いやぁ、旅は楽しいけれど悔しい思いをしたことも・・・
昨年日光に行った。
なんと、東照宮の陽明門が工事中であった。
もちろん、修復工事が大切なことは分かっている。
事前の予習が足りなかったことがいけないのだ。
期待に胸を膨らませて、いざ・・・
がっかりするわけである。
あれは7年前、2006年の12月30日のことだ。
関西旅行をした。
高校3年生の時、修学旅行1日目で帰宅したゆきたんく。
いや、訳はここでは言わないでおこう。
その1日の大部分を奈良で過ごした。
28年ぶりの奈良訪問である。
鑑真さんの開いた唐招提寺にはぜひとも行きたかった。
そして
あらら、奈良時代建立の金堂が・・・
山門を入って、正面に・・・
目が点になった。
金堂がない。
いや、2000年から「平成の大修理」が始まっていたのである。
事前の予習が足りなかった・・・
奈良で一番予習したのは、ミニ・ボロブドゥールの「頭塔(ずとう)」であった。
修理はしょうがない。
心の準備ができていなかったのでショックが大きかったのである。
「あぁ、28年ぶりの奈良なのに~」
うん、これは自分が悪い。
ショックも受けるが、立ち直りも速い、「深く考える」機能のついていないゆきたんくである。
759創建から1250余年の歴史中の10年間がこの修理に当てられている。
もちろん、帰宅後に調べたので分かったことだ。
そのたった10年間の姿を見ることができる人間は限られている。
そう、こういうおめでたい思考に行きつくのがゆきたんくである。
そうなれば、とことん見てやろう(笑)
先ほどまでの落ち込みはどこへやら。
わくわくして近づいたのである。
そう、まさに工事現場入り口の様相。その右には「拝観者入り口」の立て看板
これぞ普段見れないような解体された金堂。
パーツに分かれてしまっている金堂を見ることができた。
しかし、なぜかそれらにカメラを向けなかったゆきたんくである。
自分の脳裏に焼き付けるように一つ一つのパーツを凝視したのだ。
それらは、この窓からみることができた。
しっかりと耐震補強の施された建屋の中での改修工事である。さすが日本人の心遣いだ。
現在工事は終了し、今訪れれば金堂の姿は見ることができる。
ぜひ近いうち自分の目でしっかりと見たいものである。