昨日の23日の朝、私はいつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
思わず微苦笑させられた記事があった。
37面の社会面にあるひとつの記事で、
《 妻のへそくり 平均170万円
夫の1.5倍以上 》
という見出しされていたので、
どういうことなの、と好奇心を失くしたらこの人生は終わりだ、
と私の信念と好奇心で最後まで読んでしまった・・。
無断であるが、この記事を転記させて頂く。
《・・
オリックス銀行が22日発表した調査によると、
配偶者に内緒で預金などお金を貯める「へそくり」をしている
妻の平均額は170万円で、夫の平均額(112万円)を60万円近く上回った。
年代別にみると、20歳代を除く全ての年代で、夫よりも妻のへそくりが上回った。
最もへそくりが少なかったのが30歳代の夫(46万円)で、
30歳代の妻(123万円)とは2・5倍以上の差があった。
最も多かったのは、60歳以上の妻の246万円だった。
調査は、昨年12月に全国の20歳以上の既婚男女を対象に、
インターネットを通じて行い、約2000人から回答があった。
(読売新聞2012年2月22日朝刊)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行をした。
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は新聞を読んだ後、たまたま朝食の時間となり、
家内が台所で調理した料理を居間の食卓に運んだりした。
そして小雨降りしきる庭を見たりし、家内と朝食を頂いた。
私は先ほど読んだ新聞記事を話題に、家内に話しかけたりした。
『XXちゃんさぁ・・今朝の新聞に載っていた記事で・・へそくりをしている方がいて、
60歳以上の妻だと平均240万円みたい・・驚いたょ』
と私は家内に言ったりした。
『・・』
家内は少し苦笑していた。
『だけど・・どうして《へそくり》をするなんで・・夫婦なのに』
と私は家内に言ったりした。
『あらぁ・・私のお友達だって・・「自分のために」だって、へそくりしている方はいますわ』
と家内は私に言った。
『そぉ・・』
と私は家内に言ったりしたが、この地球の空の下で、80億人の中で、たまたまめぐり逢い、
そして寝食を共にされる夫婦なのに、「自分のために」か、
おかしいよ、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
私は家内と婚約した1975〈昭和50〉年12月の少し前の交際期間で、
デートとした最中に、
『お互いに・・隠しだて・・やめましょうねぇ』
と私は何かの話しの続きに言ったりした。
こうした思いがあったので、婚約する直前から、年収より少ない私の貯金の実態を話したりした。
翌年の3月に私たちは結婚して、賃貸マンションで生活を始めた・・。
私は中小業の民間会社に勤めていたサラリーマンの身であり、
家内は専業主婦となり、茶事だけ中学生以来から週1回は習っていたので継続した。
この当時は、私の給料は銀行振り込み制度であり、家内が銀行関係も管理してもらったので、
私は出勤の直前に、家内は私の財布に補充していた。
こうして2年過ぎ、私は生家の近くに一軒家を新築したが、
どうせ住宅ローンで借金するなら、この際は家屋の一部に茶室を設けよう、
と変更したりした。
この私の若気の至りで、予想した以上の費用が掛かり、庭の予算も少なくなり、
結果として雑木の多い庭の樹木となったりした。
何よりも困苦したのは、住宅ローンなどを返済し始めたが、
赤字続きとなり、家内はパート、契約社員などで、3年ばかり働き、
我が家の強力な援軍となったりした。
こうした時、我が家は結婚以来から家計簿を月次決算のようにしてきたので、
今月も赤字・・ボーナスで穴埋めで、何とか黒字かょ、
或いは、やはり年間でも赤字かょ、
と私はぼやいたりしていた。
そして赤字が2年続いた中の苦節3年後、私の年収で何とか生活ができるようになり、
家内は昭和妻と称される専業主婦に復帰した。
もとより、一家の主(あるじ)の私は収入の責務があり、家内は後方支援の重責があることであり、
この当時の風潮でもあったので、
私は家内のことを、これ以来《専守防衛長官》、と秘かに思い続けている。
この間の私の財布は、福沢諭吉のお札が2枚であり、
何か会社の懇親会がある時は、事前に家内は増やして入れてくれた。
そして私が40代を過ぎた頃は、私の財布は福沢諭吉のお札が3枚に昇格となった上、
10万円まで下せる銀行カードも財布に入れたりした。
家内は緊急に必要となった場合、大の大人としてみっともないわ、
と言われて、私は所有はじめたのである。
こうした時でも、私は血気盛んな男性のひとりであったので、
