私は年金生活の5年生で、64歳の身であり、
先ほど、総合月刊雑誌の『文藝春秋』のひとつの記事を読んで、
ここ50年ばかりの時代を正鵠に語る人もいた、
と衝撃を受けながらも思索していたのである・・。
『追悼 我が友、緒形 拳 最期のことば』と題され、
俳優・津川雅彦氏が語った記事である。
亡き親友ガタ(緒形 拳)の心友としての愛惜を語り、
自身の役者としての軌跡も真摯に見つた発言であったが、
私は何より驚いたのは、ここ50年ばかりの時代の変貌を
真摯に冷静に見つめていた、ということであった。
無断であるが、1部を引用させて頂く。
【
・・
ガタは決してうまい俳優ではなかった。
出会った頃から、「顔が悪い」「頭が悪い」「それで下手なら取り柄がない」
などとよくからかった。
でもガタは役柄に入り込むために一生懸命に本気で汗を流し、
ただただ一生懸命ひたすら思いきって直球を投げ続けた。
兄の長門裕之や妻の浅丘雪路に比べて明らかに下手な僕は、
器用な役者へのコンプレックスがあり、
正に「下手形の上手」を目指そうと思っていた。
そんなところをガタが見抜き、気が合う一因にもなった。
ガタのような役者はもう絶対に出てこない。
残念ながら、時代も変わる。価値観も変わる。
古いタイプの役者は当然のごとく少なくなる。
僕のような映画出身の役者もほとんど残っていない。
ガタのような新国劇出身者も少ない。
同じ舞台出身でも、今やテントや小劇場の出身者が増え、
一番多いのはテレビ出身の役者たちだろう。
役者の出生が違ってくれば、客の好みも変わる、
昔の役者は自然と淘汰される。
今、共演者を本気でぶん殴るガタのような新人が出てきたら、
誰も使わないだろう。
ガタの価値観や生き方が肯定される時代だったから、
ガタの本気の芸を受け入れた多くの客がいたからこそ、
ガタが存在できた。
40年前フランスに行った時、テレビを観ていたら、
「テレビばかり観ていると日本人やアメリカ人みたいに馬鹿になるよ」
と言われた。
正しくいまの日本人は
大宅壮一も「一億総白痴化」と予言した通りの国民となった。
集中力を持ってドラマを鑑賞できるわけがない茶の間が
客を育てる時代だ。
更に戦後の個人主義と唯物主義が人品を卑しくした。
客はタレントに下品、下等を求めて自分を慰め癒す。
・・
】
以上、無断であるが、長く引用させて頂いた。
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
私は最後のたった4行を解かって頂くために
長く引用させて貰ったのである。
私は昭和19年に東京の郊外で生を受け、
小学三年生の頃から、独り映画館に通い、映画を観始めた。
そして大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした時期もあった。
25歳になり、ある企業に中途入社できるまで、
数多くの映画を観たり、撮影所に出入りしたり、
専門養成所の講師の紹介で一部の新劇の役者と淡い交遊をしたりした。
私は津川雅彦氏とは無知であるが、
少なくとも小学5年生から、ときおり映画で観ていた程度であるので、
俳優・津川雅彦氏を論評する資格はないが、
最初に観た頃は顔立ちも良く、美青年であり、
役者の家柄も良く恵まれた人と思っていた程度であった。
30年前頃に偶然に観たテレビドラマで、
巧い役者に成長したと実感させられたりしていた。
私はここ20年ばかりは、テレビはニュースとドキメンタリーが殆どである。
娯楽番組は益々低俗化し、
ドラマさえ観て良かった感じる作品は余りに少ないのである。
ただ、私は脚本が倉本 聰、向田邦子、山田太一、橋田寿賀子の4名であったならば、
学ぶことが多く、視聴している。
このような思いになると、私の住む東京郊外は、
NHK、日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京などが視聴できるが、
電波の無駄づかい、と思ったりすることがある。
特に民間テレビ放送の5社があるが、無料視聴できるのが、
日本人に最大の劣化を招いた要因のひとつと確信しているのである。
そしてテレビ局のひどさはもとより、観る人々が垂れ流しのように安住し、
まさに大宅壮一氏の遺された言葉『一億総白痴化』は至言と思っている。
今回、津川雅彦氏の発言を読んだりしたのであるが、
このように真摯に正鵠に明言される方は、
昨今の新聞、雑誌、論評に於いて、テレビ業界、広告代理店などに遠慮してか、
私の知る限り見当たらなかったのである。
こうしたことからして、津川雅彦氏は少なくとも俳優であるので、
何らかテレビに役者として出演されるか、ゲストとして出演される機会が
多いとも思われる中、
あえて明言された勇気を賞賛したいひとりである。

