東京郊外は秋日和に恵まれ、
私は小躍りするように、住宅街を歩いた。
実家のお墓がある曹洞宗の寺院で改築、震災補強工事などで、
近日に行われるので、私も檀信徒のひとりとして、
実家の長兄と分家の身の私は昨日に寄付の金額を調整し、
程々の寄付を振込み手続きに銀行に寄ったのである。
私は銀行の行内は、わすか5人ばかり客だったので、
現金自動装置(C/D)である程度の額を引き下ろし、
振込み依頼書に記載しはじめた。
付近の待合場所から、60歳前後の男性と女性の2人の計3名の方たちが、
談笑していたのである。
何かのサークルの話し合いと思われた。
私は不馴れな振込み依頼書の上、
受取人のカナ字,口座番号の記入で間違いがあったら、
先方にもご迷惑が掛かるので、神経を張り詰めて記入していたのである。
付近の3名の方が、談笑の声が大きく、私には聴こえたのである。
『ここの場所は、談話室でないんですよ・・』
と私は中核にいる男性に云った。
『私たちは銀行に用事があって来たのですよ・・
先ほど、終りましたがねぇ・・』
と中核の男性は私に云った。
『もう少し静かに願えませんか・・』
と私はその中核の男性に云った。
『解かりましたょ・・』
と中核の男性は怒ったように私に云った。
女性のひとりが、
『ご免なさいねぇ・・つい・・うっかりと・・』
と私に詫びるように云った。
そして、まもなく3人は去って云った。
私は行内は空(す)いているし、ソファーもある上、
暖房も効いているし、何かの打ち合わせで、つい大声となった、
と思われた。
銀行の行員さんは、お客さまの手前、注意もできなく、
遠慮せざるを得ない立場であり、
たまたま付近にいた私が、神経を張り詰めていたので、
堪忍袋が切れたのであったが、
後で私は、大人げなかった、と少し後悔をしていたのである。
私の現役時代は、弱い立場の人たちには、
怒るようなことはしなかったが、酷い失敗などの場合は、
と相手の性格を配慮し、人影のいない所で忠告したりしていた。
私の小学4年生の頃は、平素は無口でおとなしいが、
ときおり爆発するように文句を仲間に云ったりしていた。
そして、仲間のひとりが伊豆七島のひとつに大島があるが、
その中央に聳える三原山が活火山であるので、これをたとえて、
『三原山』と私のあだ名を命名したのである。
この後、まもなく突然に私は多弁な児となり変貌したので、
家族はもとより、周囲を驚かせたりした。
このようなことを思い出して、私は微苦笑したのである。
そして、『三原山かょ・・』と心の中で呟(つぶや)いて、
ケガは治(なお)るが、癖は直らない、という古人からの伝えを
思い出し、独り苦笑している。
そして、帰宅した後、家内と昼食のひととき、
この出来事を話し、
『俺も久々に怒ってしまったよ・・三原山みたいにねぇ』
と私は家内に云ったりした。
家内は私の小学生のあだ名を私が打ち明けたことがあるので、
『あらぁ・・めずらしいわねぇ・・』
と家内は笑いながら云った。
私は小躍りするように、住宅街を歩いた。
実家のお墓がある曹洞宗の寺院で改築、震災補強工事などで、
近日に行われるので、私も檀信徒のひとりとして、
実家の長兄と分家の身の私は昨日に寄付の金額を調整し、
程々の寄付を振込み手続きに銀行に寄ったのである。
私は銀行の行内は、わすか5人ばかり客だったので、
現金自動装置(C/D)である程度の額を引き下ろし、
振込み依頼書に記載しはじめた。
付近の待合場所から、60歳前後の男性と女性の2人の計3名の方たちが、
談笑していたのである。
何かのサークルの話し合いと思われた。
私は不馴れな振込み依頼書の上、
受取人のカナ字,口座番号の記入で間違いがあったら、
先方にもご迷惑が掛かるので、神経を張り詰めて記入していたのである。
付近の3名の方が、談笑の声が大きく、私には聴こえたのである。
『ここの場所は、談話室でないんですよ・・』
と私は中核にいる男性に云った。
『私たちは銀行に用事があって来たのですよ・・
先ほど、終りましたがねぇ・・』
と中核の男性は私に云った。
『もう少し静かに願えませんか・・』
と私はその中核の男性に云った。
『解かりましたょ・・』
と中核の男性は怒ったように私に云った。
女性のひとりが、
『ご免なさいねぇ・・つい・・うっかりと・・』
と私に詫びるように云った。
そして、まもなく3人は去って云った。
私は行内は空(す)いているし、ソファーもある上、
暖房も効いているし、何かの打ち合わせで、つい大声となった、
と思われた。
銀行の行員さんは、お客さまの手前、注意もできなく、
遠慮せざるを得ない立場であり、
たまたま付近にいた私が、神経を張り詰めていたので、
堪忍袋が切れたのであったが、
後で私は、大人げなかった、と少し後悔をしていたのである。
私の現役時代は、弱い立場の人たちには、
怒るようなことはしなかったが、酷い失敗などの場合は、
と相手の性格を配慮し、人影のいない所で忠告したりしていた。
私の小学4年生の頃は、平素は無口でおとなしいが、
ときおり爆発するように文句を仲間に云ったりしていた。
そして、仲間のひとりが伊豆七島のひとつに大島があるが、
その中央に聳える三原山が活火山であるので、これをたとえて、
『三原山』と私のあだ名を命名したのである。
この後、まもなく突然に私は多弁な児となり変貌したので、
家族はもとより、周囲を驚かせたりした。
このようなことを思い出して、私は微苦笑したのである。
そして、『三原山かょ・・』と心の中で呟(つぶや)いて、
ケガは治(なお)るが、癖は直らない、という古人からの伝えを
思い出し、独り苦笑している。
そして、帰宅した後、家内と昼食のひととき、
この出来事を話し、
『俺も久々に怒ってしまったよ・・三原山みたいにねぇ』
と私は家内に云ったりした。
家内は私の小学生のあだ名を私が打ち明けたことがあるので、
『あらぁ・・めずらしいわねぇ・・』
と家内は笑いながら云った。
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