ここ数日、ある楽曲のメロディが、頭の中でよく奏でられる。
といっても、これは受動的な、すなわち能動的な意思によらない聴覚表象で、幻聴ではない。
双方とも自分の能動的意思によらないという点は同じだが、双方には聴覚経験において質的な差がある。
聴覚表象は、音質・音量ともに表象できるが情報精細度が低く、例えば同時に奏でられるオーケストラの各パートは識別できない。
記憶が元なので、全曲正しく再生できる保証はない。
頭の中での記憶の再生なので、視覚表象が光を持たないように、”鳴る”という感覚的受動経験がない。
それに対し幻聴は、外部の音のように音が”鳴る”(という)。
私自身は、幻聴経験は乏しい(夢は幻聴を含む)が、耳鳴りは止まることなく持続している。
耳鳴りは、文字通り、キーンという特定の周波数の音が”鳴っている”(私の場合、周波数の低い複数の中低音の耳鳴りとのポリフォニー)。
この耳鳴りの音と、表象する音とでは、鳴っている音と心の中でイメージ的に再生している音との体験の質的違いがある。
たとえば耳鳴りは左右の内耳によるため、左側と右側で音の違いがあり、その意味でのステレオ効果があるが、音楽の聴覚表象はステレオ的広がり・左右差がない。
耳鳴りは右の内耳と左の内耳がそれぞれ右脳と左脳に情報が入り、それがそのまま経験されるが、聴覚表象は脳内の担当部位(右前頭部?)が興奮するだけなので、左右の脳の分業がないためだ。
聴覚表象は、感覚過程なしのイメージ表象なので、音が鳴らず、低精細なのだ。
ところが耳鳴りや幻聴は、より低次過程の感覚過程に近い箇所が、感覚入力なしの状態で勝手に興奮する現象といえる。
鳴ってもいない(鼓膜を揺らさない)音が耳元で鳴り響く経験は不思議といえば不思議だが、人間の脳は無感覚状態が嫌いで、勝手に感覚情報を作ってしまう性向があるらしい。