今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

安宿の高い部屋で採点作業

2020年02月02日 | お仕事

世間の新型ウイルス騒動の中で、私は年度末に向けた業務の目白押し状態に突入した。
とにかく締切りが近い順に片づけなくてはならない。
まずは後期試験の採点作業を、温泉宿に篭って片づけたい。

私本来の「お篭り」は、2泊して初日の午後と夕食後はもちろん、二日目の中一日を丸々作業に宛てるのだが、今回は日・月の二日間しか使えないので、せめてチェックアウトが遅い、安宿チェーンの恵那峡国際ホテルにした(準定宿)。
最近は、ランクアップ料金を出して上級の部屋にしている(メール会員なのでランクアップ料金が半額)。
しかも1月の慰労も兼ねたいので、夕食にカニ2肩(脚1匹分)を特別注文した。
安宿チェーンの場合、バイキングだけだとしょぼいから。
以上の追加料金を足しても、普通の温泉ホテル並みか安い。

かように安宿にオプションつけて贅沢にするのと、高級宿を素泊りなどで安く泊るのとどっちがいいのだろう。

中央アルプスを正面に見ながらのドライブで宿に着き、初めて泊るランクアップの洋室に入る(以前利用したのは和洋室)。
通常料金のシングルは狭過ぎるが、ランクアップの洋室は、一人では広過ぎる。
自分の名古屋宅(ワンルーム)より広く、洗面所やトイレに行くにもドアを二つ、三つあけて移動するのでめんどくさい。
暖房を3箇所、部屋の照明もあちこち出向いてスイッチを入れる。
昔の建物の設計・デザインって、かように居住者中心でなかったことがよくわかる。
どうもこの古い洋室は、一人客にとっては無駄に広い(新しい和洋室の方が作業場と寝室の使い分けができる)。

温泉に入る以外は、部屋に篭って、テレビもつけずに、採点にいそしむ。
数百字におよぶ筆記試験の採点は、集中してできるだけ短時間でやらないと、採点規準がブレるおそれがあるから。
カニ2肩付きの夕食(すき焼き鍋中心)をはさんで、
かくして、180人の答案の半分が終わった。
筆記の答案だから、それぞれきちんと読まないといけない。
今日だけで終わるのは無理で、あとは明日にまわす。


卒論提出というヤマ越え

2019年12月19日 | お仕事

本日、わが卒論ゼミ生たちが卒論提出にこぎつけた(指導教員である私が最終許可を出す)。
締切り一日前。
論文原稿というものは、校正をすればするほど、表現の適切性が高まり、論旨の流れがスムースになり、説得力が高まる。
なので、早く提出することは論文の価値を上げるのを止めることであり、意味がない。
だから、私は学生たちの最後の壁となって、幾度も原稿を跳ね返し、ぎりぎりまで修正に修正を重ねて、少しでも良い論文に仕上げさせる。

昨年までは、大学で学生と一緒にパソコンの画面を見て内容をチェックしていたが、今年はワードの校閲機能をつかって、ネット上で原稿をやり取りした。
この方が修正箇所が全て判るのでやりやすいことがわかった。

かくして、ほとんどの学生にとっては一生に一度となる大論文を完成させた。
それを書けるようにするのが大学教員の役割。
でも、卒業後は、このような論文(論理的な文章)が書けなくなるのが、大学院の社会人を見るとわかる。
もったいない(といっても、書く用事がないもんな)。

さて、卒論提出は、学生だけでなく、指導教員である私にとっても大きなヤマを超えたことになり、さらに今年中に作成すべき書類も提出した。
今年の業務は、明日の授業1コマを残すのみとなった。


この2年最大のヤマ超え

2019年12月13日 | お仕事

今週は、仕事上の勝負の週だった。

2年前に大学院の研究科長に選出された際、研究科の組織改革を託されたのだが、任期中なかなか進捗しなかった(なのでもう2年再任された)。
来期の入試制度変更の期限ともいえる12月、今週の火曜の会議で、やっと会議の構成員全員から承認される改革案を提出し、承認された。
これはその日のブログ記事にしたが、ここからが学内の関連組織を走り廻るスタート。

