤教員としていつでも職場に馳せ参じる状態でなくてはならない。
幸い会議は昼過ぎからで、書類は自分用のボックスに取りに行けばよい。
なので、東京からでも時間的には日帰りが可能。
ただ運賃が往復2万円を要するのが痛い(額はいつでも同じだが、日帰りだと割高感が半端ない)。
私が勝手に実家に帰っているわけだから、自己責任として涙をのむ(自腹)しかない。

というわけで、 11時前の新幹線で名古屋に行く。
本部キャンパスでの会議はたった30分で終った。 
ついで数キロ離れたキャンパスに公共交通機関を使って行き(いつも利用する学内バスはこの時期、間引き運転なので)、事務室で書類を受け取り、ついでに捺印が必要な書類に捺印し、幸いタイミングが合った学内バスで本部に戻り、そこから帰宅の途につく。

実は、スムースに事が運べば、帰りは運賃節約のために18きっぷ(運賃が1/4)を使おうかと目論んでいたのだが、会議はスムースに終ったもののキャンパス間の移動に時間をくってしまい、今から18きっぷで帰ると東京に着くのが夜10時をまわってしまうので(しかも最短の乗り継ぎのため夕食抜き)、帰りも新幹線にした。
日帰りで2万の交通費の出費は痛い。 
せっかく湯河原の宿で1万円得したのが帳消しになった。 


春休み!

2018年03月16日 | お仕事

昨日、卒業式と大学院の修了記念パーティに出て、今年度最後の行事を終えた。

来週も再来週も出校する用事があり、片づける書類もあるが、大きな作業・行事は終えたので、一応”春休み”。

1月から続いた年度末の連続作業をこなした後、新年度に向けた格別の準備がなければ、春休みは一年で一番のんびりできる時期である。

今日は、18きっぷでのんびり帰京(車内では6時間の読書)。

数日は仕事を忘れて休息モードを味わいたい。 


年度最後のヤマ越え

2018年03月14日 | お仕事

大学の年度末の採点・成績つけを1月末に終え、そして大学と大学院の入試と修論の最終試験という大きなヤマを2月前半に乗り越え、そして今年度だけ突如出現した「公認心理師の申請書類の提出」という最大のヤマを2月末に乗り越え、昨日は今年度最後の教授会と他の3つの定例会議(うち一つは私が議長)を終え、今日は(昨年分の)「確定申告」を終えた。

確定申告は、勤務先の仕事ではないが、私人としてはこれが一年で最大のヤマ。

といっても、最近はネットの作成画面に入力するだけで自動的に提出書類が出来上るので(ミスの懸念もなく)短時間で作成できる。
なので近年は3月に入ったらすぐ申告を済ませていたのだが、今年は公認心理師の作業が入ったので、締切一日前の提出となった。 

幸か不幸か昨年も事業が赤字でしかも一年分の医療費が一定額を超えたので超えたので還付となる(かようにきちんと確定申告して初めて還付の対象となるわけで、自分が申告していないのに税務署からご親切に還付の”電話”が来ることは絶対ありえない)。
これはちっとも嬉しいことではない。
以前のように確定申告で納税するくらいに事業収入を得たいものだ。 

というわけで公私ともに今年度最後のヤマを越えたので、夕食時に発泡ワインの栓を勢いよく抜いて祝杯とした。

ヤマを越えた明日は、昼は「卒業式・修了式」、夜は大学院の修了記念パーティ(学部の卒業記念パーティは毎年欠席)を残すのみ。
年に一度のスーツを着て、学生の前で何か喋るだけでいい。 


高校2年生に”心理的距離モデル”を講じる

2018年03月12日 | お仕事

大学の業務として、併設高校の2年生(♀)を対象に模擬授業を担当した。
オープンキャンパスで受験生・保護者を前にした模擬授業は毎年やっているが、受験にまだ遠い2年生を対象にするのは初めて。
しかも広報担当の教員から、私のライフワークである「心理的距離」についてやってほしいとリクエストされた(オープンキャンパスでは話しやすいノンバーバルコミュニケーションの話をしていた)。
心理的距離は自分で理論モデルを構築しているので話す内容には事欠かないが、いかんせん専門用語(しかも自分の造語)で構成されているため、それを高校2年生にどう説明したらいいか。

といっても他に言い換える事ができないので、「能動表象」「不整合」などの用語はそのまま使うことにした。 
心理学とりわけ社会心理学は、われわれの日常の体験を学術用語で説明するものである。
その用語の意味する現象は、誰でも体験済みの事なので、その関係づけができれば理解してもらえるだろう。

