子どもに帰ってしまう。
次男を連れて交通博物館に来たのは良いが、わくわくしているのは息子ではなくて自分であった。
いろいろな思いが頭の中を駆け巡るのである。
ゆきたんくを交通博物館によく連れて行ってくれた母は、自分が19の時に亡くなった。
自分の子供たちは祖母であるゆきたんくの母に会っていないのだ。
ゆきたんくの実家が東京なので、子ども達は、「東京ばあちゃん」と呼んでいる。
次男には、東京ばあちゃんがよく連れてきてくれたことを話し、中を見て周る。
遂に乗れなかった「ひので号」
自分が幼稚園児の時に買ってもらったカラー図鑑に載っていた「ひので号」。
中学生になって修学旅行に行く時に乗れることを楽しみにしていたが、ゆきたんくが行く4年前までで廃止。
ついに乗ることはできなかった。
そんなことを次男に話す。
次男はよく話を聞いてくれたが、しょうがねぇ親父だと思ったに違いない。
そして現在の鉄道博物館との大きな違いであるが、交通全般を扱っていた交通博物館の展示物も貴重であった。
富士重工業のすばる
マツダの自動三輪
他にも自動車の展示物はあったが、ゆきたんくが自分の目で走っているのを見た2台である。
次男は興味を示していた。
「カーブでひっくり返らないのかなぁ。」
そう、何を見ても新鮮なもっと小さい頃に連れてこれなかったことを悔いる。
長男は、ついに連れて来れなかったのである。