3番目は長崎原爆資料館である。
長崎グラウンドゼロにある、浦上天主堂の遺構がゆきたんくの心には強く残っていた。
しかし、長崎の旅の帰宅後に写真整理をしていて・・・
ゆきたんくは旅でたくさんの写真を撮るが、瞬時に判断して撮ることが多く、何を撮ったかを明確に覚えていることは少ない。
景色などは、構図を決めてから撮るので比較的覚えていることもある。
資料館や博物館などでは写真撮影可であっても、他の方のことを考えて撮影には時間をかけない。
だから、帰宅してから、「あっ、こんな写真を撮ったんだ。」と驚くこともある。
長崎原爆資料館での写真を見て、「あっ」と息を飲んだのがこれだ。
何だかお分かりになるだろうか・・・
広島原爆の稿では「この辺り一帯は3000度から4000度の高熱になり、ほとんどの人が瞬時にその命を失ったという。」と書いた部分があった。長崎原爆は広島原爆よりも威力の強いものだ。
地形により、被害の広がりは浦上川に沿ったものになったが、広島と同じ地形だったらば、さらに大きな被害になっただろうと言われている。
さて、上写真は、ガラスと人の手の骨が、あまりの温度に溶けてくっついてしまったものである。
これは爆心地付近で見つかったものだという。