翌水曜は、入試課に研究科で承認された改革案を説明し、その日の全学入試会議でも報告(まだオーソライズされていないが)。
木曜は、来週開かれる大学院委員会の事務局に、議題として改革案を提出。
そして金曜の今日、大学組織のトップである理事長に対して、学長や事務局長も同席する中、 改革案を説明。
その場で理事長の承認を得た。
トップの承認を得たので、来週の大学院委員会も問題なくなった。
かくして、私に課せられた最大の仕事をやりこなす事ができた。
期限的には、ギリギリセーフ。
まずは、気分だけでも解放館にひたりたい。


最大のヤマを超える

2019年12月10日 | お仕事

大学院の研究科長(学部の学部長に相当)の私にとって、この2年間の最大のヤマである組織・カリキュラム改革案が、年末ぎりぎりの研究科委員会で承認された。
過去二回出した案が承認されず、修正に修正を重ねて三度めの正直。 
もちろん私一人の頭ではなく、周囲の知恵を借りて、誰もが納得する案ができ上がった。

質問はあっても批判は一つも出ず、すんなり承認された。

あとは、学内の承認を次々にとって、最後は理事会の承認を得る。 
まだまだステップは長いが、ここから先はある意味事務作業。

その会議の後は、職場の忘年会。
しかも愛知の幻の銘酒”空(くう)”も呑めるので、解放感にひたりたいところだが、
早速大学提出用の書類作りに励まなくてはならない。
”空”を中心にいただき、早めに失礼した。

それに4年生の卒論締切りも迫っている。
解放感にひたるのは、卒論提出が終わる来週末までお預けだ。 


カエル館(パワースポット)の調査結果を論文に

2019年11月26日 | お仕事

今夏に実施した茶臼山カエル館(長野県根羽村)での来館者に対する身体反応の調査結果を論文にして、学部紀要に投稿した(活字になるのは来春3月)。

期間中に反応を示した600名余の約半数が調査(反応の種類や部位に回答)に協力してくれた。
この数だけでも、パワースポットとしての”確かさ”が判るというもの。

パワーが計測され、身体反応が実際に起きる本物のパワースポットを、(大学紀要といえども)学術的に紹介することになる。


授業中に Siri が反応

2019年09月25日 | お仕事

今日から、後期の授業開始。

久しぶりなので、機材の操作に戸惑う。

びっくりしたのは、授業のプレゼンに使っているiPadの Siriが反応して、私に向って喋りだしたこと。
確かに「シンリガク(心理学)」と発音した時だった(でもその前に「ヘイ」と言った記憶はない)。

それに続いて私は、「方法論的個人主義」の説明をしたつもりであって、
Siriに向って「デートして」とは断じて言ってない。

ところがSiriはそう受け取ってしまい、女性の声で「ありがとうございます。でも、私はデートはしないんですよ。人間とは」と返した。
その間、私は唖然となっていたので、その声が教室に響き渡った。

我に返った私は、あわてて今の相手は女性ではなく、 iPad内のSiriであることを学生たちに説明した。
私のSiriは少々自意識過剰なようだ。 


明治村に「遠足」

2019年04月06日 | お仕事

大学1年生の遠足で今年も「明治村」に行った。
今日は陽気もよかったせいか、例年より人出が多かった。 

今の大学で遠足は当たり前だし、
その内容(見学した建物や”300円”など)も、毎年の記事と同じなので、もう記さない。

新入生が同級生や教員に馴染んでくれればいい。

個人的には、明治建築に特化した明治村よりも、世界の住居があつまる(同じ名鉄が経営する)「リトル・ワールド」の方が好きだが、

明治村1番の建物といえるフランク・ロイドライト設計の帝国ホテルロビーは、
見るたびにその意匠(デザイン)の効果に感心させられる。

明治期に日本に入ってきた煉瓦造りの建物は、地震国日本では人的被害を高めることがわかったので、
その後は衰退したのだが(現存しているものは耐震補強されている)、
大正12年8月、東京日比谷に完成したこの”煉瓦”造りは、
完成の翌月に発生した関東大地震(大震災)に見事に耐えた。

