私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
昨夜11時過ぎに総合月刊雑誌の『文藝春秋』を布団に持ち込み、
数ページ読んでいるうちに寝付いてしまった。
そして朝の4時に目覚めたのであるが、まだ早い、と思いながら、
再び、寝付いてしまい、目覚めたのが7時過ぎであった・・。
2階の寝室から居間に下り立てば、家内は洗濯の合間に掃除をして折、
私は朝の陽射しの射し込む居間のソファーにぼんやりと座った後、
洗面をし、煎茶を淹れたりした。
そして、居間の前にあるテラスに下り立ち、
ぼんやりと陽射しにつつまれた新緑の樹木を眺めながら、煙草を喫ったりしていた。
この後、テラスの近くにあるモミジの枝葉の下に、
簡易椅子に座り、読売新聞の朝刊を30分前後で目を通した後、
ぼんやりと煙草を喫ったりした。
こうして緑陰に身を寄せて、微風が吹くと、
草花の数多くの小判草が首をかしげるように揺れている。
こうした情景を眺めたりしていると、
過日、伊豆七島の新島に訪れた光景が蘇(よみがえ)ってきた・・。
広大に白い砂浜に燦燦と照りつけ、片隅の一面に可愛いハマユウの花がたわわに咲き、
果てしなく続くような海原の蒼さと打ち寄せる波間は陽射しで光を帯び、
浜辺に穢れのない波が押し寄せ、白い砂浜を濡らしていた・・。
このような光景を私は見つめたりし、
たった滞在したのは丸一日であったが、大型チェーン店のスーパーはもとより、コンビニ、本屋などはなく、
何よりも村人達は携帯電話にすがることもなく、さりげな話し声で満ちていた。
そして、街並みで人家が一番多い本村、そして北方の若郷の集落の人々は、
老人にしても前向きにたんたんと生活され、活気ある表情を感じられたりした。
こうした情景は、私の住む街では、遥か遠い昔の昭和30年なかばまであったかしら、
と思いを重ねたりした。
このようなことを思ったりした時、かすかに上空に飛ぶ音を残し小さな飛行機のセスナが観え、
確か新島空港が私の住む調布の小さな飛行場を結ぶ航路だった、
と思いだされた。
たった30分ほどで、有視飛行であるので、ときおり欠航もあるが1日4便ある、
と観光協会の人から教示されたが、
余りにも生活環境、風土、文化の違いを感じ、戸惑いを感じたりしたのである。
漁業を主体とし、農業を営まれ、観光業などで日常を過ごされる素朴な新島、
都心の郊外で人情は失われつつ利便性にあふれた街、
と私は思ったりした。
そして、私は長年に都心のサラリーマンをしていたので、
都会の垢に染まり、利便性に甘受しているので、
ひとりの旅人としては素朴な新島に限りなく愛(いと)おしさを感じるが、
私の日常生活を過ごすには無理がある、と実感させられたのである。
私は幼年期は農家の児として育ったので、
山すそに住む山彦にもなれないし、海辺の住む海彦にもなれないので、
程ほど平坦な里に住むまぎれない里彦のひとりだった、
と苦笑しながら、燦燦と照るつける白い砂浜に座り込み、ときおり潮風を受けたりしていた。
このようなことを陽射しにつつまれた新緑の樹木を眺めながら、
モミジの緑陰に身を寄せて、煙草を喫ったりし、
1時間ばかり思いを重ねたりしていた。
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昨夜11時過ぎに総合月刊雑誌の『文藝春秋』を布団に持ち込み、
数ページ読んでいるうちに寝付いてしまった。
そして朝の4時に目覚めたのであるが、まだ早い、と思いながら、
再び、寝付いてしまい、目覚めたのが7時過ぎであった・・。
2階の寝室から居間に下り立てば、家内は洗濯の合間に掃除をして折、
私は朝の陽射しの射し込む居間のソファーにぼんやりと座った後、
洗面をし、煎茶を淹れたりした。
そして、居間の前にあるテラスに下り立ち、
ぼんやりと陽射しにつつまれた新緑の樹木を眺めながら、煙草を喫ったりしていた。
この後、テラスの近くにあるモミジの枝葉の下に、
簡易椅子に座り、読売新聞の朝刊を30分前後で目を通した後、
ぼんやりと煙草を喫ったりした。
こうして緑陰に身を寄せて、微風が吹くと、
草花の数多くの小判草が首をかしげるように揺れている。
こうした情景を眺めたりしていると、
過日、伊豆七島の新島に訪れた光景が蘇(よみがえ)ってきた・・。
広大に白い砂浜に燦燦と照りつけ、片隅の一面に可愛いハマユウの花がたわわに咲き、
果てしなく続くような海原の蒼さと打ち寄せる波間は陽射しで光を帯び、
浜辺に穢れのない波が押し寄せ、白い砂浜を濡らしていた・・。
このような光景を私は見つめたりし、
たった滞在したのは丸一日であったが、大型チェーン店のスーパーはもとより、コンビニ、本屋などはなく、
何よりも村人達は携帯電話にすがることもなく、さりげな話し声で満ちていた。
そして、街並みで人家が一番多い本村、そして北方の若郷の集落の人々は、
老人にしても前向きにたんたんと生活され、活気ある表情を感じられたりした。
こうした情景は、私の住む街では、遥か遠い昔の昭和30年なかばまであったかしら、
と思いを重ねたりした。
このようなことを思ったりした時、かすかに上空に飛ぶ音を残し小さな飛行機のセスナが観え、
確か新島空港が私の住む調布の小さな飛行場を結ぶ航路だった、
と思いだされた。
たった30分ほどで、有視飛行であるので、ときおり欠航もあるが1日4便ある、
と観光協会の人から教示されたが、
余りにも生活環境、風土、文化の違いを感じ、戸惑いを感じたりしたのである。
漁業を主体とし、農業を営まれ、観光業などで日常を過ごされる素朴な新島、
都心の郊外で人情は失われつつ利便性にあふれた街、
と私は思ったりした。
そして、私は長年に都心のサラリーマンをしていたので、
都会の垢に染まり、利便性に甘受しているので、
ひとりの旅人としては素朴な新島に限りなく愛(いと)おしさを感じるが、
私の日常生活を過ごすには無理がある、と実感させられたのである。
私は幼年期は農家の児として育ったので、
山すそに住む山彦にもなれないし、海辺の住む海彦にもなれないので、
程ほど平坦な里に住むまぎれない里彦のひとりだった、
と苦笑しながら、燦燦と照るつける白い砂浜に座り込み、ときおり潮風を受けたりしていた。
このようなことを陽射しにつつまれた新緑の樹木を眺めながら、
モミジの緑陰に身を寄せて、煙草を喫ったりし、
1時間ばかり思いを重ねたりしていた。
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