最終章 光と風、そして打ち寄せる波
私は新島の南部の特例のクルージングを終え、黒根港で下船した時、
乗船させて下さった船を眺めたりしていた・・。
澄み切った快晴の中、蒼い海原の波間を眺め、潮の香りと匂いを感じ、そして海風を受けながら、
愛(いと)おしいような島々の情景に心を寄せたり、
真っ白に彩(いろど)られた断層が果てしないように続く白ママ断層の光景に見惚(みと)れていたひとときに、
思いを馳せたりし、改めて深く心に残っていたことに気付かされたりした。
この後、昼食の前の2時間を私達夫婦は、付近を散策した。
新島港の前から少し南に歩き出すと、
岩山の上に神殿のような円柱がそびえいる『湯の浜露天温泉』に少し驚いたりしたが、
昨今流行(はやり)の水着着用なので、私は苦笑したりした。
私は少なくとも日本男児のひとりであるので、
素肌で大浴場、露天風呂に入浴するように、厳しく育てられたので、
こればかりは水着着用などと柔な精神に反するので、断念したのである。
この後、『湯の浜露天温泉』の足湯の傍にたたずんでいると、
脱衣場から石段をあがると露天風呂らしく、
若き奥様がビキニの水着の容姿で、三歳ぐらいの男の子を連れていた。
男の子も可愛い水着のパンズ姿には微笑んだりしたが、
やはり若き奥様のビキニの水着姿は、私は齢を重ねてもまぶしすぎるのであった。
そして南へ道路に面した歩道を少し歩くと、
岩山が観えたので、道路の脇の石段を下りると、砂浜が少し続き、
海岸の水際に近づくと小岩の状景となり、水際には大きな岩があり、
岩間の間から波が打ち寄せていた。
私はこの一帯に大きな露天風呂にすれば、素晴らしい光景になる、
と余計なことを思ったりした。
この後、港に戻り途中、コーガ石の高い塔が観え、
そばを通り過ぎる時、バーベキューが出来る施設があった。
そして私は石段を下りる時、草花が生い茂る中に、
『光と』 『風と』 『波』 『の』 『塔』
と五つばかりの小さなコーガ岩が斜面にあり、
私は草花で少し覆われていたので、
『光』、『風』、そして『波』、と解釈したのである。
この後は港の前を過ぎて、白い砂浜が水際まで広がっている砂浜に、
私達は下り立った。
里村のエビネの花は散った後の時節、
砂浜の外れにハマユウの小さな花がたわわに咲き、
この付近に私は座り、携帯灰皿を取り出して、煙草を喫ったりした。
そして、快晴の中、前方の波間を観たり、そして彼方の海原を見つめていたりした。
家内は水際を歩き、貝殻を拾い集めたりしていた。
私はぼんやりと、観光協会で頂いた観光ガイドのパンフレットを開き、
昨夜に読み込んだ最後のページを読んだりした・・。
中腹の山すそと思われる雑木林の中に、少し拓けた土の小道があり、
この周辺に海辺の方からの明るい陽射しが射し込み、
前方は蒼い海が彼方まで広がり、そして空は青い空となっている情景の一葉の写真であった。
この写真を背景として、
【・・
日常の暮らしから遠く、空と海をへだてた世界。
でもどこか懐かしい、そして心躍る、島への旅。
東京から南へ約150キロの新島。
島に下り立った瞬間に聞こえてくる胸の高鳴り。
白いコーガ石に囲まれた家々を通り抜けて、
海岸へと続く道。
木々のあいだ、その先にある水平線の彼方からやってくる。
潮風と心を通わせ、白い砂浜に一歩足を
踏み入れてみてください。
きっと「おかえり」と波の音が答えてくれるでしょう。
あなたの心に残る感動を。思い出を。
・・】
このように綴られた観光ガイドであり、
新島村役場の産業観光課が発行されたひとつであった。
この詩のようなひとつの散文を深く読み返していたのである。
昼食のお弁当も観光協会の前で頂き、
私達夫婦は付近の長椅子に座り、私はビールを呑みながら食べたりした。
そして、新島港の出港時間の午後1時45分の少し前の集合時間まで、
石段、椅子に腰かけて、燦燦と照る中、海上の蒼い海原を眺めたり、
打ち寄せる光る波間を見つめながら、ビールを呑み続けたりした。
帰路の『セブンアイランド』の船内で、
私は陽射しを久々に浴びて疲れたのか、ビールを呑み過ぎたのか解からないが、
眠りこけたのである。
そして、眠りの中でも、
東海汽船の謝恩企画により、添乗員となった社員の奮闘はもとより、
新島の観光協会、民宿の方たち、村役場の多大なお陰で、
格安な支払い旅費で、たった実質滞在一日の旅であったが、
深く心に残る旅だった、と感謝致します、
と寝言で云ったかは、私には記憶にはかったのである。