というわけで、学術的表現でいうと、自他の心理的距離を変化せる力の1つである”均衡力”に焦点をあて、距離の不均衡状態をモデル化して説明し、この均衡力を利用した心理的距離の調整法を説明した。
これを日常の対人関係での”片想い”やウザイ相手(いずれも距離が不均衡)を例にして、”告る”ことのリスクと効果、そして心理的距離を接近させる行動を紹介した。

私の冗談に生徒たちは反応し、幾度も笑いを取れた。
そして授業を終えると、思いがけず拍手が鳴った(大学の授業ではありえない)。

自分の理論モデルを、想定外の人たちに話して、受けが良かったのだから、こんな嬉しいことはない。


大きなヤマ越え

2018年02月26日 | お仕事

本日、予定通り、勤務先の事務室公認心理師対応の申請書類一式が発送された。

この一年の間この作業を進める委員会の委員長でもあった私は、東京の地で、その報せを受け、胸をなで下ろした。

これで一段落。

もちろん、認可される必要があるので、これで終りではない。

学生でいえば、卒論提出のような段階。

あとは審査側に委ねるだけ。

という事で、勤務先の大学は実質春休みに入ったようなものだし、これからは自分自身の仕事に取り組みたい。

夜はヱビスビールで軽い祝杯。


多忙一段落

2018年01月31日 | お仕事

本日は後期試験の最後の日。
自分が担当している大人数の授業の試験を終えた。
そして大学院の修士論文の締切り日でもあった。
私の指導生2名も、今日の午前中まで論文指導をして無事提出。

ついでに、修理に出していたパソコンも戻ってきて、HDが交換されたので、”タイムマシン”に入れていたデータを復旧。
というわけで今晩は、年度末の多忙期間における最初の一段落(軽い祝杯)。 

今後は試験の採点・成績つけ、それに修論の審査が待っており、
その前に大学と大学院の入学試験をこなさねばならない。 

明日は、学部の卒論発表会。
これは学生が主体だから教員は楽。
それが終れば、3日から始まる入試の前に1日だけ空白の日がある。
空白のその日は今日の試験の採点に費やさねばならない。
なぜなら入試が終った直後に成績の締切があるから。 

かように、今は一年で一番忙しい。
風邪をひいている暇もない。 


慰労と祝杯

2017年12月15日 | お仕事

職場の忘年会も済み、いよいよ年末モードに入る。
今日は、年内に作成する最後の書類を提出。
今年は、公認心理師に対応するための会議と書類作成に追われた。 
この作業は、年明けて年度末まで続くが、ひとまず小休止。

あとは来週で終る年内の授業と卒論の追い込みだけとなった。

今日、大学院を修了して数年経った元教え子から、臨床心理士の試験に合格したとのメールを受け取った。

うちは合格率は高い方なのだが、彼女は落ち続けていた。
その知らせを受け、わが事のように嬉しかった。

というわけで帰宅後の夕食は、奮発して和幸の豚カツ弁当といつもの「麦とホップ」ならぬキリンの「一番搾り」で祝杯。 

かように、いいことがあると脳内の「報酬系」を刺激して、生活と脳にメリハリをつけるようにしている。


余分なヤマ越え

2017年09月30日 | お仕事

先日、三つのヤマを越えたと思い安心していたら、とんだ勘違いをしていて、その越え方では、来年度を迎えられない事態であることに気づき、一人顔面蒼白になった。
しかも、私では解決できない問題。

不幸中の幸いは、まだ大学全体での承認・決定に達する前に、気づけた点。
しかも、修正するにも定例会議での承認は必要ないとの言質は得ていた。 

なのでその分野の協力者を頼りに、必死でなんとか来年度を迎えられる内容を絞り出して、
問題に気づいてから、二転三転しながらも一週間で解決策を提案し、関係者間の承認を得た。

 もちろん、その間、別の案件の処理も並行。

その最中に、ストレス指標である唾液アミラーゼを測ったら150kIU/Lに達していた。
そして一段落した今日は120kIU/Lに下がっていた。
でも、まだまだ値は高い。 

なので、明日は慰労の温泉だ!


やっと夏休みか

2017年08月13日 | お仕事

山の日と土曜は、勤務先の大学のオープンキャンパスのために出勤。
模擬授業をこやして、付属高校生から前もって予約されていた夏休みの課題の面談をする。
これだけなら、たいしたことないが、その二日間いずれも公認心理師対応のためのさまざまな案件をこなす会議を開催した(私が委員長)。

この問題こそ、われわれ、いや日本全国の大学・大学院の心理学関係者が今、四苦八苦しているテーマ。 
なにしろ、公認心理師法の施行は来月15日。
施行後の次年度から大学・大学院はそれに対応したカリキュラムの開始を迫られる。
そのためには、各大学では半年前、すなわち今年の9月から学則改正等の準備を開始しなくてはならない。
ということで、これから先も頭がクラクラになる予定なのだが、
いちおう明日からお盆休みで大学事務も閉鎖されるので、われわれも少し休んで頭を冷やしたい。
煮詰まった状態から少し距離をおいたほうがいいと自分に言いきかせて、 気分転換をしたい。
まだ前期の採点・成績つけが残っている。
その作業が気分転換か… 


