昨夜、読売新聞の夕刊を読んでいたら、
11月1日は『古典の日』となった記事を読み、私は微笑んだりした。
先ほどは【YOMIURI ONLINE】を開き、
改めて記事を読みながら、喜ばしい限りと深く思ったりした・・。
【11月1日は「古典の日」、源氏物語千年紀式典で宣言】
と題され、
詳細の記事は下記の通りである。
【・・
源氏物語千年紀記念式典(源氏物語千年紀委員会主催)が1日、
天皇、皇后両陛下をお迎えし、国立京都国際会館(京都市左京区)で開かれ、
11月1日を古典に親しむ「古典の日」にすることが宣言された。
式典には研究者や一般公募の約2400人が参加。
記念講演では、源氏物語を現代語訳した作家瀬戸内寂聴さんが
「源氏物語には人間とは何か、愛とは何か、全部書かれている。
こんなにおもしろい小説はない」と話し、
日本文学研究者のドナルド・キーンさんが
「源氏物語は日本文学の最高峰で、世界の古典といえる」と述べた。
この後、源氏物語の第7巻「紅葉賀(もみじのが)」で、
光源氏が舞った舞楽「青海波(せいがいは)」などが披露された。
源氏物語千年紀イメージキャラクター、女優柴本幸さんが十二単(ひとえ)姿で
「古典を学び、私たちのよりどころとして、
世界の人々とさらに深く心を通わせよう」
などとする「古典の日」宣言を読み上げた。
京都市では2~4日、同会館などで
国内外の研究者らが参加する国際フォーラムなどが開かれる。
◆「古典の日」 1008年(寛弘5年)11月1日、
紫式部が仕えた藤原道長の娘、彰子(しょうし)が親王を生んだ祝いの席で、
藤原公任(きんとう)が「このわたりに若紫や候(さぶら)ふ」と、
源氏物語にかけて語ったことが「紫式部日記」に記されている。
これをもとに2006年、茶道裏千家前家元の千玄室さん、瀬戸内さん、
キーンさんら8人が「源氏物語千年紀事業」と、
伝統文化を見直す記念日の制定を提唱。今後は法制化も目指す。
・・】
以上が昨日11月1日13時18分で読売新聞が配信した全文である。
無断であるが、私は転記をさせて頂いた。
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
私は齢を重ねた64歳の年金生活の5年生の身であり、
日頃は小説、随筆、歴史書、現代史を読んだりすることが多く、
読書が何よりも好きなひとりである。
かといって日本の古典には疎(うと)く、
大学時代に国文科も専攻していないので、やむえず独学で学ぶ時もある。
ひとつの手掛かりとして、
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などで、
日本の上代、中古、中世、近世、近現代史などを読み、
あの本も読んでいなかった、と拙(つたな)い私は、
恥ずかしく下を向くことがしばしば体験しているのが実情である。
人々の営みの積み重ねが歴史となり、文化が育(はぐく)まれ、
この中で文学が生まれ、古来より数多くの作品が遺(のこ)されてきた・・。
紫式部・著の『源氏物語』もこの中のひとつであるが、
私は無念ながら現代訳すら整然と完読したことがなく、
齢ばかり重ね日本人として恥ずかしく思いながら、今日に至っている。
ネットの世界に於いては、『源氏物語』に関しては、
高千穂大学教養部の渋谷栄一・教授が開設されている
【GENJ-MONOGATARI】サイトが丁重に表現されてる。
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/
私はときおり拝読しながら、千年の前の男女の心情に思いを馳せて、
ときまく環境は大幅に変わり果てたが、心の迷い、うつろい、そして思いやりなどは、
千年過ぎても余り変わらないと感じたりしているのである。
このようにささやかな伝統を受け継がれているので、
『古典の日』は祝日として、日本人の心を祝う日にしても良いと思ったのである。
祝日法などがあるかないか無知であるが、
与野党の諸兄姉の議員は、賛成することがあっても、
反対することはないと想像するので、制定されたら、いかがでしょうか、
と微笑みながら思っているのである。
私の日常は女性の表情、しぐさに魅せられて60数年すぎている。
そして香水の香りは嫌いであるが、
お香の匂い、かすかな化粧の匂いは、限りなく好きな男性のひとりである。
11月1日は『古典の日』となった記事を読み、私は微笑んだりした。
