夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの世界、私自身のささやかな軌跡、そして思いは・・。

2012-02-13 14:28:58 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
定年退職した2004〈平成16〉年の秋であった。

そしてまもなくブログの世界を知り、パソコンの故障、旅行で不在でない限り、
パソコンの故障、旅行で不在でない限り、
毎日投稿してきたので、習性なのか投稿してきた・・。

2004年(平成16年)の秋、民間の中小業の会社を定年退職する数ヶ月前、
自宅で初めてインターネットを開設した・・。
この当時の私は多忙の現役サラリーマン時期であり、自宅のパソコンでインターネットを施設したならば、
友人たちと電子メールの交流の時間に余裕もない思いがあり、
退職後からすればよいと思いがあったのである。


私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をして奮闘したが、あえなく挫折して、
やむなく企業に中途入社する為に、1年間コンピュータの専門学校で学び、
ある大手の音響・映像メーカーの企業に中途入社できたのは、1970(昭和45)年の春であった。

まもなくして、この会社の中の音楽事業本部のひとつ大手のレーベルが外資会社として新設され、
このレコード会社に私も異籍させられ、この後は20年間殆ど情報部門の専門畑となり、
その後は他部門に異動したり、この間に幾たびリストラの烈風を受けたりし、
最後の5年間は取引先の物流情報センターに出向となったりした。

私としては1990年(平成2年)の初めの頃までは、
ある程度は専門畑のコンピュータの世界が解かっていたが、
その後は利用者側の間接部門となったので、
先端技術は解からず、ただパソコンを利用し、業務に従事していたぐらいであった。

このような体験があったが、いざ自宅でパソコンにインターネットを連動させた時、
Webの世界の環境には、驚きと出遅れたと感じたりした。

そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いでを随筆風に綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然、本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。


私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから無知なりに政治の分野まで発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると決意させられたりした。

そして私は、2004年(平成16)年11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入し、
『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』とタイトルを掲げ、
『kaze-hikari』という発信名で投稿をはじめた。

私は初めてブログの世界に入り、【アメーバ・ブログ】に加入した時、
タイトル名は私なりのブログ・サイトで要(かなめ)をなすこと思え、
深く思案したのである。

結果として、『極楽とんぼ』と命名することとした。
ひとつの根拠は、他のサイトで綴ったが、私の幼年期からの深い想いでがあった。

私が小学校に入学したのは、1951〈昭和26)年の春だった。
東京の郊外の調布市であるが、この頃は田畑、雑木林が圧倒的に多く、
緑豊かな町村であった。

私は長兄、次兄に続いて生を受けた3男坊で、
祖父と父は女の子を期待していたらしく、私は幼児なりに何となく感じていたのか、
いじけた可愛げのない子の上、無口であった。

兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿を頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、
と担任の女の先生がため息まじりに云われたりしていた。

音楽の授業は、先生がオルガンを弾いて、
生徒の我々全員が『春の小川』、『夕やけこやけ』等を唄っていた。

学期末の頃に、ひとりの生徒が教室の1番前にある黒板の近くで、
先生のオルガンの伴奏に合わせて、唄うことが定例であった。
私は人前で他愛ないおしゃべりをすることが苦手であったので、
私の順番になると、ドキドキし、出来たら逃げ出したかった。

結果として、通信簿『2』であった。

私が下校で独りぼっちで歩いて帰る時、
或いは家の留守番をしている時は、

♪笛にうかれて 逆立ちすれば
 山が見えます ふるさとの
 わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし

【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十  】

私は何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。

そして、私が気分が良い時は、
私は街の子、田舎の子・・、
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。

このように、この『越後獅子の唄』の名曲の悲しげな歌の裏返しの思考、
そして小説家・山口 瞳・著の『還暦老人極楽蜻蛉』から拝借し、
定年退職後の自由自在でブログの世界で綴ってみたい、秘かな思いであった・・。


