夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『一粒万倍日』、齢ばかり重ねた私は恥ずかしながら、初めて学び・・。

2012-02-22 09:59:33 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが
今年から愛用しているカレンダーのようなひとつを見ていたら、
2月22日は『一粒万倍日』と明記されていたが、恥ずかしながら無知であった。

やむなく、私はフリー百科事典として名高い『ウィキペディア』に縋(すが)り、
読んだりした。
《・・
一粒万倍日(いちりゅうまんばいび、いちりゅうまんばいにち)は、選日の1つである。
単に万倍とも言う。
「一粒万倍」とは、一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味である。
一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされ、
特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。
但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので凶とされる。
・・》
このように誰でも解り易いように、優しく解説されていた。

しかしながら私のこれまでの人生で、
一粒の籾(もみ)が万倍にも実るような幸運に恵まれたことはないので、
私は苦笑させられた。

私は身過ぎ世過ぎの年金生活をしているが、お金を貸したり、保証人になることは、
我が生家の家訓では、厳しく戒(いか)しめているので、私は忠実に守っている。
こうした関連からして、借金をしたり、物を借りたるすることは、
住宅を建てた30代のなかばに多大なローンを借り、
そして高価な豪華本だけは図書館を利用する以外は、ここ30年は皆無となっている。

このように平坦で面白(おもしろ)みの欠ける男であり、「一粒万倍」の世界は無縁だなぁ、
と改めて思ったりした・・。

この後、ぼんやりとしていた時、民間の中小業の会社で35年ばかり奮戦し、
定年退職後は年金生活に入り、歳月ばかり早く過ぎて8年生となっている。

ときおり家内は、働らなくても何とか生活できることは有りがたいわ、
と私に言ったりしている。

この言葉を突然に甦(よみがえ)り、
まぎれなく35年ばかり奮戦した結果、厚生年金を頂き、
程ほどの貯金を取り崩して我が家の生計は成り立っている。

このようなことを思えば、つたない私でも年金生活をできるのは、
たまたま中小業の音楽業界のあるレコード会社に勤めて、
幾たびかリストラ烈風の中、それなりに時代にも翻弄され、
苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあったが、
これまでめぐり逢えた上司、同僚、そして後輩たちの数多くの方たちから
確かな支(ささ)えがあったからである。

そして奮闘していた時代は、何とか中途入社できた1970〈昭和45〉年から、
定年退職をできた2004〈平成16〉年まで、
やはり業界の盛衰の時代の幸運と重なり合ていたと思ったりしている。

こうした中で、私が妻として選んだ家内の叱咤激励の支援もあり、
世に言われている、無事の人のひとり、と成り得たと深く感じたりした。

このように思ったりすると我が人生に、
「一粒万倍」であるとすれば、このようなことかしら、
と私は微苦笑したりしている。


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