夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私が選んだ『第22回 サラリーマン川柳』・・♪

2009-05-23 10:42:23 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
今朝、読売新聞を読んで、思わず微苦笑させられた記事があった。

【 サラリーマン川柳に託す嘆き節、今年のベスト10決まる
  「しゅうち心 なくした妻は ポーニョポニョ」――。 】

と見出しの記事であった。


記事の内容に関し、【YOMIURI ONLILE】も同様な記事が掲載されているので、
無断であるが転載させて頂く。

【・・
第一生命保険が22日発表した「サラリーマン川柳コンクール」のベスト10で、
妻の体形を、人気歌手グループとアニメ映画の名前を使って嘆いた作品が1位に選ばれた。

今回は「朝バナナ 効果があったの お店だけ」(4位)、
「胸よりも 前に出るなと 腹に言う」(9位)など、
健康や「メタボ」にまつわる4作品がベスト10入り。

一方で、「久しぶり ハローワークで 同窓会」(2位)など不況やリストラを嘆く作品は、2作品だった。

今年2月に選ばれた入選100作品を対象に人気投票が行われ、
全国から約10万票が寄せられた。

 ◆ベスト10◆

 第一位 しゅうち心 なくした妻は ポーニョポニョ (オー マイ ガット)

 第二位 久しぶり ハローワークで 同窓会 (転起)

 第三位 ぼくの嫁 国産(こくさん)なのに 毒(どく)がある (歩人)

 第四位 朝バナナ 効果があったの お店だけ (品切れ店長)

 第五位 やせたのは 一緒に歩いた 犬の方 (花鳥風月)

 第六位 「ストレスか?」 聞かれる上司が その原因 (読み人知らず)

 第七位 コスト下げ やる気も一緒に 下げられる (敏腕経営者)

 第七位 「パパが(・)いい!」 それがいつしか 「パパは(・)いい」 (はりきりパパ)

 第九位 胸(むね)よりも 前(まえ)に出(で)るなと 腹(はら)に言(い)う (えんどうまめ)

 第十位 篤姫に 仕切らせたいな 国会を (玲子命)

(2009年5月22日19時45分 読売新聞)

・・】

注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


私はこの後、ネットで『サラリーマン川柳コンクール』を主催されている第一生命
を検索した。

http://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/22th/best_10.html


私は『サラリーマン川柳コンクール』に関しては、
人生の哲学書のひとつとして、愛読している。

私は農家の三男坊として生を受け、
大学を中退後、映画・文学青年の真似事をし、
民間会社に中途入社し、35年ばかり勤め、定年退職をした。
最後の5年は出向となったりしたこともあるので、
それなりに苦楽の多いサラリーマンの時代でもあった。

つたない私の半生からして、『サラリーマン川柳コンクール』は、
まぎれない人生の哀歓がある、と思いながら微苦笑しながら、
それぞれの投稿されたお方の作品を拝読している。

今回のベスト10位に選定された作品は、確かに一句と思いながら、
私は第11~100位を読みながらも、
この人生は、と思わず感嘆させられた句を私なりに選定した。
【社会全般】、【サラリーマン哀歓】、そして【家庭】の三大区分とした。


【社会全般】
 19位  子どもより 大人に足りぬ 羞恥心

                    たゆ

【サラリーマン哀歓】、
 49位  良い上司 見ざる言わざる 褒め上手

                 部下の気持ち

【家庭】
 50位  叱っても 「ママがいいって 言ってたよ」

                  ヒヤヒヤ父さん


私は二時間ばかり百句を拝読したのであるが、
この三句としたが、私は何度も読んでも、作者の感性に敬服している。


私は、『サラリーマン川柳コンクール』に関しては、幾度も投稿しているが、
昨年の2008年2月5日に於いても、
第21回の『サラリーマン川柳コンクール』の100選が公表された折、
【 『サラ川』、この人生に微笑みを・・♪ 】
と題して、投稿しているのが、再掲載をする。

【・・
    第一章

昨夜、第一生命が主催されている第21回の『サラリーマン川柳コンクール』で、
100選が公表された。

私はネットで知り、読みながら、微苦笑をしていたのである。

私はサラリーマンを35年間過ごし、
定年退職後の年金生活4年生の身であるが、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、現役時代から愛読し、
励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、『サラ川 傑作選』の本を四冊を所有している。