今晩、会社の懇親会がある、と出勤前に家内に言い、福沢諭吉のお札が5枚になったのを確認し、
ときには二次会の代わりに、独り私はこっそりと風俗店に行ったりしたこともあった。
もとより帰宅後、私は家内には、二次会それなりに楽しかったよ、と言ったりしていた。
これだけは我が生涯、家内に隠し事をした秘密であった。
私は民間会社の中小業のある会社を35年ばかり勤め、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職時を迎えた後、年金生活をして過ごしている。
程ほどのお金を幾つかの銀行と郵便局に分散した貯金の基で、
2ヵ月毎に年金を頂き、生活費の基盤としている。
そして、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行、或いは冠婚葬祭、そして思いがけない出費の時は、
貯金から取り崩して過ごしているのが実態である。
私は平素の買物に関しては、定年後に自主的に担当しているので、
福沢諭吉のお札が3枚、そして5千円札と千円札を幾枚か財布に入れて、
家内も福沢諭吉のお札が5枚ぐらい保有し、
現金が手薄になった時は、やむなく銀行から取り崩している。
そして我が家の緊急時の予備金として、福沢諭吉のお札を常時10枚を保有している。
こうした中で、定年直後に公正証書の作成できる処に出向き、
私より家内の方が圧倒的に長生きをする確率は高く、
残された家内の生活が困苦しないように、私の遺言書を作成したりした。
そして家内は60歳を迎えた一昨年に、家内も年金を頂き、
我が家は夫婦ともに、名実ともに年金夫婦となった。
家内は短大を卒業した後、私と婚約するまでの4年の期間、
そして我が家の一軒家を建てた後、3年ばかり勤めたりしたので、
ささやかながら厚生年金、厚生基金を頂く身分となった。
この分を家内名義の総合口座として、原則として下さない方針で来ているので、
少しつづ増えてきている、と私たち夫婦はお互いに微笑んだりしている・・。
こうした額が、あえて言えば家内のささやかな《へそくり》貯金になれば良い、
と私は思ったりしている。
このような状況なので、我家は寝食を共にした結婚して以来、
お互いに隠し立ての貯金の方針がなく、
毎月、家計簿を2人で締めたりしているので、
もとより《へそくり》は無縁となり、明朗会計となっている。
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37面の社会面にあるひとつの記事で、
《 妻のへそくり 平均170万円
夫の1.5倍以上 》
という見出しされていたので、
どういうことなの、と好奇心を失くしたらこの人生は終わりだ、
と私の信念と好奇心で最後まで読んでしまった・・。
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《・・
オリックス銀行が22日発表した調査によると、
配偶者に内緒で預金などお金を貯める「へそくり」をしている
妻の平均額は170万円で、夫の平均額(112万円)を60万円近く上回った。
年代別にみると、20歳代を除く全ての年代で、夫よりも妻のへそくりが上回った。
最もへそくりが少なかったのが30歳代の夫(46万円)で、
30歳代の妻(123万円)とは2・5倍以上の差があった。
最も多かったのは、60歳以上の妻の246万円だった。
調査は、昨年12月に全国の20歳以上の既婚男女を対象に、
インターネットを通じて行い、約2000人から回答があった。
(読売新聞2012年2月22日朝刊)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行をした。
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は新聞を読んだ後、たまたま朝食の時間となり、
家内が台所で調理した料理を居間の食卓に運んだりした。
そして小雨降りしきる庭を見たりし、家内と朝食を頂いた。
私は先ほど読んだ新聞記事を話題に、家内に話しかけたりした。
『XXちゃんさぁ・・今朝の新聞に載っていた記事で・・へそくりをしている方がいて、
60歳以上の妻だと平均240万円みたい・・驚いたょ』
と私は家内に言ったりした。
『・・』
家内は少し苦笑していた。
『だけど・・どうして《へそくり》をするなんで・・夫婦なのに』
と私は家内に言ったりした。
『あらぁ・・私のお友達だって・・「自分のために」だって、へそくりしている方はいますわ』
と家内は私に言った。
『そぉ・・』
と私は家内に言ったりしたが、この地球の空の下で、80億人の中で、たまたまめぐり逢い、
そして寝食を共にされる夫婦なのに、「自分のために」か、