なぜ耐えたのかは、建物の中を見ればわかる。
柱を多用し、天井を低くすることで、内部で支え、上からの崩落を避ける構造になっている。
そして、内部空間が狭くなった分、それを逆用して、フロアを多様な空間に分割した。
そのような空間の細分化は、狭い空間を有効利用する日本人の嗜好に合っている。

彼の意匠をまねるわけではないが、私の研究室も、不必要に明るい照明を使わず、
間延びした1つの空間を複数空間に分割しようと思っている。


壇上からみた入学式

2019年04月03日 | お仕事

勤務先の大学の入学式に出席した。
先月の卒業式と同じく、壇上の最前列に坐って、お辞儀要員としての仕事を果たすため。

緞帳が上って、壇上から客席を一望すると、前月の卒業式のようなカラフルさがまったくなく、
ほぼ入学生の全員が黒のスーツ姿(例外を発見できず)。
髪も黒くしかも量も多いので、襟から覗くブラウスの白と顔の肌色以外は客席はほぼ黒色で占められていた。
なので卒業式よりも、学園葬の風景に近い印象。

以前の入学式では、スーツにしても明るいグレーなど、カラフルではなくても明度はもう少し幅があったと思う。
ただ、壇上のこちらも黒の礼服集団の一員だから文句をいう資格はない。
まぁ大学入学の時点で、就活にも礼服にも使える服を揃えておくのは悪くはない。
あまり壇上でキョロキョロできないので、客席の観察はこの程度にしておく。

次いで、式が始まり、お辞儀要員としての作業をこなしながら、
在学生代表や入学生代表の壇上での振舞いをチェックする。
いずれも、お辞儀は両手を体側面に当てての学校式(小笠原流とは微妙に異なる)で(もちろん学長・理事長も)、
誰かが”ビジネスマナー”として拡げた拱手(肘を不自然に張って両手を前で重ねる)でなかったので安心した。

ここまでは卒業式とほぼ同じだが、
入学式の時だけ、式典が終わって学長・理事長と来賓が退席した後、
壇上の我々だけが残されて、大学の役職者として紹介を受けるのだ。
今までは我々役職者集団は一緒に坐ったままで浅いお辞儀(会釈)をしたが、
今度は一人づつ紹介され、立って客席に向ってやや深いお辞儀(敬礼)をする。
お辞儀要員の一番の見せ場だ。

こういう儀式の場合、最初の人の振舞いが模範として続く者たちに踏襲される。
以前、最初の教員がお辞儀した後、退席して消えてしまったので(本来は着席するだけ)、
続く教員たちも次々そうせざるをえなかったという(最後の教員はたった一人残された)。
今回の最初の教員は、幸い、退席することも、尻餅をつくもともなく、
つつがなく振る舞ってくれたので、2番目の私もつつがなく振る舞えた。

実は、今回の入学式だけ、例年の国際会議場が借りられなかったため、
会場が名古屋市公会堂になった。
そこは狭いため、入学式が午前と午後の2回に分けられた。
なので、客席の風景から私のお辞儀までの流れは、そっくり2回繰り返された。

ちなみに名古屋市公会堂は、東京の上野公園に相当する鶴舞(つるま)公園内にあるため、
今日は(平日にもかかわらず)満開の桜の花見客でぎっしり(露店もずらり)。
しかも、春の甲子園での決勝で、地元愛知の東邦高校が平成の最初に続いて最後も優勝した。
この地で入学式を終えた今年の新入生は、最高のお祭り気分になれたろう。