先ほどは【YOMIURI ONLINE】を開き、
改めて記事を読みながら、喜ばしい限りと深く思ったりした・・。
【11月1日は「古典の日」、源氏物語千年紀式典で宣言】
と題され、
詳細の記事は下記の通りである。
【・・
源氏物語千年紀記念式典(源氏物語千年紀委員会主催)が1日、
天皇、皇后両陛下をお迎えし、国立京都国際会館(京都市左京区)で開かれ、
11月1日を古典に親しむ「古典の日」にすることが宣言された。
式典には研究者や一般公募の約2400人が参加。
記念講演では、源氏物語を現代語訳した作家瀬戸内寂聴さんが
「源氏物語には人間とは何か、愛とは何か、全部書かれている。
こんなにおもしろい小説はない」と話し、
日本文学研究者のドナルド・キーンさんが
「源氏物語は日本文学の最高峰で、世界の古典といえる」と述べた。
この後、源氏物語の第7巻「紅葉賀(もみじのが)」で、
光源氏が舞った舞楽「青海波(せいがいは)」などが披露された。
源氏物語千年紀イメージキャラクター、女優柴本幸さんが十二単(ひとえ)姿で
「古典を学び、私たちのよりどころとして、
世界の人々とさらに深く心を通わせよう」
などとする「古典の日」宣言を読み上げた。
京都市では2~4日、同会館などで
国内外の研究者らが参加する国際フォーラムなどが開かれる。
◆「古典の日」 1008年(寛弘5年)11月1日、
紫式部が仕えた藤原道長の娘、彰子(しょうし)が親王を生んだ祝いの席で、
藤原公任(きんとう)が「このわたりに若紫や候(さぶら)ふ」と、
源氏物語にかけて語ったことが「紫式部日記」に記されている。
これをもとに2006年、茶道裏千家前家元の千玄室さん、瀬戸内さん、
キーンさんら8人が「源氏物語千年紀事業」と、
伝統文化を見直す記念日の制定を提唱。今後は法制化も目指す。
・・】
以上が昨日11月1日13時18分で読売新聞が配信した全文である。
無断であるが、私は転記をさせて頂いた。
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
私は齢を重ねた64歳の年金生活の5年生の身であり、
日頃は小説、随筆、歴史書、現代史を読んだりすることが多く、
読書が何よりも好きなひとりである。
かといって日本の古典には疎(うと)く、
大学時代に国文科も専攻していないので、やむえず独学で学ぶ時もある。
ひとつの手掛かりとして、
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などで、
日本の上代、中古、中世、近世、近現代史などを読み、
あの本も読んでいなかった、と拙(つたな)い私は、
恥ずかしく下を向くことがしばしば体験しているのが実情である。
人々の営みの積み重ねが歴史となり、文化が育(はぐく)まれ、
この中で文学が生まれ、古来より数多くの作品が遺(のこ)されてきた・・。
紫式部・著の『源氏物語』もこの中のひとつであるが、
私は無念ながら現代訳すら整然と完読したことがなく、
齢ばかり重ね日本人として恥ずかしく思いながら、今日に至っている。
ネットの世界に於いては、『源氏物語』に関しては、
高千穂大学教養部の渋谷栄一・教授が開設されている
【GENJ-MONOGATARI】サイトが丁重に表現されてる。
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/
私はときおり拝読しながら、千年の前の男女の心情に思いを馳せて、
ときまく環境は大幅に変わり果てたが、心の迷い、うつろい、そして思いやりなどは、
千年過ぎても余り変わらないと感じたりしているのである。
このようにささやかな伝統を受け継がれているので、
『古典の日』は祝日として、日本人の心を祝う日にしても良いと思ったのである。
祝日法などがあるかないか無知であるが、
与野党の諸兄姉の議員は、賛成することがあっても、
反対することはないと想像するので、制定されたら、いかがでしょうか、
と微笑みながら思っているのである。
私の日常は女性の表情、しぐさに魅せられて60数年すぎている。
そして香水の香りは嫌いであるが、
お香の匂い、かすかな化粧の匂いは、限りなく好きな男性のひとりである。
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