私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
過日の5月10日(日曜日)から1泊2日の短かな旅で、
家内と共に伊豆七島のひとつ『新島』を初めて訪れた。
伊豆七島は大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島と東京都の地域に所属し、
太平洋に浮かぶ諸島であるが、
新島は白い砂浜が広がり、北方は黒い砂浜も観られ、
南部の断崖には白ママの断層と称せられた真っ白に彩(いろど)られた断層が
果てしないように続いた美景が観られる。
そして、蒼い海原から幾重の波間が陽射し受けて光を帯びながら、
海風と共に潮の香りと匂いを感じ、浜辺に押し寄せてくる風情の情景で、
古来より余り変わらない素朴な風景が残されている
限りなく愛(いと)しい島である。
このように感じた私は帰宅後に、いつものように旅行先の思いを、
このサイトに5通ばかり投稿したりしていた。
そして、買物、散策をしたりし、読書をしていたのであるが、
今回の旅で陽射しを浜辺などで受け、日焼けを増したせいか疲れてを感じ、
昨日の夕方に少しばかり布団にもぐり、夕寝をしたのである。
私は夢の中で、伊豆大島に寄り散策したのであるが、
私は今の64歳であるが、大島の情景は昭和35(1960)年の頃なのである。
そして二十歳前後のガイドさん、お土産売り場の40代の女性にからかわれ、
談笑をしていたのである・・。
この時、中学校の悪友が15歳の姿、
そして私が初恋の人と勝手に決めていた同級生も乙女の姿で近寄ってきて、
『船の出る時間に・・間に合うのかょ』
と悪友が私に云ったり、
『XXくん・・急いでねぇ』
と乙女に私は云われたりしたが、
『あと30分あるから・・充分だょ・・』
と私は応えながらも、だけどおかしいょ、と呟(つぶや)いたりしていたのである。
ありえないことだょ、と私は首をかしげた時、
目覚めたのであるが、私は伊豆の大島かょ、とぼんやりと布団の中で、
呟いた時、私が生まれて初めて独りで旅行が蘇(よみがえ)ってきた・・。
この時の旅行に関しては、
このサイトに於いて、【 若き頃、初めての独り旅の想いで・・♪ 】と題して、
昨年の2008年7月9日に投稿しているが、あえて再掲載をする。
【・・
私が初めて独りで旅行に思い立ったのは、
昭和35(1960)年の高校1年の夏休みの時であった。
夜、晴海埠頭(はるみ・ふとう)から乗船し、早朝に伊豆大島を訪れた後、
午後に出航する観光船で伊豆半島の下田港に向かい、下田に宿泊する。
そして翌日は半島の西岸をバスで北上しながら観光めぐりした後、
修善寺に宿泊した後は、三島まで私鉄を利用し、国鉄で東京駅に帰京するプランであった。
このプランは、ご近所の旅行会社に勤めていた方から立案して頂き、
クーポン券のような周遊予約済の観光ルートであった。
旅行鞄のボストンバックを提げて、
ワイシャツと黒の長ズボン、革靴と通学とまったく同じ様な容姿で、
東京の晴海埠頭から東海汽船の観光船で、大島行きに乗船した。
確か夜の10時に出航し、翌朝の4時前に大島の岡田港の沖で着いて、
島の朝が動き始める6時頃に入港した、と記憶している。
この間の乗船していた時は、大部屋のゴロ寝のような感じで、
私は大広間の片隅に横たわり、警戒心もありボストンバックを握りながら、
不安げに眠れない深夜を過ごしたのであった。
岡田港に下船した時、高波警戒の注意報の掲示板があり、
少し不安げに私は見つめていた。
私は午前中に大島の観光バスで半日周遊をした後、
午後、元町港から下田港行きの観光船に乗り、
下田の観光ホテルに予約済みであったのである。
このような思いがあったので、うつろな思いで、
初めての大島の情景を車窓から眺めていた。
半日周遊観光の終点は元町港であったが、
下田港方面は本日欠航、
と私は掲示板を見て、小心者の私はどうしょう、
