夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『清く貧しく美しく』と退職後の生活信条を掲げて、私は年金生活を始めたが・・。

2012-02-20 09:52:44 | 定年後の思い
私は1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受け、
東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年に大学を中退は、
アルバイト、契約社員などをしながら、映画・文学青年の真似事をした。

私なりに日々奮戦したが、純文学の新人賞の最終候補作の6作品に残れず、
3度ばかり挑戦したが、無念ながら文才と努力に欠け、はかなくも挫折した。
やむなくコンピュータの専門学校で一年ばかり学び、これを梃子(てこ)にして、
何とか大手だった音響・映像メーカーの民間会社に中途入社したのは、
1970〈昭和45〉年の春であった。

そして、この会社の音楽事業本部の一部に大手のレーベルがあり、
外資レコード会社として独立し、私もこの新設された会社に移籍させられた。

結果的には、私は35年ばかり勤め、2004(平成16)年の秋に定年退職できた。

この間、幾たびかリストラ烈風の中、最後の5年は出向となったりし、
もとよりレコード会社は中小業の音楽業界のひとつの会社であるので、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈が伴い、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。

55歳を迎える寸前に、音楽業界はリストラ烈風の中、
こうした暗澹たる空気の中、私の勤めていた会社もリストラが行われ、
希望退職優遇制度の名の下で定年前に退職を余儀なくされた人もいたし、
人事異動が盛んに行われ、私のように出向となった人もいた。

私は30年近い本社勤務から、出向となり、つたない私でも都落ちの失墜感の中、
こうした時に、私たち夫婦はどのような老後の生活をしたいのか、
と改めて真剣に話し合った。
私たち夫婦は子供も恵まれなかったので、老後も2人だけの家庭となるので、
残された歳月、その後の片割れになった時も配慮したのである。

話し合いの結果として、定年後の私は年金生活に入り、
お互いに残された人生の歳月を趣味の時間で過ごそう、と決意した。

もとより老後の資金も肝要なので、私は出向先の不馴れな物流情報センターで、
何とか頑張れて、定年退職を迎えることが出来たのである。

そして定年退職後は、予定通り年金生活となり、
程々の貯蓄を取り崩しながら、古びた1戸建てに家内と生活を過ごしている。

ご近所の奥様と立ち話などをした時、
悠々自適な生活で羨ましいわ、と言われたりしているが、
大学を卒業した後、官公庁、大企業などで邁進され栄達したエリートのお方たちと違い、
高収入、高額な退職金には無縁で、程遠い生活実態である。

このように私は屈折した日々の多い半生を歩み、定年を迎え、
半生記は何かと自慢史が多いと伝えられている中、私は限りなく遠い存在である。

そして私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
ときには独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。
或いは、その分野で専門知識があり優れた人の前では、
卑屈になったりした・・。
このように可愛げのない男のひとりである。


私は定年退職後に年金生活を始めたが、
1944〈昭和19)年9月生まれであるので、満62歳にならないと年金は満額を頂けないので、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。

程々の貯金を崩しながら、つつましく退職後の生活を過ごす予定で、
私は秘かに退職時に人生信条を掲げた。

【・・定年退職後・・野に咲く花のように、と生活信条を掲げていますが、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度な目標です。・・】

このようなことを年金生活の初めての年賀状にも明記したりした。

野に咲く花のようにの発想の語源は、
古人の利休が、花は野にあるように、という銘言は私なりに知っていたが、
私は40歳の初めに、人生信条として『野に咲く花のように』と掲げて、
年賀状などで明記し、たびたび公言したりしている。

『清く貧しく美しく』の発想は、
松山善三(まつやま・善三)氏の脚本・監督された『名もなく貧しく美しく』(1961年=昭和36年)、
そして宝塚歌劇団の『清く正しく美しく』から、
言葉を重ね合わせ、
何かしら年金生活に相応しいと確信して、明記したのであった。

このような、ささやかな年金生活後の信条で4年目を迎えてた2008年の2月の月末の時、
たまたま作家・嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)氏の『人妻魂』(マガジンハウス、2007年に発刊)を
読み残した章を布団の中で読んでいたら、
情熱的な天才俳人と著作者が明記した杉田久女の章で、
《・・
「清き貧しく美しく」というのは理想の人妻像として広くいきわたっておりますが、
ここのポイントは「貧しい」ところにあって、
どれほど清く美しくても、その人妻が成金であると、
ワンランク落ちてしまうのです。

清純で美しく、「貧しい」人妻であってこそ、
男心はモヤモヤくすぐられる。
どうもそのようです。
しかし、あまりにも貧しいすぎてもいけない。
そのころあいが難しい。・・
・・》
と私の敬愛するひとりの作者・嵐山光三郎氏が既にこのように綴られていた。

私なりに渾身の言葉として発露し掲げた生活信条は、
既に近世の世情よりあった、と遅ればせながら学んだのである。

この後、私は愕然(がくぜん)とさせられ、
深夜にかかわらず、布団に正座し、私の無知にしばし呆然とため息を吐(つ)いたした。

これ以来、『清く貧しく美しく』と言葉は、
何かしら後ろめたい心情で、ときおり私は綴ったりしている。

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コメント (1)
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