卒業・修了式に出席

2019年03月15日 | お仕事

勤務先の大学の卒業・修了式(大学院は卒業ではなく「修了」という)に出席。
私は今年度から役付き(研究科長)になったので、それなりの役割がある。
まずは舞台上の最前列、学長・理事長の並びに着席することになった。
もちろん礼服着用。

緞帳が上ると、1階の座席は晴れ着姿の卒業生で満席。
なにしろ我が校は女子大では日本最大規模なのだ。
この壮観を見渡したいが、彼女たちから逆に視線を浴びている側なので、
壇上最前列でキョロキョロするわけにもいかない。 

最初に全員で校歌を歌い(歌詞カードが手元にある)、
次は学長が大学院と各学部の代表に学位記(卒業証書)を渡す。
学長や学生代表が壇上を行き来するたびに我々側にお辞儀するので、
そのたびにこちらも座ったままお辞儀を返す。
そう、私はお辞儀要員。

学長、理事長が”送る言葉”を話し、修了生と卒業生の代表がそれぞれ”お礼の言葉”を述べる。

最後は、また全員で「蛍の光」を歌う(歌詞カードなし)。
歌ってみると確かにこの歌詞は卒業式にふさわしい(だだし、勉強は明るい照明の元で)。 

ホールでの式典は終わりだが、本日の式はまだ後半がある。
この後は、研究科・学部学科ごとに部屋に移動して、そこで個別に学位記を渡す。

私は研究科長として、当該の修了生一人一人に学位記を渡し、
最後に餞(はなむけ)の言葉を述べる。
これは私単独の役目なので、本日は休むわけにはいかないのだ
(一般の教員は出席の義務はない)。
研究科の修了式は人数が少ないのですぐ終わった。 

だがこれで終了でない。
学科の部屋に行って、100人以上いる学科の授与式に1教員として参列し、
授与される学生一人一人に拍手を送る。
そして最後に教員一人づつ餞の言葉を送る。
最後の最後まで、教え子を訓導したがるのが教師の性(さが)だ。

私は何を語ったかというと、
大学院生の修了式では、18年もの学歴の最後なので、
これからは自分が自分の指導教員になるようにと述べ(実はこれ涅槃経の受け売り)、
学科の卒業式では、学生時代に得た友こそが宝であると述べた。

実際、父の葬儀の時、
父の学友の方から、われわれ家族(妻や子)が知らない青年期の父の話を聞いて、
家族以上に人生を長くつきあう学友とは、実に貴重な人たちだと痛感した(家族にとっても)。
本日卒業・修了する学生たちも、その友を得て巣立っていくことを願う。 


学園葬に参列

2019年02月16日 | お仕事

我が勤務先の学園長が元日に亡くなった。
後期授業と入試が終って一段落した2月16日(土)、その学園長の学園葬が、名古屋城を臨むホテル名古屋キャッスルで執り行われた。

私がこの学園に奉職する時、最後の面接を受けたのが学園長(当時は理事長)だった。
定職のなかった私を正規に雇ってくれた最初で最後の恩人。

なので、個人的な思いもこめて学園葬に参列した。
といってもホテルでの”お別れ会”なので、喪服ではなく、「平服」の指定。
私は儀式用の礼服はあるが、日頃はスーツを着ないので、逆に平服(ダークスーツ)に戸惑った。
幸い大昔に買ったネイビーブルーの上下がなんとか今でも着れるので、あとはあえて地味なネクタイを近所で買って、どうにか「平服」をしつらえた。

会場のホールには祭壇の花の上に故人の写真が大きく飾られている。
現理事長は弔辞の途中に感極まった。
形式的な言辞で終るよりよい。
参列者はそれぞれ祭壇に菊の花を捧げる。

