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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

割り箸(ばし)は、日本文化のひとつであるが・・♪

2007-03-21 20:22:00 | 定年後の思い
ネットのニュースを見ていたら、割り箸をリサイクルされた、と読んで感心した・・。

毎日新聞の配信記事であるが、好感したので、無断であるが転記させて頂きます。


年間約20万人が訪れる新温泉町の湯村温泉で、
旅館・ホテルの宿泊客が使った割り箸を回収して、
リサイクルに役立てようという活動が実を結び始めた。
昨秋結成された若女将の会『ゆむらなでしこ』(6人)が20日、
半年間に集まった割り箸約2万5000膳分を鳥取県・米子市の製紙工場に届けた。

工場を見学した同会代表の朝野尚美さん(38歳)は、
『勉強になりました。
益々リサイクル活動に頑張っていきたい』
と意欲を燃やしている。

地球環境の為に、地域や学校でも資源を大切にすることの重要性を考えるきっかけになれば、
と同会が昨年の9月から始めた。

同温泉のホテル・旅館計七軒が協力。
集まった割り箸は約2万5000膳分、約100キロに上る。

この日は同会のメンバー5人が、
割り箸を詰めた段ボール7箱をワゴン車に載せ、
王子製紙の米子工場に。
割り箸はチップにされ、3膳分(12グラム)でA4サイズのコピー用紙1枚に、
2500膳分(10キロ)ならティッシュ・ペーパー15箱になるという。

宿泊客が使った割り箸は、水洗いして乾燥させるが、
保管場所が中々ないのが悩みの種、と朝野さん。
『捨てたらただのゴミ。
町を挙げて協力してもらえば、湯村温泉のイメージアップにもつながると思います』
と話していた。

以上が毎日新聞の配信記事の全文です。


私は食事を頂いたりする時は、割り箸を愛用している。
利休箸と通常の割り箸を使い分けている。

割り箸は日本文化のひとつと確信しているので、
年金の身の私であるが、ささやかに食べ物の友としている。

ときたま、もったいないと思うけれど、春先のひとときは草花の養育の支えとして使っている程度であり、
後は残念ながら捨てている現状である。

今回、割り箸をこのようにリサイクルに活用されている記事を拝読し、
こうしたささやかな言動こそ、環境問題を解決させる確かなひとつの行為と思っている。

環境問題は、発言するのは幼稚園児でも出来るが、
具体的な行動は中々出来ないのが昨今である。

ここ10年、公共の場所を汚す程度の低い人々が蔓延(はびこ)っているのに憂いている私であるが、
こうしたニュースを読了すると、心を爽やかになる。


尚、割り箸は超高級品は無知であるが、
多くは森林で不可欠な間伐を行う時の間伐材が活用されている。

幼稚な環境問題に発言される人々に、誤解のないように明言を備えておきます。








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紫煙たなびく日・・♪

2007-03-21 14:46:00 | 定年後の思い
彼岸の中日、家内と長兄宅を辞した後、お墓参りに行く。

お米とお線香を持参し、花屋に寄った後、山門から入山する。

修復された山門の手前にある『曹洞宗 雲松山泉龍禅寺』の石碑が陽射しを受けていた。

わずかばかり寄進した山門を見上げ、本堂への石畳を歩き、鐘楼門を通った後、境内を抜けた。
春分の日なので、私達と同様にお墓参りの人達の人影が多い。
通行門と境内の片隅に臨時の花屋の即売店が店開きをしているので、
春の花の香りが漂う中、墓地に向かう。

家内は墓石を水で清めた後、花を捧(ささ)げ、
私はお線香に火を点じたりした。

紫煙がたなびく中、私は母、次兄、父、そして祖父への想いを託したりした・・。

心寄(こころよ)せ 紫煙の匂い 歳月に

いくたびか 花をささげて 手を合わせ

私は拙(つたな)い句など詠んでみたが、
才能のない私には無理と思え、家内をうながして帰路とした。

帰宅すると、午後の陽射しの中、ラッパ水仙の黄色、
鈴蘭水仙の可憐な純白の群生した花が迎えてくれた。
 


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されど、お墓参り・・♪

2007-03-21 07:24:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、薄日の射す朝を迎えているが、
日中は快晴となり、13度前後の穏やかな日が予測されている。

彼岸の中日なので、長兄宅に行き、他愛ない話をした後、
お墓参りに行く。

私はお墓参りは生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
生を受け、両親、祖父母、親族、祖先のお陰で私がこうして生きているので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

『春分の日』と称されているが、自然を讃(たた)え、生物を慈(いつく)しむ日、
と制定の時に定義している。

知識人・藤野邦夫・氏に寄れば、
ご先祖を尊(うやま)い、偲(しの)ぶ変りに、生きているものを慈(いつく)しむ日、
と解説されている。

私達夫婦は、それぞれ故人から頂いた心の思い大切にし、
何気なく手を合わしている・・。

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