【アメーバ・ブログ】に投稿を初め、
コメントを頂き、私なりに喜びであり、コメントをして頂いたお方の日記に、
私も盛んにコメントを書き込みをしたりした。

ただ、【アメーバ・ブログ】の日記投稿欄の書き込み、送信に、
たびたびエラーなどが発生し、初心者として技量もなく、
何度も書き直し投稿をしたりした。

その上、各部門による賞金制度が設置されていたので、困惑し、
私は他ブログ・サイトを探した。


そしてブログに準じたサイトの【goo簡単ホームページ】を知り、
『風のように光のように』とタイトルを掲げて、入会したのは11月17日であった。

これ以降、2つのサイトが並行として投稿し、1ヶ月を過ぎた頃、
【アメーバー・ブログ】の投稿を中止し、
【すくすくブログ】に『極楽とんぼの奮闘記』とタイトルを掲げ、
『yumide』の発信名で、極楽とんぼシリーズを移管したのである。


私は【すくすくブログ】の加入した短い間、
この当時、人気の漫才コンビに『極楽とんぼ』の存在を知り、
1部のお方から誤解されたり、
その後、この人気コンビのひとりが女性に不祥事を起こしたりしたので、
私は『極楽とんぼ』の命名の由来を明示した通り、
何かしら60数年の心の純潔を汚されたようで、憂鬱な心が、しばらく続いたりした。

その後、私は【すくすくブログ】は投稿を中止し、
大手のブログ・サイトの【gooブログ】に移行した。

『続・極楽とんぼ』とタイトルを掲げ、社会、経済、政治の諸問題を無邪気に投稿し、
『yumede-ai』の発信名としたのである。

しかし、この分野に専門知識のない素人の私にとっては、
ほころびも感じはじめ、一年半ほどで中断した。

やはり力量し筆力のない私にとっては、
ふたつのブログ・サイトで全く違った分野を併行に投稿し、
コメントを返信するのは、日常の時間が余りにもとられ、
肝要の読書の時間も少なくなり、ひとつだけ残すこととした。


そしてこの当時の私の本命の【goo簡単ホームページ】で、
『kaze-hikari』という命名で、
2007年の9月末に閉鎖される1ヶ月少しまでの長い期間、
パソコンの故障や国内旅行、そして目が充血した1日を除けば、毎日数通は投稿していた。

私が【風のように光のように】とタイトルを掲げた思いは、
遠い昔に東京オリンピックが開催された当時、
私は大学中退後、映画青年、文学青年の真似事を20代の前半をしていた。

小説、随筆などで、明治以来の作家で最も影響を受けたのは、
私の長年のつたない読書歴からして、
1980〈昭和55)年の夏に亡くなわれた小説家・立原正秋(たちはら・まさあき)氏である。

小説、随筆、詩集など公表された作品は全(すべ)て読んでいるつもりであるが、
この中に1冊の詩集がある。

詩集『光と風』(角川書店)より、1978〈昭和53)年5月に刊行された本である。

亡くなわれた後、追悼として、角川書店より愛蔵版として『立原正秋全集』(全24巻)はもとより、
数多くの知人、関係者から評論、随筆集が刊行された。

この中で、奥様の立原光代・著の『追想~夫・立原正秋~』、
そして長女の幹様より『風のように光のように~父・立原正秋~』が角川書店から刊行された。

特に立原 幹・著の『風のように光のように』に関しては、
余りに激しく、余りに美しい《父恋の記》と解説に明示されていたが、
私は幼児に父と死別された上、敬愛した作家の愛惜の動揺からして、脳裏に長年深く残った。