と内心うろたえたのである。
しばらくした後、下田港、伊東港は欠航、
熱海港は2時過ぎに出航、と報じられた・・。
私は遠う廻りであったが、熱海港行きの観光船に乗船したが、
観光客で満席となり、私は客室に入らず、
ボストンバックを握り締め、サン・デッキ付近の小さな椅子に腰掛けた。
空一面は、わずかな雲で快晴の青空が拡がり、
私は燦燦と照り昼下りの陽射しを全身に浴び、
果てしなく海原が広がる情景を眺め、
そして潮風を受けながら、
私は心身爽快な心となった・・。
この頃の時代は、俳優の加山雄三が演じた若大将シリーズ映画が、
盛んに映画館で上映されていた時代であったせいか、
海に魅了される人たちの思いも解かったように心持ちとなったのである。
わずか1時間半ばかり航路であったが、
熱海港を下船後、私は東海バスの下田行きの路線バスの乗車場所を何とか探し、
乗り込んだのである。
この時代は、伊東から下田までの伊豆急行が開通前の時期で、
盛んに工事をしていたので、埃りっぽい中をバスで南下したのを、
おぼろげに記憶している。
下田に着いた後、予約した観光ホテルを探し当て、
大浴場で心身を清めていたが、余り疲れを感じることなく、
何とか予約した観光ホテルに着けた、
という思いが強く、安堵したのである。
夕食の時、若き仲居さんから、
『何か・・お飲みものは・・』
と私は訊(き)かれ、
『・・サイダー・・お願い・・』
と私は和服を召した綺麗なお姉さんの仲居さんに、
不馴れな浴衣姿で照れながら云ったりした。
この後の周遊は予定通り順調であった。
私はまもなく16歳を迎える前、独りで初めての旅行をし、
今となっては、愛惜ある旅のひとつとなった。
・・】
このように投稿していたのであるが、今の私にとっては、
ビールの味も知らず、
若い仲居さんに綺麗な女の人、と感じながらも、
うっとりと恥ずかしげに見つめるだけの少年であったので、
微笑んだり、苦笑しながら読んだりしていたのである。
過日の5月10日(日曜日)から1泊2日の短かな旅で、
家内と共に伊豆七島のひとつ『新島』を初めて訪れた。
伊豆七島は大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島と東京都の地域に所属し、
太平洋に浮かぶ諸島であるが、
新島は白い砂浜が広がり、北方は黒い砂浜も観られ、
南部の断崖には白ママの断層と称せられた真っ白に彩(いろど)られた断層が
果てしないように続いた美景が観られる。
そして、蒼い海原から幾重の波間が陽射し受けて光を帯びながら、
海風と共に潮の香りと匂いを感じ、浜辺に押し寄せてくる風情の情景で、
古来より余り変わらない素朴な風景が残されている
限りなく愛(いと)しい島である。
このように感じた私は帰宅後に、いつものように旅行先の思いを、
このサイトに5通ばかり投稿したりしていた。
そして、買物、散策をしたりし、読書をしていたのであるが、
今回の旅で陽射しを浜辺などで受け、日焼けを増したせいか疲れてを感じ、
昨日の夕方に少しばかり布団にもぐり、夕寝をしたのである。
私は夢の中で、伊豆大島に寄り散策したのであるが、
私は今の64歳であるが、大島の情景は昭和35(1960)年の頃なのである。
そして二十歳前後のガイドさん、お土産売り場の40代の女性にからかわれ、
談笑をしていたのである・・。
この時、中学校の悪友が15歳の姿、
そして私が初恋の人と勝手に決めていた同級生も乙女の姿で近寄ってきて、
『船の出る時間に・・間に合うのかょ』
と悪友が私に云ったり、
『XXくん・・急いでねぇ』
と乙女に私は云われたりしたが、
『あと30分あるから・・充分だょ・・』
と私は応えながらも、だけどおかしいょ、と呟(つぶや)いたりしていたのである。
ありえないことだょ、と私は首をかしげた時、
目覚めたのであるが、私は伊豆の大島かょ、とぼんやりと布団の中で、
呟いた時、私が生まれて初めて独りで旅行が蘇(よみがえ)ってきた・・。