私にとっての「刹那滅」

2017年08月02日 | お仕事

現在、私の研究上の関心対象は「刹那滅」(セツナメツ)である。
刹那滅とは、刹那(瞬間)に生じて刹那に滅するというのが存在の在り方であるという仏教哲学上の説で、仏教の根本テーゼである「諸行無常」の論拠として唱えられた。

その刹那滅に向かった直接の理由は、ハイデガーの存在論で、
といっても私が彼の著作集に目を通すには(そして理解するには)限度があるので、彼の存在論を研究している古東哲明氏の著作※を通して、ハイデガーの存在論が「刹那」に行き着いたことを知ったためである。
※たとえば『ハイデガー:存在神秘の哲学』(講談社現代新書)。…この本、内容はいいのだが、いい歳した哲人ハイデガーに「ぼく」と自称させる言語感覚は読んでいてつらかった(東京男にとっては「ぼく」と自称するのは半ズボンの小学生まで。他の地域の人は大人になってから使うようだが…)

では何でハイデガーの存在論に向かったかといえば、人間存在を生き生きと理解するには、現象学的視点が必要だと思い、フッサールからの流れでハイデガーの『存在と時間』を読んだら、存在と存在者の区別に目からウロコが落ちて(たいていの人は両者を同一視)、現象学的存在論にハマったのだった。

その現象学に向かわせた元は(フッサールと同じく)心理学で、人間の在り方を科学的・実証的に探究しようと思ったからで、
その心理学をやろうと思ったのは、大学2年で直面したサークルでの集団運営の悩みがきっかけ。

言い換えれば、大学に入った当初の目的は心理学ではなかった。
何かといえば、漠然と仏教をやりたいと思っていた。
ただ、学問的にというより、日々の生き方としてその教えを求めていた。
それでも、 仏教思想を専攻できる所に入ったので、1-2年次は仏教関係の授業をとった。
その中で、私から仏教を専攻することを諦めさせた授業があった。
「サンスクリット語」の授業である。

仏教をきちんと学ぶには必須の授業だが、サンスクリット語は名詞の格変化だけで8つもあり、しかも日本語に対応した辞書がないため、梵独辞典と独和辞典の2つを使って、サンスクリット語→ドイツ語→日本語で単語を調べるため、授業についていくために休日返上での勉強を余儀なくされた。

当時は、山岳部にも入っており、休日は山に行きたい私は、サンスクリット語の自習がなにより苦痛だった。
しかも、上述したように別のサークル活動によって学問的関心が心理学にシフトし始めていた。
結局、私は「サンスクリット語」の授業を放棄し、その延長上の仏教も専攻から外した。

実は、そのサンスクリット語の授業で、テキストに使っていたのが「刹那滅の論証」(ダルマキールティ)だったのだ※。
ああ、あの時放棄しなければ、刹那滅について原語のテキストをとっくの昔に読めていたはずなのに。

なんて壮大な人生の回り道をしてきたのか。
もちろん、単なる回り道でないのは確かだが、回り道であることも否定できない。
ただ、少なくとも確かに言えることは、私があのまま刹那滅を勉強していたら、大学への就職の道は実質的に無かったろう。 
※:刹那滅を論理的に理解するのではなく実感するには、瞑想で”時の流れ”に集中していくといい。時の流れをミクロ的に拡大していくと、「流れ」という動態は、刹那という瞬間が消滅する連続態であることが実感できる。まさにアニメという動画が実はセル画という静止画の連続であるように。すなわち時の”流れ”は、錯覚現象なのだ。


大学生の遠足

2017年04月08日 | お仕事

新年度の最初の怒濤のような一週間の締めくくりは、大学新入生の遠足

私が新入生の頃を含めて、以前は泊まり込みでの合宿だったのだが、最近は授業回数確保のため余分な日数を使えず、また参加者全員が疲労困ぱいするため、日帰り、しかも近場の遠足に落ち着いている。
わが心理学科は、例年通り「博物館明治村」。
明治建築は心理学とは直接接点はないが、全員が収容できる大食堂を借り切れ、距離的にも手ごろなので、他に選択肢がない。

私は教員の一人として、担当班の学生たちを引率し、明治村のベスト2であるザビエル天主堂とフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルを案内。
道すがら明治建築の特徴をひとくさり説明。
さらに駄菓子屋に連れて行き、学生たちに買物時間を与える。
まるで、ツアーの添乗員だ(駄菓子屋からリベートはもらっていない)。