それで終るものと思っていたら、隣のホールに立食が用意されていた。
帰京するので、一口だけいただこうと思っていたら、すでに退職した元同僚を発見。
立食を忘れて、ソファーに座ってつもる話しに花(今回は菊花)を咲かせた。
確かに見渡すと、退職した人たちがたくさん来ている。

こう言ってはなんだが、法事って、懐かしい人との再会の機会を与えてくれる(結婚式もそうだが)。
故人が人々を集めてくれるのだ。 
これもまた、故人からの恩恵といえる。 


一年で一番緊張する日

2019年01月19日 | お仕事

昨日、今年度の授業が終わり、これからは”年度末モード”に入る。 
年度末モードは後期試験・卒業などの今年度の幕引きと入試などの来年度の準備に追われる期間。
つまり授業はなくなるが、それに代わる業務が待っている。 

その皮切りに迎えた本日は、大学が一年で一番緊張する日。
当然、従業員である私も、一年で一番早い出勤と一番遅い退勤の間、その緊張を味わい続けた。
申し訳ないが、そこで起こった事を語るのは禁じられている。
何の日であるかは、ニュースで伝えられているので察していいただきたい。

インフルエンザの流行と降雪のシーズンの中、幸いにも晴天で、交通機関も支障なく、
教職員総出でこの日を無事に乗り越えることができた(行事としては明日もあるのだが、私はお役御免)。

とにかく、一年で一番の緊張の日を無事終えたので、帰宅後、500mlビールで祝杯(普段は350mlの発泡酒、いや第三のビール)。

明日の日曜は、のんびり家に居て、レポートの採点と、年末できなかった部屋の大掃除に費やす。 
とうことで、今月の温泉旅は無し。 


卒論指導から解放

2018年12月21日 | お仕事

本日で今年の担当授業が終り、また卒論の締日でもあり、私が指導する学生も全員無事に提出できた。

わが心理学科は、本気で卒論を書かせるので(もちろんほとんどが実証研究)、4年生になって一番苦労する。
指導教員としての私は、1文字分でもいい論文にするため、心を鬼にして妥協無しのダメ出しを繰り返す。 
勿論、どこをどう直せばいいかアドバイスするので、学生は一晩かけてきっちり直してくる。
すると私は別の問題箇所を指摘し、 また直させる。
これを繰り返すことで、原稿の論理も表現もレイアウトもどんどん良くなる。
最後は、表題の表現についてもあーだこーだと議論をして、ベストな表題を絞り出す。

かような試練を乗り越えてやっと提出にこぎつける(私が印鑑を押す)。
学生は一挙に解放感を得るが、私は最後の指導学生の提出(締切2時間前)を見守ってやっと解放感を得る。

というわけで、私も指導学生全員分の解放感を得て帰京の途についた。
私自身、業務書類の提出を終え、授業準備からも解放されて、実質的な冬休みに入る。  


安堵と失意と出費の日

2018年11月27日 | お仕事

役職付きになったことで、通常の業務に加えて会議と報告書作成に追われる身となった。
官僚的文書の作成に慣れないため、再三の訂正の末、本日やっと報告書が事務局に受理された。 
これでホッとした。

その今日は、研究論文提出の締め日。
だが提出しない旨を昨日伝えていた。

毎年、2本の論文執筆を自分のノルマにしていたが、ついにそれに達しない時が来てしまった(今年は1本だけ)。
報告書作成のせいではない。
予定していたデータ分析に必要な予算的・能力的準備が足りなかったためだ。
その研究に代わって他のテーマの論文にしようかと手をつけてみたが、こちらも新境地を開拓する必要があるため、頭脳的にまったく進まなかった。
今の自分が抱えている複数の研究テーマが、それぞれ折り返し地点に達したため、従来の延長上の思考・データでは済まなくなっているのだ。 

