私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
一昨日はここ三週間怠けていた庭の手入れを日中の大半に専念し、
昨日は小雨が降ったり、止んだりしていた日中であったので、
朝の10時半過ぎ午後の3時過ぎまで、畳に横たわり、
布団を一枚かけて、本を読んだりしていた。
今朝は早朝の4時に目覚めたが、眠気を感じたので、
再び寝付いてしまい、目覚めたのは7時過ぎだあった。
朝の陽射しは燦燦と庭を照らし、
家内は洗濯の合間に掃除をしていて、
『久々に良いお天気ねぇ・・』
と私は照れながら家内に朝の挨拶代わりに云ったりしていた。
朝食後、私はテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、
モミジのたわわな枝葉の下に身を寄せて、読売新聞を読んだりした。
そして煙草を喫ったりしていたが、興味のない記事ばかりであり、
樹木の枝葉を眺めたりしていた。
微風が吹くと、群生した小判草(コバンソウ)の草花は首を傾げたように揺れ、
たわわな半化粧(ハンゲショウ)もかすかに揺れている・・。
日中は初夏のような陽射しになるか、と思ったりしていると、
蓮(ハス)の花が思い出された・・。
私は東京の郊外に昭和19年に農家の子として生を受けた。
祖父、父が中心となり、ある程度の田畑、竹林、雑木林を維持管理していた。
田んぼの外れに半反程度の広さの蓮専用の水田があった。
父、祖父が亡くなる小学生の前半までは、毎年この時節は幼いなりに楽しんでいた。
7月の下旬に蓮の花は莟となり、8月の初めにお盆を迎えるので、
祖父か父が6本前後採ってきた・・。
私は祖父にねだって、大きな葉をひとつ貰ったりした。
水を少し入れると、水玉になるので、幼児なりに楽しんだのである。
そして泥だらけの中で、
どうしてあんなに白い花が咲くの、
と子供心に不思議となったりした。
お盆の時、仏壇の前に畳一帖ぐらい台を設置し、
位牌の前に、盆棚を置いて、野菜、果物を供えたりしている。
外れに茄子(ナス)や胡瓜(キュウリ)に割り箸で足を付けて、
馬や牛にみたてたりしている。
台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮の葉を浮べ、
淡いピンクのミソ萩を小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
そして台の左右に、この時節の草花を飾り、この中で蓮の花が中核となっていた。
夏休みが終わった頃、蓮の田んぼに行くと、
花が終り、可愛い蜂の巣のような実となっていた。
数週間過ぎた頃、この実を採り、
少しむくとどんぐりのような形の実が出てきて、
食べたりした後、少し甘い香りが残った・・。
やがて蓮の葉が枯れる頃になると、
祖父、父が泥だらけの地中から大きくふくらんだ蓮根を取り出し、
食卓を彩った。
私は蓮(ハス)と呼んでいたが、
後年になると、レンコン、と世間で言ったりしているので、
戸惑いを覚えたりしている。
このような想いでがあるので、
公園などで淡い紅色した華やかな大賀蓮(オオガハス)観かけた時とか、
名のある寺の観せる美麗な蓮は、
あれは蓮じゃない、
と幼児の思いに還ったりしている。
定年退職後の翌年の夏、
黒羽山の大雄寺の高僧が綴られているのを知った。
【・・
泥中に生じ汚れなく、幽香を漂わせる蓮の花は、
清浄、柔軟、可憐から、他の植物にはない特徴があることから、
仏教の象徴的な意味を持つものとなっている。
泥の中で成長し根を張り、清楚な美しい花を見せる。
そして、普通の花は、まず花が咲いてから実をつけるものだが、
蓮は花をつけると同時に実を中に詰めたつつみが出てくる。
このことから蓮は、過去・現在・未来を同時に体現しているとされている。
・・】
こうようなことを綴られている。
私は宗教に関しては興味はないが、
泥の中から茎を出し、純白な花びらを見せてくれるので、
私なりの身過ぎ世過ぎの日常生活を過ごして折、
改めてこうした純白の花を眺めると、
何かしら私の心を洗い清めてくれる随一の花と思っている。
このような深い思いがあるので、私の住む周辺は昭和30年の初めに頃になると、
田畑は消え、住宅地に変貌したので、
私は国内の旅行で、地方の郊外で偶然に蓮の花を見かけたりすると、
しばらくのあいた見惚れながら、まぶたが熱くなってしまうのである。