午前中に見学を終えて、昼は大食堂で食事をし(学生たちは皿に盛られた料理よりデザートのケーキ類に群がる)、全員でゲームをやって帰途につく。
今日は、桜こそ満開だったが、今にも降りそうな天気で、食堂を出たらかなりの雨だった。
村内見学中は振られなかったのが幸い。

半日行程なので、疲れもせず終了(なので研究室に直行し、仕事をこなす)。
来週から、 通常の忙しさが始まる。 


新年度の授業開始時の気分は

2017年04月05日 | お仕事

本日から、新年度の授業が始まった。
今年は、ものすごく久々に早々の1限目から授業を担当する。
早起きに慣れなくては。

いざ、授業を始めると、始業前までの憂鬱感など吹っ飛んで、いつもの気持ちの張りが戻っている。
仕事ってそういうもんで、ある種の戦闘モード(交感神経興奮)になれるため。
この交感神経興奮状態にもっていけない人が、本当の鬱になるんだな。 

私はもともと気分障害タイプでないので(どちらかというとシゾイド)、鬱気(うつっけ)は状況次第で簡単に吹っ飛ぶ。

これからしばらくは、自分の研究を忘れて、教育業務に専心しなければならない。
それはいわばルーティン・ワークなので、論文を書く時の懊悩呻吟の苦しみから逃れられる期間でもある。

もちろん業務は業務で時間と作業に追われてストレスとなるが、定型処理的に突破できるので、月に一度温泉に行けばすっきりする。

自分の真の仕事である研究論文の生みの苦しみは、業務から解放される”夏休み”にお預け。
つまり、それぞれ別の時期に取り組むので、ストレス過剰にならないで済むのだ。 

ということはストレスから完全に解放されるのは、年度末の春休みだけなのだが、
だから春休みの終わりは、(会社員にとっての”日曜夕方”と同じで)憂鬱になってしまう。

気分転換は必要だが、完全に別世界に行ってしまうと、実世界に戻るだけでもつらくなってしまう。


修了生を送る

2017年03月16日 | お仕事

15日は、卒業式(学部)と修了式(大学院)。
学部・研究科単位での授与式では、それぞれに餞(はなむけ)の言葉を送った。
教師からの言葉って、どうしても上から目線の教訓めいた内容になってしまうが、いつまでたってもその立場で教え子に接するのが教師なんだろう。

夜は、大学院修了生を送るパーティ。
学部と違って、少人数だし、また学生よりは年齢が近い(社会人もけっこういる)ので、一人一人と話しやすい。
そして面と向かって、お礼を言われる。

学部の4年間より濃い2年間を過し、特に社会人の院生にとっては特別な経験をした2年間だったようだ。

教師の仕事は、学生の変貌を導いて送り出すこと。
その変貌を学生自身が自覚できたから、お礼を言ってくれる。

そういえば、自分が学生の時、先生に心からお礼を言った記憶がない。
大人数での卒業式だとその機会がなかったし、言ったとしても儀礼的だったろう。

大学院は”満期退学”でこっそり辞めたしな…。 

今までの人生でお礼を言いそびれた人が、幾人もいそうだ。


本学一のクラブの顧問となる

2017年02月12日 | お仕事

勤務先の大学のクラブの新顧問となり、このクラブを作った旧顧問の教員の定年退職祝いを兼ねての同窓会に招待された。

このクラブはうちの大学で最大の部員数を誇り、また学外活動も盛んで、名実ともに本学一のクラブだ。

 集まった現役生とOGとの間には最大四半世紀もの年齢差がある。

出席したOGにはかつての教え子たちがいて、とてもなつかしかった。
同窓会といえば、自分の高校の同期会がとても楽しみなのだが、教師の立場でかつての教え子と再会できるのもとてもうれしいものだ。
各自がそれぞれに幸せになってくれていればなおさらのこと。

これほどの大所帯をずっと運営しつづけるこのクラブは、女子大にとっても鏡といえる。
というのは、日本の女性たちは成人近くなると、組織運営は男にまかせがちとなってしまうから。
一見それがかなわない女子大のクラブ・サークルだが、実際には他大学との交流が盛んで、それがある意味、真の自立を阻んでいる。
部外の男に一切頼らないこのクラブこそ、女子学生の組織運営力がトレーニングされる。 

私が大学の時、自分がリーダーをやったクラブの後任に女子を指名しようとしたら、後輩の女子たちから反対された。
理由は女子がリーダーでは自分たちはついていけないとのこと。

日本女性は、組織のリーダーになる訓練だけでなく、同性のリーダーを受け入れる訓練も必要だと思った。

それができるのも女子大だ。