幹様の綴られた随筆は、素人の文章であるが、きらめく感性があり、
何より父恋きの想いが深く、好感して読んだりしたのは事実である。


私は定年退職後、ブログの世界を知り、タイトル名には色々と考えた・・。

【のちの想いに】にするか、
或いは敬愛する小説家の長女の方の随筆のタイトルを借用するか、
迷ったりした。

結果として、私の青年期の自己形成に教示され、敬愛する小説家のなので、
長女の視線からと似た念願の意味合いから、いけないと知りながらも、借用したのである。

そして、何よりも私は日本風土の四季折々の移ろいを限りなく愛着があるので、
それぞれの地の風光に心を寄せたりしている。


2007年の9月に【goo簡単ホームページ】が閉鎖と知り、
私は閉鎖の50日前から悩んだのである・・。

結果としては、【OCN Cafe】に於いて、従来の日記の部分だけ移行できる上、
【goo簡単ホームページ】に似ている機能が多いので、
このサイトに加入したのである。

そして、私のインターネットのプロバイダは、
ニフティなので、【ココログ】に加入し、
今後の書き散らしてきた投稿文を精選し、投稿しょうと思ったのである。


この前提となるのは、
【OCN Cafe】の『風のように光のように』をある程度充実させる必要があったので、
私はそれなりに創意工夫した投稿文を盛んに投稿したのである。

結果として、【ココログ】は挨拶文を一通投稿し、2008年の5月に閉鎖をした。

2008年の春先から、少し悩んだのである・・。
定年退職後の3年半、このように4つのブログ系のサイトに加入して書き散らしてきたが、
4月の初めに、振り返った時、何かしら鍋物の《ごった煮》のような思い、
ひとつのブログ【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』に、
今まで書き散らかした投稿文3000通前後を整理、統合しはじめたりした・・。

本格的に4月19日から開始し、私が幼少時代から年金生活までの生きてきた心の軌跡であり、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからである。

私の【OCN Cafe】の『風のように光のように』は、
あたかも新聞の当日分のような存在であり、
余程のことがない限り、過ぎ去った投稿文はわざわざ読んでくれない、
と改めて認識したのである。

そして、集約した【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』に於いては、
カテゴリーのジャンル別に改めて編集した。
『定年後の思い』、『食べ物、お酒』、『読書、小説・随筆』、『小庭の情景を眺めながら』、
『映画・テレビ』、『音楽』、『旅』、『旅のあれこれ』、『幼年・少年時代の想いで』、
『青年時代の想いで』、『現役時代の想いで』、『時事(団塊の世代)』、『時事(社会)』、『時事(政治・経済)』、
などに区分したので、あたかも14冊の旧刊本が並んでいると思いながら、
どの本の中で、一編読んでも、もとより私なりの愛惜を秘めたりしている。


そして併設していた【OCN Cafe】の『風のように光のように』(のちに『風、そして光のように』と改題)は、
2010年7月で中止し、
これ以来【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』として、
昨今はいつまでも《年金青年》ではないと思い、
『夢逢人たわむれ記~かりそめ草紙~』とタイトルを改称している。

2週間の前の頃、私としては保存のような形でしていた【OCN Cafe】の閉鎖を知り、
2008年の5月前後に、この当時にコピーして【gooブログ】に移行していたが、
もとより時系列に移行できていないので、ためらいながら、
昨夜、【OCN Cafe】に保存していた期間の投稿文を【gooブログ】に、
インポート機能を使い移動させたりした。

しかし私の技量無知のせいか、一部は重複したり、一部は変換がおかし状況となり、
表示された字が乱れていた。
そして移動された投稿文は、改行などは無視されて、字詰まりの文章になっている。
やむなく私は重複した投稿文などを削除を始めたりしている・・。

このように2004年12月から2010年7月までは、不具合で整然としていないが、
この間の私の心の思いの軌跡が時系列で綴られているので、
すべて安易に削除はできないなぁ、と微苦笑したりしている。


尚、プログに関して、2008年の頃に総務省の公表された『ブログの実態に関する調査研究の結果』の中で、
ブログ開設動機による分類に於いて、
①『自己表現』、②『コミュニティ』、③『社会貢献』、④『収益目的』、⑤『アーカイブ型』
と分類されていた。

私は『自己表現』の心の思いの発露であり、ときおり『コミュニティ』である、
と思いながら、ブログ投稿を始めて7年少しを享受している。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする