第二章 新島の素朴な情景は
初日、観光協会の前で海鮮バーベキューの昼食を頂いた後、
『景勝地を巡るバス観光』と称せられた特別企画コースがあり、
新島村役場の所有のマイクロバスに乗車した。
私達グループ18名と東海汽船の添乗員、ドライバーは村役場の職員の若い男性がされ、
案内されるガイドは観光協会の若き女性であった。
http://www.kanko-kyokai-niijima.net/map/map.htm
丘陵の低い所に白い三角屋根が観えたのは、
『新島村博物館』であり、この島の形成された推移、
島内で人々の営みの暮らしなどが映像、模型を含めてわかりやすく展示されている。
そして、館外の近くに茅葺きの民家が復元されて折、
どなたでも理解できるかっての生活状況となっている。
天上の梁が太く、私は若きガイドさんに問い合わせれば、
平均的な民家を想定して復元した、と云うので、
私の住む調布市のかっての時代より、この地は裕福ですよ、
と私は微苦笑しながら云ったりした。
この後、山すその高台にある『富士見峠展望台』で下車したが、
周辺は霧につつまれて、遥か下界に島内で一番の人が多い本村の街並みたりしたが、
無念ながら、解説にあるように、
式根島はもとより、神津島、三宅島は霧の彼方につつまれ、
まして晴れた日には伊豆半島、富士山も一望できることもあると書かれていたが、
お互いに、無理よねぇ、と苦笑しながら乗車した。
そして、マイクロバスは山すその道路を下ったら、視界がひらけ晴れ渡っていた。
その後、島の北方を目指し、真新しい大きなトンネルに入った。
ガイドさんに寄れば、
平成12年に北方にある若郷の集落が大地震に遭い、多大な災害に遭われ、
従来の山すその道も分断されたので、このトンネルが新設された、とのこと。
トンネルを抜けると、『渡浮根展望台』があり、眼下には若郷の漁港や住居の街並みが観えたが、
この新島の全てでも2千人程であり、まして小さな集落の若郷は小さな街並みに感じられたのである。
私達の乗ったマイクロバスは、若郷前浜に行き、
護岸工事が完璧になされた所、そして黒い砂浜の広がる浜辺を散策した。
人影は私たちのグループしか見当たらず、私は少しため息をしながら、
波間を見たり、黒い砂浜を歩いたりし、少し寂しいんじゃないの、と心の中で呟(つぶや)いていた・・。
この後は、再びトンネルを通り、東の海岸に向かった。
白い砂浜が遥か彼方まで続くような海岸で、
『羽伏浦海岸』と大きく看板もあり、太平洋の海上から幾重にも大きな波間が観え、
若い男女の20名前後がサーフィンに挑んでいた・・。
私はサーフィンをしている人をまじかな前方200メートル先で初めて見たのであるが、
健気にも幾度も挑む姿には、若さの活力はもとより、好感しながらも私の心を元気づけてくれた。
そして、私達夫婦は白い砂浜を散策したりした。
民宿に戻り、夕食を頂いた後、
家内は『貝細工』の講習を受け、初めての試作品を作り、
部屋に帰り、私に見せて、お互いに微笑んだりした。
そして、近くの『まました温泉』に民宿の自動車で東海汽船の添乗員が送迎をして下さると云うので、
私は露天風呂から満天の星空が眺められるかしら、と淡い期待をしていたが、
平素のだらけた生活を過ごしているのが、天上の神々に知れたらしく、
かすかに星が観える程度であった。
私達は民宿に戻ると、ロビーの脇でビールを買い求め、
こじんまりとした六畳間で私は布団の上であぐらをかき、
少し疲れたねぇ、と家内に云ったりした・・。
《つづく》
次回は島内の主辺のクルーズなどを掲載を予定
初日、観光協会の前で海鮮バーベキューの昼食を頂いた後、
『景勝地を巡るバス観光』と称せられた特別企画コースがあり、
新島村役場の所有のマイクロバスに乗車した。
私達グループ18名と東海汽船の添乗員、ドライバーは村役場の職員の若い男性がされ、
案内されるガイドは観光協会の若き女性であった。
http://www.kanko-kyokai-niijima.net/map/map.htm
丘陵の低い所に白い三角屋根が観えたのは、
『新島村博物館』であり、この島の形成された推移、
島内で人々の営みの暮らしなどが映像、模型を含めてわかりやすく展示されている。
そして、館外の近くに茅葺きの民家が復元されて折、
どなたでも理解できるかっての生活状況となっている。
天上の梁が太く、私は若きガイドさんに問い合わせれば、
平均的な民家を想定して復元した、と云うので、
私の住む調布市のかっての時代より、この地は裕福ですよ、
と私は微苦笑しながら云ったりした。
この後、山すその高台にある『富士見峠展望台』で下車したが、
周辺は霧につつまれて、遥か下界に島内で一番の人が多い本村の街並みたりしたが、
無念ながら、解説にあるように、
式根島はもとより、神津島、三宅島は霧の彼方につつまれ、
まして晴れた日には伊豆半島、富士山も一望できることもあると書かれていたが、
お互いに、無理よねぇ、と苦笑しながら乗車した。
そして、マイクロバスは山すその道路を下ったら、視界がひらけ晴れ渡っていた。
その後、島の北方を目指し、真新しい大きなトンネルに入った。
ガイドさんに寄れば、
平成12年に北方にある若郷の集落が大地震に遭い、多大な災害に遭われ、
従来の山すその道も分断されたので、このトンネルが新設された、とのこと。
トンネルを抜けると、『渡浮根展望台』があり、眼下には若郷の漁港や住居の街並みが観えたが、
この新島の全てでも2千人程であり、まして小さな集落の若郷は小さな街並みに感じられたのである。
私達の乗ったマイクロバスは、若郷前浜に行き、
護岸工事が完璧になされた所、そして黒い砂浜の広がる浜辺を散策した。
人影は私たちのグループしか見当たらず、私は少しため息をしながら、
波間を見たり、黒い砂浜を歩いたりし、少し寂しいんじゃないの、と心の中で呟(つぶや)いていた・・。
この後は、再びトンネルを通り、東の海岸に向かった。
白い砂浜が遥か彼方まで続くような海岸で、
『羽伏浦海岸』と大きく看板もあり、太平洋の海上から幾重にも大きな波間が観え、
若い男女の20名前後がサーフィンに挑んでいた・・。
私はサーフィンをしている人をまじかな前方200メートル先で初めて見たのであるが、
健気にも幾度も挑む姿には、若さの活力はもとより、好感しながらも私の心を元気づけてくれた。
そして、私達夫婦は白い砂浜を散策したりした。
民宿に戻り、夕食を頂いた後、
家内は『貝細工』の講習を受け、初めての試作品を作り、
部屋に帰り、私に見せて、お互いに微笑んだりした。
そして、近くの『まました温泉』に民宿の自動車で東海汽船の添乗員が送迎をして下さると云うので、
私は露天風呂から満天の星空が眺められるかしら、と淡い期待をしていたが、
平素のだらけた生活を過ごしているのが、天上の神々に知れたらしく、
かすかに星が観える程度であった。
私達は民宿に戻ると、ロビーの脇でビールを買い求め、
こじんまりとした六畳間で私は布団の上であぐらをかき、
少し疲れたねぇ、と家内に云ったりした・・。
《つづく》
次回は島内の主辺のクルーズなどを掲載を予定