家内の父が病気で2年半前に亡くなったが、
心身元気でいられた頃は、私達夫婦は家内の両親と四人で旅行に行ったりした。
私が現役時代の40、50代の頃、
近場であったが箱根、伊東、土肥、草津、伊香保、
川治などの温泉地に1泊2日か2泊3日で行ったりした。
年末年始の時は、大晦日に来宅して貰い、
お年取りをして、元旦か2日まで滞在して頂いたりした。
4月の桜が咲きはじめた時、
家内の父と私達は新宿御苑に花見に行った・・。
私の土曜休日を利用して、新宿の伊勢丹のデパート前で10時に待ち合わせた。
私達は手提げ袋に一畳のビニール・シートを2枚、
薄い毛布と読み込んだ雑誌を5冊前後を持参した。
家内の父と伊勢丹で無事に逢い、地下1階の食料販売で、
お弁当、つまみとなる単品、そして地酒とビールを購入した。
新宿御苑に入ると、大島桜、枝垂れ桜、染井吉野、山桜などがあるが、
その咲き頃に応じて、その桜の樹の下にシートを敷き、寒さ避けに薄い毛布、雑誌など配置した。
春の陽射しの中で、桜を愛でながら、3人で2畳ほどをゆったりと座った。
こうした花見が3年程、続いた・・。
二年目の時だったか、私達がいつもの様に2畳ほどの中心に食べ物を置き、
地酒、ビールを呑みながら、つまみを食べていた時、
外国人の3人のひとりが私達にカメラを向けた撮っていた・・。
その後、私は撮影された方と微笑をしながら、単語を並べながら、話し合ったりした。
帰路は、いつものように新宿駅に近いお蕎麦屋に寄った後、
家内と父と別れた・・。
家内の父が亡くなった時、遺影写真を家内の母と家内が選定していた時、
『この表情・・お父さんらしく・・明るく写っている・・』
と家内の母が言ったという。
この一葉は、花見の時、桜の樹の下で家内の父を私がさりげなく撮った一枚であった。
心身元気でいられた頃は、私達夫婦は家内の両親と四人で旅行に行ったりした。
私が現役時代の40、50代の頃、
近場であったが箱根、伊東、土肥、草津、伊香保、
川治などの温泉地に1泊2日か2泊3日で行ったりした。
年末年始の時は、大晦日に来宅して貰い、
お年取りをして、元旦か2日まで滞在して頂いたりした。
4月の桜が咲きはじめた時、
家内の父と私達は新宿御苑に花見に行った・・。
私の土曜休日を利用して、新宿の伊勢丹のデパート前で10時に待ち合わせた。
私達は手提げ袋に一畳のビニール・シートを2枚、
薄い毛布と読み込んだ雑誌を5冊前後を持参した。
家内の父と伊勢丹で無事に逢い、地下1階の食料販売で、
お弁当、つまみとなる単品、そして地酒とビールを購入した。
新宿御苑に入ると、大島桜、枝垂れ桜、染井吉野、山桜などがあるが、
その咲き頃に応じて、その桜の樹の下にシートを敷き、寒さ避けに薄い毛布、雑誌など配置した。
春の陽射しの中で、桜を愛でながら、3人で2畳ほどをゆったりと座った。
こうした花見が3年程、続いた・・。
二年目の時だったか、私達がいつもの様に2畳ほどの中心に食べ物を置き、
地酒、ビールを呑みながら、つまみを食べていた時、
外国人の3人のひとりが私達にカメラを向けた撮っていた・・。
その後、私は撮影された方と微笑をしながら、単語を並べながら、話し合ったりした。
帰路は、いつものように新宿駅に近いお蕎麦屋に寄った後、
家内と父と別れた・・。
家内の父が亡くなった時、遺影写真を家内の母と家内が選定していた時、
『この表情・・お父さんらしく・・明るく写っている・・』
と家内の母が言ったという。
この一葉は、花見の時、桜の樹の下で家内の父を私がさりげなく撮った一枚であった。