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一昨日はここ三週間怠けていた庭の手入れを日中の大半に専念し、
昨日は小雨が降ったり、止んだりしていた日中であったので、
朝の10時半過ぎ午後の3時過ぎまで、畳に横たわり、
布団を一枚かけて、本を読んだりしていた。
今朝は早朝の4時に目覚めたが、眠気を感じたので、
再び寝付いてしまい、目覚めたのは7時過ぎだあった。
朝の陽射しは燦燦と庭を照らし、
家内は洗濯の合間に掃除をしていて、
『久々に良いお天気ねぇ・・』
と私は照れながら家内に朝の挨拶代わりに云ったりしていた。
朝食後、私はテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、
モミジのたわわな枝葉の下に身を寄せて、読売新聞を読んだりした。
そして煙草を喫ったりしていたが、興味のない記事ばかりであり、
樹木の枝葉を眺めたりしていた。
微風が吹くと、群生した小判草(コバンソウ)の草花は首を傾げたように揺れ、
たわわな半化粧(ハンゲショウ)もかすかに揺れている・・。
日中は初夏のような陽射しになるか、と思ったりしていると、
蓮(ハス)の花が思い出された・・。
私は東京の郊外に昭和19年に農家の子として生を受けた。
祖父、父が中心となり、ある程度の田畑、竹林、雑木林を維持管理していた。
田んぼの外れに半反程度の広さの蓮専用の水田があった。
父、祖父が亡くなる小学生の前半までは、毎年この時節は幼いなりに楽しんでいた。
7月の下旬に蓮の花は莟となり、8月の初めにお盆を迎えるので、
祖父か父が6本前後採ってきた・・。
私は祖父にねだって、大きな葉をひとつ貰ったりした。
水を少し入れると、水玉になるので、幼児なりに楽しんだのである。
そして泥だらけの中で、
どうしてあんなに白い花が咲くの、
と子供心に不思議となったりした。
お盆の時、仏壇の前に畳一帖ぐらい台を設置し、
位牌の前に、盆棚を置いて、野菜、果物を供えたりしている。
外れに茄子(ナス)や胡瓜(キュウリ)に割り箸で足を付けて、
馬や牛にみたてたりしている。
台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮の葉を浮べ、
淡いピンクのミソ萩を小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
そして台の左右に、この時節の草花を飾り、この中で蓮の花が中核となっていた。
夏休みが終わった頃、蓮の田んぼに行くと、
花が終り、可愛い蜂の巣のような実となっていた。
数週間過ぎた頃、この実を採り、
少しむくとどんぐりのような形の実が出てきて、
食べたりした後、少し甘い香りが残った・・。
やがて蓮の葉が枯れる頃になると、
祖父、父が泥だらけの地中から大きくふくらんだ蓮根を取り出し、
食卓を彩った。
私は蓮(ハス)と呼んでいたが、
後年になると、レンコン、と世間で言ったりしているので、
戸惑いを覚えたりしている。
このような想いでがあるので、
公園などで淡い紅色した華やかな大賀蓮(オオガハス)観かけた時とか、
名のある寺の観せる美麗な蓮は、
あれは蓮じゃない、
と幼児の思いに還ったりしている。
定年退職後の翌年の夏、
黒羽山の大雄寺の高僧が綴られているのを知った。
【・・
泥中に生じ汚れなく、幽香を漂わせる蓮の花は、
清浄、柔軟、可憐から、他の植物にはない特徴があることから、
仏教の象徴的な意味を持つものとなっている。
泥の中で成長し根を張り、清楚な美しい花を見せる。
そして、普通の花は、まず花が咲いてから実をつけるものだが、
蓮は花をつけると同時に実を中に詰めたつつみが出てくる。
このことから蓮は、過去・現在・未来を同時に体現しているとされている。
・・】
こうようなことを綴られている。
私は宗教に関しては興味はないが、
泥の中から茎を出し、純白な花びらを見せてくれるので、
私なりの身過ぎ世過ぎの日常生活を過ごして折、
改めてこうした純白の花を眺めると、
何かしら私の心を洗い清めてくれる随一の花と思っている。
このような深い思いがあるので、私の住む周辺は昭和30年の初めに頃になると、
田畑は消え、住宅地に変貌したので、
私は国内の旅行で、地方の郊外で偶然に蓮の花を見かけたりすると、
しばらくのあいた見惚れながら、まぶたが熱くなってしまうのである。
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