(終わり)
私は新島の南部の特例のクルージングを終え、黒根港で下船した時、
乗船させて下さった船を眺めたりしていた・・。
澄み切った快晴の中、蒼い海原の波間を眺め、潮の香りと匂いを感じ、そして海風を受けながら、
愛(いと)おしいような島々の情景に心を寄せたり、
真っ白に彩(いろど)られた断層が果てしないように続く白ママ断層の光景に見惚(みと)れていたひとときに、
思いを馳せたりし、改めて深く心に残っていたことに気付かされたりした。
この後、昼食の前の2時間を私達夫婦は、付近を散策した。
新島港の前から少し南に歩き出すと、
岩山の上に神殿のような円柱がそびえいる『湯の浜露天温泉』に少し驚いたりしたが、
昨今流行(はやり)の水着着用なので、私は苦笑したりした。
私は少なくとも日本男児のひとりであるので、
素肌で大浴場、露天風呂に入浴するように、厳しく育てられたので、
こればかりは水着着用などと柔な精神に反するので、断念したのである。
この後、『湯の浜露天温泉』の足湯の傍にたたずんでいると、
脱衣場から石段をあがると露天風呂らしく、
若き奥様がビキニの水着の容姿で、三歳ぐらいの男の子を連れていた。
男の子も可愛い水着のパンズ姿には微笑んだりしたが、
やはり若き奥様のビキニの水着姿は、私は齢を重ねてもまぶしすぎるのであった。
そして南へ道路に面した歩道を少し歩くと、
岩山が観えたので、道路の脇の石段を下りると、砂浜が少し続き、
海岸の水際に近づくと小岩の状景となり、水際には大きな岩があり、
岩間の間から波が打ち寄せていた。
私はこの一帯に大きな露天風呂にすれば、素晴らしい光景になる、
と余計なことを思ったりした。
この後、港に戻り途中、コーガ石の高い塔が観え、
そばを通り過ぎる時、バーベキューが出来る施設があった。
そして私は石段を下りる時、草花が生い茂る中に、
『光と』 『風と』 『波』 『の』 『塔』
と五つばかりの小さなコーガ岩が斜面にあり、
私は草花で少し覆われていたので、
『光』、『風』、そして『波』、と解釈したのである。
この後は港の前を過ぎて、白い砂浜が水際まで広がっている砂浜に、
私達は下り立った。
里村のエビネの花は散った後の時節、
砂浜の外れにハマユウの小さな花がたわわに咲き、
この付近に私は座り、携帯灰皿を取り出して、煙草を喫ったりした。
そして、快晴の中、前方の波間を観たり、そして彼方の海原を見つめていたりした。
家内は水際を歩き、貝殻を拾い集めたりしていた。
私はぼんやりと、観光協会で頂いた観光ガイドのパンフレットを開き、
昨夜に読み込んだ最後のページを読んだりした・・。
中腹の山すそと思われる雑木林の中に、少し拓けた土の小道があり、
この周辺に海辺の方からの明るい陽射しが射し込み、
前方は蒼い海が彼方まで広がり、そして空は青い空となっている情景の一葉の写真であった。
この写真を背景として、
【・・
日常の暮らしから遠く、空と海をへだてた世界。
でもどこか懐かしい、そして心躍る、島への旅。
東京から南へ約150キロの新島。
島に下り立った瞬間に聞こえてくる胸の高鳴り。
白いコーガ石に囲まれた家々を通り抜けて、
海岸へと続く道。
木々のあいだ、その先にある水平線の彼方からやってくる。
潮風と心を通わせ、白い砂浜に一歩足を
踏み入れてみてください。
きっと「おかえり」と波の音が答えてくれるでしょう。
あなたの心に残る感動を。思い出を。
・・】
このように綴られた観光ガイドであり、
新島村役場の産業観光課が発行されたひとつであった。
この詩のようなひとつの散文を深く読み返していたのである。
昼食のお弁当も観光協会の前で頂き、
私達夫婦は付近の長椅子に座り、私はビールを呑みながら食べたりした。
そして、新島港の出港時間の午後1時45分の少し前の集合時間まで、
石段、椅子に腰かけて、燦燦と照る中、海上の蒼い海原を眺めたり、
打ち寄せる光る波間を見つめながら、ビールを呑み続けたりした。
帰路の『セブンアイランド』の船内で、
私は陽射しを久々に浴びて疲れたのか、ビールを呑み過ぎたのか解からないが、
眠りこけたのである。
そして、眠りの中でも、
東海汽船の謝恩企画により、添乗員となった社員の奮闘はもとより、
新島の観光協会、民宿の方たち、村役場の多大なお陰で、
格安な支払い旅費で、たった実質滞在一日の旅であったが、
深く心に残る旅だった、と感謝致します、
と寝言で云ったかは、私には記憶にはかったのである。
(終わり)