10時半過ぎに、散髪屋(理髪店)に行き、樹木の花の話などをした。
梅の花が散った今、マンサク、コブシ、沈丁花が何処は咲いている、
なとどの他愛のない話である。
帰宅後、家内と昼食をすますと、これといって特に用事がなく、
ぼんやりとこのサイトに綴ったのを見たりしていた・・。
このサイトに綴りはじめて2年4ヶ月過ぎているが、
ほぼ毎日数通は投稿しているので、少なくとも2000通は越えている。
定年退職後の一ヶ月後から投稿しているので、
その時の思いが素直に熱く綴っていて、自分ながら微笑ましく思ったりした。
そして綴りの幼さもあり、ときおり赤面したりしているのである。
私は過ぎ去った日々の綴りを読むと、自分に優しく、甘くなれるのに驚いたりしている。
日本酒に詳しい研究家の太田和彦・氏の言葉をお借りすれば、
人はある年齢になると、新しさより古さを尊ぶようになる。
それは自分が生きてきた人生を肯定したいからだ。
確か月刊誌の『文藝春秋』2004年の12月に発売された時だったかしら、
と遠い記憶を思い出している。
梅の花が散った今、マンサク、コブシ、沈丁花が何処は咲いている、
なとどの他愛のない話である。
帰宅後、家内と昼食をすますと、これといって特に用事がなく、
ぼんやりとこのサイトに綴ったのを見たりしていた・・。
このサイトに綴りはじめて2年4ヶ月過ぎているが、
ほぼ毎日数通は投稿しているので、少なくとも2000通は越えている。
定年退職後の一ヶ月後から投稿しているので、
その時の思いが素直に熱く綴っていて、自分ながら微笑ましく思ったりした。
そして綴りの幼さもあり、ときおり赤面したりしているのである。
私は過ぎ去った日々の綴りを読むと、自分に優しく、甘くなれるのに驚いたりしている。
日本酒に詳しい研究家の太田和彦・氏の言葉をお借りすれば、
人はある年齢になると、新しさより古さを尊ぶようになる。
それは自分が生きてきた人生を肯定したいからだ。
確か月刊誌の『文藝春秋』2004年の12月に発売された時だったかしら、
と遠い記憶を思い出している。