この時の旅行に関しては、
このサイトに於いて、【 若き頃、初めての独り旅の想いで・・♪ 】と題して、
昨年の2008年7月9日に投稿しているが、あえて再掲載をする。
【・・
私が初めて独りで旅行に思い立ったのは、
昭和35(1960)年の高校1年の夏休みの時であった。
夜、晴海埠頭(はるみ・ふとう)から乗船し、早朝に伊豆大島を訪れた後、
午後に出航する観光船で伊豆半島の下田港に向かい、下田に宿泊する。
そして翌日は半島の西岸をバスで北上しながら観光めぐりした後、
修善寺に宿泊した後は、三島まで私鉄を利用し、国鉄で東京駅に帰京するプランであった。
このプランは、ご近所の旅行会社に勤めていた方から立案して頂き、
クーポン券のような周遊予約済の観光ルートであった。
旅行鞄のボストンバックを提げて、
ワイシャツと黒の長ズボン、革靴と通学とまったく同じ様な容姿で、
東京の晴海埠頭から東海汽船の観光船で、大島行きに乗船した。
確か夜の10時に出航し、翌朝の4時前に大島の岡田港の沖で着いて、
島の朝が動き始める6時頃に入港した、と記憶している。
この間の乗船していた時は、大部屋のゴロ寝のような感じで、
私は大広間の片隅に横たわり、警戒心もありボストンバックを握りながら、
不安げに眠れない深夜を過ごしたのであった。
岡田港に下船した時、高波警戒の注意報の掲示板があり、
少し不安げに私は見つめていた。
私は午前中に大島の観光バスで半日周遊をした後、
午後、元町港から下田港行きの観光船に乗り、
下田の観光ホテルに予約済みであったのである。
このような思いがあったので、うつろな思いで、
初めての大島の情景を車窓から眺めていた。
半日周遊観光の終点は元町港であったが、
下田港方面は本日欠航、
と私は掲示板を見て、小心者の私はどうしょう、
と内心うろたえたのである。
しばらくした後、下田港、伊東港は欠航、
熱海港は2時過ぎに出航、と報じられた・・。
私は遠う廻りであったが、熱海港行きの観光船に乗船したが、
観光客で満席となり、私は客室に入らず、
ボストンバックを握り締め、サン・デッキ付近の小さな椅子に腰掛けた。
空一面は、わずかな雲で快晴の青空が拡がり、
私は燦燦と照り昼下りの陽射しを全身に浴び、
果てしなく海原が広がる情景を眺め、
そして潮風を受けながら、
私は心身爽快な心となった・・。
この頃の時代は、俳優の加山雄三が演じた若大将シリーズ映画が、
盛んに映画館で上映されていた時代であったせいか、
海に魅了される人たちの思いも解かったように心持ちとなったのである。
わずか1時間半ばかり航路であったが、
熱海港を下船後、私は東海バスの下田行きの路線バスの乗車場所を何とか探し、
乗り込んだのである。
この時代は、伊東から下田までの伊豆急行が開通前の時期で、
盛んに工事をしていたので、埃りっぽい中をバスで南下したのを、
おぼろげに記憶している。
下田に着いた後、予約した観光ホテルを探し当て、
大浴場で心身を清めていたが、余り疲れを感じることなく、
何とか予約した観光ホテルに着けた、
という思いが強く、安堵したのである。
夕食の時、若き仲居さんから、
『何か・・お飲みものは・・』
と私は訊(き)かれ、
『・・サイダー・・お願い・・』
と私は和服を召した綺麗なお姉さんの仲居さんに、
不馴れな浴衣姿で照れながら云ったりした。
この後の周遊は予定通り順調であった。
私はまもなく16歳を迎える前、独りで初めての旅行をし、
今となっては、愛惜ある旅のひとつとなった。
・・】
このように投稿していたのであるが、今の私にとっては、
ビールの味も知らず、
若い仲居さんに綺麗な女の人、と感じながらも、
うっとりと恥ずかしげに見つめるだけの少年であったので、
微笑んだり、苦笑しながら読んだりしていたのである。
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