さらに今日は、買って3年目の車検に出した車を受け取る日。
その車を受け取るために20万円が飛んだ。 
車は外装もきれいに磨かれていて、新車に乗る気分。 

安堵と失意と出費を経て、小さな脱皮をしたのかな。


入学式に初めて出席

2018年04月03日 | お仕事

職場の大学の入学式に初めて出席した。
普通の教員は用がなく席もないので出席する理由がなかったから。

私は今年度から役付きになったので、舞台上の来賓席に座ることになる。
しかも最前列の真ん中の椅子が宛てられた。

この事態に備えて、実家から礼服を持ってきていた。
礼服自体、亡父の数年前の法事に着て以来で、更に白いネクタイを締めるのははるか昔、たぶん教え子の結婚式以来か。
今後は、入学式と卒業式の年2回礼服を着て、壇上の最前列に座ることになる。

あいにく風邪がまだ完治せず、一定時間ごとに粘度の高い鼻水を勢いよく出す必要があることが心配になる。
壇上で勢いよく鼻をかむわけにはいかないが、とりあえずティッシュをポケットに忍び入れる。

会場は、卒業式と同じく名古屋国際会議場のセンチュリーホール。 

緞帳が上ると、目の前に拡がる客席すべてに新入生が座っている。
女子大では定員が全国最大だけある。
新入生のほとんどが黒のスーツだ(3年後の就活にも使えそう)。 
もっとも場面としては、こちらが見られている側なので、壇上であまりキョロキョロできない。

単なる来賓の一人なので、やることといっても、学長や新入生代表あるいは在学生代表などが祝辞・答辞の前後にこちらの列に向ってしてくるお辞儀に応えて頭を下げるのを繰り返すだけ。
式の最初と最後は会場の全員が立ってお辞儀をする。
要するにお辞儀要員だ。 

式典は30分ほどで終了したので、鼻水の対応に困ることもなかった。

数時間後、大学本部で辞令をもらった。
役職は大学院の研究科長。
大学での役職は、任期つきの持ち回りなので、昇級ではない。 
任期が終れば平の教員に戻る。 

明日は、学内で私が大学院生の入学祝いの挨拶をする。 
いつもの平服で。 


名古屋に日帰り出張

2018年03月20日 | お仕事

春休みを堪能していた私だが、余儀なく中断せざるを得なくなった。
名古屋の職場で会議が招集され、また取りに行かねばない書類があるのだ。 

その会議は、今までならサブ要員であったため、欠席することも可能だったが、来年度(来月)から主要メンバーになるため、内容を把握しておく必要がある。
書類の方は今週中に対応しなくてはならない内容で、しかも学生の個人情報が盛られているため(要するに学生指導)、ネットで送ってもらうわけにもいかない。

もちろん、常勤教員としていつでも職場に馳せ参じる状態でなくてはならない。
幸い会議は昼過ぎからで、書類は自分用のボックスに取りに行けばよい。
なので、東京からでも時間的には日帰りが可能。
ただ運賃が往復2万円を要するのが痛い(額はいつでも同じだが、日帰りだと割高感が半端ない)。
私が勝手に実家に帰っているわけだから、自己責任として涙をのむ(自腹)しかない。

というわけで、 11時前の新幹線で名古屋に行く。
本部キャンパスでの会議はたった30分で終った。 
ついで数キロ離れたキャンパスに公共交通機関を使って行き(いつも利用する学内バスはこの時期、間引き運転なので)、事務室で書類を受け取り、ついでに捺印が必要な書類に捺印し、幸いタイミングが合った学内バスで本部に戻り、そこから帰宅の途につく。

実は、スムースに事が運べば、帰りは運賃節約のために18きっぷ(運賃が1/4)を使おうかと目論んでいたのだが、会議はスムースに終ったもののキャンパス間の移動に時間をくってしまい、今から18きっぷで帰ると東京に着くのが夜10時をまわってしまうので(しかも最短の乗り継ぎのため夕食抜き)、帰りも新幹線にした。
日帰りで2万の交通費の出費は痛い。 
せっかく湯河原の宿で1万円得したのが帳消しになった。