先ほど、総合月刊雑誌の『文藝春秋』のひとつの記事を読んで、
ここ50年ばかりの時代を正鵠に語る人もいた、
と衝撃を受けながらも思索していたのである・・。
『追悼 我が友、緒形 拳 最期のことば』と題され、
俳優・津川雅彦氏が語った記事である。
亡き親友ガタ(緒形 拳)の心友としての愛惜を語り、
自身の役者としての軌跡も真摯に見つた発言であったが、
私は何より驚いたのは、ここ50年ばかりの時代の変貌を
真摯に冷静に見つめていた、ということであった。
無断であるが、1部を引用させて頂く。
【
・・
ガタは決してうまい俳優ではなかった。
出会った頃から、「顔が悪い」「頭が悪い」「それで下手なら取り柄がない」
などとよくからかった。
でもガタは役柄に入り込むために一生懸命に本気で汗を流し、
ただただ一生懸命ひたすら思いきって直球を投げ続けた。
兄の長門裕之や妻の浅丘雪路に比べて明らかに下手な僕は、
器用な役者へのコンプレックスがあり、
正に「下手形の上手」を目指そうと思っていた。
そんなところをガタが見抜き、気が合う一因にもなった。
ガタのような役者はもう絶対に出てこない。
残念ながら、時代も変わる。価値観も変わる。
古いタイプの役者は当然のごとく少なくなる。
僕のような映画出身の役者もほとんど残っていない。
ガタのような新国劇出身者も少ない。
同じ舞台出身でも、今やテントや小劇場の出身者が増え、
一番多いのはテレビ出身の役者たちだろう。
役者の出生が違ってくれば、客の好みも変わる、
昔の役者は自然と淘汰される。
今、共演者を本気でぶん殴るガタのような新人が出てきたら、
誰も使わないだろう。
ガタの価値観や生き方が肯定される時代だったから、
ガタの本気の芸を受け入れた多くの客がいたからこそ、
ガタが存在できた。
40年前フランスに行った時、テレビを観ていたら、
「テレビばかり観ていると日本人やアメリカ人みたいに馬鹿になるよ」
と言われた。
正しくいまの日本人は
大宅壮一も「一億総白痴化」と予言した通りの国民となった。
集中力を持ってドラマを鑑賞できるわけがない茶の間が
客を育てる時代だ。
更に戦後の個人主義と唯物主義が人品を卑しくした。
客はタレントに下品、下等を求めて自分を慰め癒す。
・・
】
以上、無断であるが、長く引用させて頂いた。
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
私は最後のたった4行を解かって頂くために
長く引用させて貰ったのである。
私は昭和19年に東京の郊外で生を受け、
小学三年生の頃から、独り映画館に通い、映画を観始めた。
そして大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした時期もあった。
25歳になり、ある企業に中途入社できるまで、
数多くの映画を観たり、撮影所に出入りしたり、
専門養成所の講師の紹介で一部の新劇の役者と淡い交遊をしたりした。
私は津川雅彦氏とは無知であるが、
少なくとも小学5年生から、ときおり映画で観ていた程度であるので、
俳優・津川雅彦氏を論評する資格はないが、
最初に観た頃は顔立ちも良く、美青年であり、
役者の家柄も良く恵まれた人と思っていた程度であった。
30年前頃に偶然に観たテレビドラマで、
巧い役者に成長したと実感させられたりしていた。
私はここ20年ばかりは、テレビはニュースとドキメンタリーが殆どである。
娯楽番組は益々低俗化し、
ドラマさえ観て良かった感じる作品は余りに少ないのである。
ただ、私は脚本が倉本 聰、向田邦子、山田太一、橋田寿賀子の4名であったならば、
学ぶことが多く、視聴している。
このような思いになると、私の住む東京郊外は、
NHK、日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京などが視聴できるが、
電波の無駄づかい、と思ったりすることがある。
特に民間テレビ放送の5社があるが、無料視聴できるのが、
日本人に最大の劣化を招いた要因のひとつと確信しているのである。
そしてテレビ局のひどさはもとより、観る人々が垂れ流しのように安住し、
まさに大宅壮一氏の遺された言葉『一億総白痴化』は至言と思っている。
今回、津川雅彦氏の発言を読んだりしたのであるが、
このように真摯に正鵠に明言される方は、
昨今の新聞、雑誌、論評に於いて、テレビ業界、広告代理店などに遠慮してか、
私の知る限り見当たらなかったのである。
こうしたことからして、津川雅彦氏は少なくとも俳優であるので、
何らかテレビに役者として出演されるか、ゲストとして出演される機会が
多いとも思われる中、
あえて明言された勇気を賞賛したいひとりである。
