3月6日月曜日の朝、駒込駅前のビジネスホテルの窓から見た桜は芽は膨らんでいたが寂しいものだった。
ゆきたんくの心も、義父の告別式を控えて寂しかったから余計らにそう思えたのかもしれない。
49日法要を行った昨日にその桜を見る機会があった。
満開の時期は過ぎ、葉桜になりかかっていた。
終わりゆく命があり、つないでいく命がある。
この桜の花や葉に当たるのが、ゆきたんくやのりたん、そして息子たちと考えて精一杯生きねばと思う。
3月6日月曜日の朝、駒込駅前のビジネスホテルの窓から見た桜は芽は膨らんでいたが寂しいものだった。
ゆきたんくの心も、義父の告別式を控えて寂しかったから余計らにそう思えたのかもしれない。
49日法要を行った昨日にその桜を見る機会があった。
満開の時期は過ぎ、葉桜になりかかっていた。
終わりゆく命があり、つないでいく命がある。
この桜の花や葉に当たるのが、ゆきたんくやのりたん、そして息子たちと考えて精一杯生きねばと思う。