おかしいよ、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
私は家内と婚約した1975〈昭和50〉年12月の少し前の交際期間で、
デートとした最中に、
『お互いに・・隠しだて・・やめましょうねぇ』
と私は何かの話しの続きに言ったりした。
こうした思いがあったので、婚約する直前から、年収より少ない私の貯金の実態を話したりした。
翌年の3月に私たちは結婚して、賃貸マンションで生活を始めた・・。
私は中小業の民間会社に勤めていたサラリーマンの身であり、
家内は専業主婦となり、茶事だけ中学生以来から週1回は習っていたので継続した。
この当時は、私の給料は銀行振り込み制度であり、家内が銀行関係も管理してもらったので、
私は出勤の直前に、家内は私の財布に補充していた。
こうして2年過ぎ、私は生家の近くに一軒家を新築したが、
どうせ住宅ローンで借金するなら、この際は家屋の一部に茶室を設けよう、
と変更したりした。
この私の若気の至りで、予想した以上の費用が掛かり、庭の予算も少なくなり、
結果として雑木の多い庭の樹木となったりした。
何よりも困苦したのは、住宅ローンなどを返済し始めたが、
赤字続きとなり、家内はパート、契約社員などで、3年ばかり働き、
我が家の強力な援軍となったりした。
こうした時、我が家は結婚以来から家計簿を月次決算のようにしてきたので、
今月も赤字・・ボーナスで穴埋めで、何とか黒字かょ、
或いは、やはり年間でも赤字かょ、
と私はぼやいたりしていた。
そして赤字が2年続いた中の苦節3年後、私の年収で何とか生活ができるようになり、
家内は昭和妻と称される専業主婦に復帰した。
もとより、一家の主(あるじ)の私は収入の責務があり、家内は後方支援の重責があることであり、
この当時の風潮でもあったので、
私は家内のことを、これ以来《専守防衛長官》、と秘かに思い続けている。
この間の私の財布は、福沢諭吉のお札が2枚であり、
何か会社の懇親会がある時は、事前に家内は増やして入れてくれた。
そして私が40代を過ぎた頃は、私の財布は福沢諭吉のお札が3枚に昇格となった上、
10万円まで下せる銀行カードも財布に入れたりした。
家内は緊急に必要となった場合、大の大人としてみっともないわ、
と言われて、私は所有はじめたのである。
こうした時でも、私は血気盛んな男性のひとりであったので、
今晩、会社の懇親会がある、と出勤前に家内に言い、福沢諭吉のお札が5枚になったのを確認し、
ときには二次会の代わりに、独り私はこっそりと風俗店に行ったりしたこともあった。
もとより帰宅後、私は家内には、二次会それなりに楽しかったよ、と言ったりしていた。
これだけは我が生涯、家内に隠し事をした秘密であった。
私は民間会社の中小業のある会社を35年ばかり勤め、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職時を迎えた後、年金生活をして過ごしている。
程ほどのお金を幾つかの銀行と郵便局に分散した貯金の基で、
2ヵ月毎に年金を頂き、生活費の基盤としている。
そして、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行、或いは冠婚葬祭、そして思いがけない出費の時は、
貯金から取り崩して過ごしているのが実態である。
私は平素の買物に関しては、定年後に自主的に担当しているので、
福沢諭吉のお札が3枚、そして5千円札と千円札を幾枚か財布に入れて、
家内も福沢諭吉のお札が5枚ぐらい保有し、
現金が手薄になった時は、やむなく銀行から取り崩している。
そして我が家の緊急時の予備金として、福沢諭吉のお札を常時10枚を保有している。
こうした中で、定年直後に公正証書の作成できる処に出向き、
私より家内の方が圧倒的に長生きをする確率は高く、
残された家内の生活が困苦しないように、私の遺言書を作成したりした。
そして家内は60歳を迎えた一昨年に、家内も年金を頂き、
我が家は夫婦ともに、名実ともに年金夫婦となった。
家内は短大を卒業した後、私と婚約するまでの4年の期間、
そして我が家の一軒家を建てた後、3年ばかり勤めたりしたので、
ささやかながら厚生年金、厚生基金を頂く身分となった。
この分を家内名義の総合口座として、原則として下さない方針で来ているので、
少しつづ増えてきている、と私たち夫婦はお互いに微笑んだりしている・・。
こうした額が、あえて言えば家内のささやかな《へそくり》貯金になれば良い、
と私は思ったりしている。
このような状況なので、我家は寝食を共にした結婚して以来、
お互いに隠し立ての貯金の方針がなく、
毎月、家計簿を2人で締めたりしているので、
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