私は『サラ川』は、日常の生活の優れた哲学書と思い、
限りなく人生の愛惜と確信し、ときには本を開いたりしている。

今回の投稿された100選を拝読し、
笑い、悲哀、社会に憤(いきどお)りを感じたりしている・・。

この中で、独断と偏見の多い私は、
私の偏屈な心に残った作品を幾つかの作品を転記させて頂く。


現役世代であったならば、


喫煙所 皆が何故か 情報通

         雅号・紫煙ファンテーター


この作品を感銘したのは、昨今の禁煙ブームで、
肩身の狭い喫煙者は喫煙所で煙草を喫いながら、
お互いにさりげない話をしている・・。

私は9年前に中小業の本社に勤めていて体験したことであるが、
他部署の同期の方と煙草を喫いながら、
『また・・早期退職優遇制度・・始めるらしい・・
昨夜、後輩の人事部にいる奴から・・
こっそり聞いてしまったの・・
今度は・・30名前後が秘かな目標らしい・・
明日あたり公表されるから・・
ここだけの話にしてね・・』
と同期の輩(やから)は私に教えてくれた。

このような話は、サラリーマンを長年勤めれば、
限りなくある、と今の私は微苦笑したのである。



   第二章              

次の一句は、私なりに苦慮される名句である。


定年の 延長決まり 妻元気

          雅号・うつ蝉


主人は会社人間で朝は早く、帰宅は遅い生活を40年間前後されて、
子供の養育をすべて妻にまかせ、
定年の時を迎えた。

こうした途上で、子供たちは巣立ちして、
それぞれが独立した家庭を過ごされている。

妻は妻なりの日常生活のリズムが出来て折、
主人が定年退職後、妻としてはなるべく今までの生活ペースを変えたくないのである。

料理、掃除、買物、そしてささやかな自由時間を活用されて、
ご自分の趣味の時間で過ごす・・。

こうした今までの生活ペースを、
主人が家に居て、昼食などの用意をしたり、何かと束縛されるようで、
ささやかな自由時間が楽しめないのであり、
妻としては次第に鬱積がたまる・・

このような情景を私は思い浮かべたりしている。


私達の場合は、子供に恵まれなかったせいもあるが、
定年退職の5年前に、定年後の生活設計を老後の資金も含めて、お互いに話し合った。

退職後からはどのように過ごしたいか、
この命題に基づいて、家内と徹底的に話し合ったのである。

私は退職後は自分の趣味で過ごしたく、
定年後は働かない。
そして、多少の家の手伝いをする。

お互いの趣味は尊重して、干渉はしない。
いずれはどちらかが先にたたれるので、
趣味を強く持てれば、片割れとなった時にも立ち直りも早く、
その後の歳月も充実した日々を過ごせるだろう、
と思ったからである。

但し、共通の趣味はひとつだけ共有しようとして、
家内とは国内旅行と決めたのである。


このように話し合い、
私は何よりも読書が好きなので、小説、随筆、歴史書、現代史などの本を読んだり、
文章を綴ることも好きなのであり、このサイトに綴り、投稿している。
ときには、居間のソファで映画のビデオ、DVDを観たり、
音楽をカセット・CD・DVDなどで聴いたりしている。

そして、ときたま庭の手入れをし、
家内と国内旅行に行ったりしている。

日常の肝要なこととして、私は買物を担当し、
ささやかに家内の煎茶、コーヒーの茶坊主に徹している。

年金生活の4年生となっている今、
お互いの思いやり、労(いた)わり合いを言動で表現することは、
いうまでもないことである。


しかし、寝食を30数年共にした家内でも、
ときおり日常に於いて、ボタンの掛け違いが発生するのである。

こうした折は、私は素直に、
『XXちゃん・・そう解釈していたとは・・判からなかったょ・・
俺が悪かった・・』
と家内に謝(あやま)ったりしている。

私は秘かに、負けるが勝ち、そして何より早期解決の道はこれだ、
と思ったりしている。

ただし、この方法は何回もすれば薬と同様に効果は薄れるので、
年に一回ぐらいは、
家内の前で土下座して、謝(あやま)ったりしている。

これは殆どの家庭内の難題でも、解決の効果があり、
後日、私は独りで微笑んでいるのである。



   最終章

私は年金生活の4年生の身であり、家内と2人住まいであるが、
ここ10年でまたたくまに普及した携帯電話が使えなく、
お互いに持っていないのである。


無料でも 家族間での 通話なし

         雅号・栗ポン


私は携帯電話会社の過熱競争で、電話会社のサービスの一環として、
同じ電話会社同士であれば、家族間で無料制度と解釈している。

私は子供に恵まれなかったが、家内とはお互いに会話を続けて、
30数年過ごしている。

私は現役時代を含めて、晩酌をしながら夕食を頂く時、
かって『夕刊フジ』のように夕刊専用紙があったように、
日中の出来事をお互いに話したりしている。

お互いに心に思っていること、感じたことなどを互いに発露し、
たとえ現役時代に深夜に私が帰宅し、睡眠時間が削られても、
何より重要なことを思って、
寝食を共にした結婚以来、私達夫婦は続けている。

この句は、父親と母親の会話の少なさ、
そして父親と息子、娘の会話の少なさの家庭と想像されるが、
私から見れば、余りにも淋しい父親の姿を感じ取ってしまうのである。

現代、一部の家庭で見られる状況を切取った一句と思われ、
会話の機具である携帯電話などで、
たとえ無料でも親子の会話が乏しいのは、余りに皮肉で哀しいことである・・。

今回の『サラ川』としては、古来からの川柳の意義からすれば、
私としては最優秀作品と感じている。

・・】

このように投稿していたが、今こうして再読しても、
私は微苦笑しながら読み、この人生に限りない微笑み、と祈念したりしている。


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ときには、早寝早起き元気な年金生活のわが身は・・!?

