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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

見城 徹・著の『編集者という病い』・・♪

2007-03-23 19:15:00 | 定年後の思い
過日、新聞で新刊本の広告に於いて、
見城 徹の著作の『編集者という病い』(太田出版)の発刊を知った。

私はここしばらく塩野七生・著作の『ローマ人の物語』シリーズを読んでいたので、
中断はしたくはなかったが、見城 徹・氏には私なりに注視していた人だったので、
この2日この本を読んだりしていた。

見城 徹・氏は、角川書店で名編集者後、出版社の幻冬舎を立ち上げ、
発展させた社長となっているお方である。

私が見城 徹・氏の名前を初めて知ったのは、
月刊誌の『カドカワ』で中島みゆきの特集記事で購入し、このお方の名を知った。
多分、平成の初めの頃かしらと思っている。

このお方は、魅了されたアーティストの新曲を発売されたら、直ぐに手紙を出す、
というのを読んで私は驚いたのである。
大手の出版社の編集部署では多忙な身と思われるので、
たとえ思いがあっても中々できないことである。

こんな思いがあり、私なりに注視してきた人である。

昨今、編集に携わったお方の多くは、表現者として作家、随筆家となっている方が多い・・。

私はこのお方ぐらい睡眠時間を削り、表現者に圧倒的な熱意を感じさせる方が、
編集という立場で満足しているのかしら、と思い続けていた。

今回の本を読んでいた時、了解させられた。


・・・ぼくも小説書いてみようかなと気はあったんだけれど、
中上(健次)とか(高橋)三千綱とか見ていると、
やっぱり彼らは書かざるを得ない、
書かなければ救われない何かを持っているんですよね。

書かない限り生きていけないという・・
金銭的なものじゃなくて、
自分が成り立たないという病気のようなものを持ってるわけです。
それはもうはっきりわかる。
そうしたものが、おれにはない。

だったらおれはこいつらの媒体になって作品の手助けをしたいと思った。
そのためには、文芸の編集者にならなければと、
強く思っていました。
【第二章 SOUL OF EDITOR
P.144~145より引用】
尚、原文から勝手に改行をさせて頂きました。

このような発言に接すると、かって文藝誌の編集者の方々が、
退社後に随筆として5冊ほどの本を想いだされたりした。

編集者と表現者の作家との熱き苦闘の成果として、
ひとつの創作が発刊される、ということを・・。








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