2009-05-23 06:08:16 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
3時に目覚め、玄関庭に下り立ち、
煙草を喫いながらぼんやりとしている。
東京の郊外は、この時節の日の出は4時半過ぎであるので、
まだ薄暗いのである。


昨日の朝8時半過ぎから、私達夫婦は庭に下り立ち、
樹木の剪定をはじめた。
玄関庭と主庭は雑木が主体であるが、住みはじめて30年になるので、
かぼそかった雑木もそれなりに樹高も伸長するので、
5年於きぐらいで大幅に切り詰めている。

私は剪定バサミを植木屋さんのように腰廻りに身に付けて、剪定ノコギリを持ったりしているが、
家内は高枝バサミと剪定バサミで枝葉を切ったりする。


家内は土いじりが苦手の上、何より蚊(か)が苦手であるので、
5月下旬から9月頃までは、殆ど庭でゆっくりと過ごす時がないのである。
その上、庭の手入れに関しては、
もとより我が家は私の専任の担当であり、平素は孤軍奮闘しているが、
年に数回は家内の助太刀となっている。


私は剪定バサミで樹木の枝葉を切っていたら、
『齢を取ったら・・高い枝は大変だから・・
今の時(うち)に・・短くしましょう・・』
と家内は提案しながら、高枝バサミで樹高を大胆に短くし始めた。

或いは私が樹に登り、剪定ノコギリで枝を切ったりすると、
『その脇の太い枝も・・切りましょう・・』
と家内は提案する。
私は戸惑っていると、家内は高枝バサミで指示をするのである。

そして、今回は特に金木犀(キンモクセイ)の二本を大幅に切り詰めた。
樹高7メートルぐらいを2メートルにしょう、と話し合ったので、
私は主木を地上1メートルぐらいで剪定ノコギリで切りはじめたが、
直経20センチ程度であるので一気には切り落とせないのである。

『私も手伝うわ・・選手・・交代よ・・』
と家内は私に云い、やむえず私は剪定ノコギリを家内に手渡した。


私は庭の片隅で簡易椅子に座り、煙草を喫いながら、家内のしぐさを見つめていた。
家内は平素は従順であるが、
ときおり思いつめたら何事も徹底的にする性格なので、
私は微苦笑しながら、眺めていたのである。

そして、64歳の齢を重ねた我が身の体力の衰えを、
改めて実感させられたのである。
それにしても、女は元気だ、と5歳ばかり齢下の家内をしぐさに驚かされたのである。


この後も薄日の中、お互いに樹木を剪定したり、
枝葉を玄関庭の片隅に積み上げたりしていた。
夕方の4時半過ぎとなったので、
『XXちゃんさぁ・・ボチボチ・・やめない・・』
と私の方から家内に提案したのである。

私達は昼食抜きで専念していたが、私の方が体力の限界に近いし、
やむえず作業を中断しょうと思ったのである。


家内にお風呂に入って貰っている間に、
私は庭に残った枝葉を拾い集めたりした後、テラスで簡易椅子に腰掛けて、
冷たくなった煎茶を飲みながら、短くなった樹木を眺めたりしていた。

そして、入梅が過ぎ、初夏の頃になれば、それなりに樹形もなるだろう、
しかし半分ぐらいしか樹木の剪定は終わっていないのだから、一週間以内にふたたび挑戦しょう、
と思ったりしていた。


私は入浴が終わった5時半過ぎに、
お寿司でも食べよう、と家内に伝え、
いつも愛食している寿司屋さんに家内は電話連絡をしたりしていた。

夕暮れの陽射しの射す庭を眺め、
私達は居間のテーブルでビールを呑みながら、寿司を頂いたりした。
そして優しいメタボの研修を2月以来から受けている私は、
平素の日常生活は350mlの缶ビールを二本までの自身定めを、
初めて破り、4本目かしらと云いながら呑んだりしたのである。

その後、私は7時頃に眠くなり、寝室に行き、布団にもぐり眠ってしまったのである。
家内は居間でテレビを観たと思われるが、
私は夢の中である。


私は薄暗い玄関の軒下で煙草を喫いながら、
樹木の短くなった樹高を眺め、微苦笑し、
肩と手、そして少しだるい身体を感じたりしている。

時刻は、3時過ぎであり、
定年退職後は日の出と共に起きをモットーとしている私さえ、
どうしてなの、と児童のような早寝早起きに戸惑ったりしているのである。



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