夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

伊予地方産の柚子(ゆず)の樹、東京郊外でも季節の移ろいと共に過ごし、愛(いと)おしく・・・。

2012-10-08 18:16:24 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
『体育の日』を迎えて、働いて下さる現役の諸兄諸姉の多くは、三連休の最終日かしらと思い、
せめて休日の時ぐらいの時は、ご家族でゆっくりと過ごして下さい、とぼんやりと思ったりした。
そして行楽地に行かれたり、ハイキングを楽しまれたり、或いは公園で安息過ごしているかしら、
と私は微笑んだりした。

高齢者の私は『体育の日』は運動ぐらいと思っても、
平素はときにはウォーキングをするが、大半はひたすら自宅周辺を数キロ周辺を歩き散策する程度となっている。
せめて『体育の日』に対応して体力テストの代わり、庭の手入れをしょうと決意した。

朝の10時過ぎに爽やかな秋晴れの22度前後の中、樹木の剪定をしたり草むしりを孤軍奮闘していると、
やはり少し汗まみれ、やがて泥まみれとなったりした。
そして一時間毎に、庭のテラスに簡易椅子を置いてに腰かけ、10分ばかり休憩したりした。

ときおり微風が吹き、身をゆだねると、秋めいた風は心地よく、微笑んだりした。
そして、冷茶を飲み、煙草を喫ったりし、今しなくてはいつするのよ、
と心の中で気合いを入れて、昼食抜きで奮戦し、午後4時過ぎに体力の限界を感じて、
少しばかり清々(すがすが)しくなったで、庭の手入れは終了、と心の中で言ったりした。

この間、簡易椅子を置いてに腰かけ休憩している時、
庭の片隅に飢えているたった1本の柚子の樹を眺めたりし、微苦笑をしたりした。
この柚子の樹は、小ぶりの実が成る伊予地方(現在・愛媛県にあたる)産の樹である。


35年前、私の生家の近くに家を建てた後、
徒歩45分ばかり歩いた先に都立神代植物園に家内と共に行き、
帰路、深大寺の近い花木が多い苗木屋さんに立ち寄り、買い求めた品であった。

私の幼年期は農家の児として生を受け、宅地の外れに大きな柚子の樹があり、
晩秋になると、祖父が長い竹竿(たけざお)で捥(も)いだりし、
黄色い色艶した大きな実が数多く収穫できた・・。
そして、 お正月の御雑煮などに、幼児の私でも一切れ入れてもらったり、
祖父や父の晩酌の友としたり、春先までの大人楽しみの食べ物のひとつだった。

このような幼年期のささやかな体験があったので、
苗木屋さんで、柚子の樹に買い求めようかなぁ、と思っていたのである・・。
そして私は柚子の苗木を見たりしていた時、
『旦那さん、この柚子の樹・・お買い得よ・・』
と店の奥さんから声を掛けられた。

私は見ると、鉢に入った根元2センチぐらい、樹高は80センチぐらいで、
一人前に接木したあった。

『おねえさんさぁ・・その柚子の樹、少し小さ過ぎない?』
と私は言った。

『あらぁ、旦那さん・・伊予(いよ)地方の柚子なの、
この辺に成る大きめの実と違うけれど・・小振りな実で評判良いわょ・・』
と店の奥さんは微笑みながら、私に言った。

『小振りは、解ったけれど、実は成るかなぁ・・』
と私は言った。

『心配なしょ・・数年したら、食べきれなく程、成ります』
と店の奥さんは私に力強く言った。

『そうですか。実が成ったら、家から出荷するか』
とB型のお調子者の私は、明るく言ったりした。


こうして私は買い求めて、主庭の一箇所に植え、水をたっぷり上げた。
その後、肥料を施(ほどこ)し、数年過ぎた。

しかし花が咲かず、実も成らなかった。

『XXちゃん、地植えが駄目なのかなぁ』
と私は家内に言ったりした。

『貴方、柚子は実が成るまで時間が掛かると言うじゃ、ありませんの・・
柚の馬鹿・・何とか・・』
と家内は笑いながら、私に言った。

『苗木屋さんの奥さん・・調子良すぎだったなぁ・・』
と私は苗木屋さんの奥さんの顔としぐさを思い馳せながら、家内に言ったりした。

『・・』
家内は笑ってばかりだった。

『だまされたかなぁ・・』
と私は呟(つぶや)くように、未練たらしく言った。

この後、私は伊予地方と東京の郊外では、土壌が違うのか、
或いは主(あるじ)の私に反抗して、のろまな態度なのか、私は心配したりした。

こうして7年が過ぎた後、5月になると、突然に純白の花が咲いた。
そして秋になると、ゴルフホールぐらいの実が三つばかり収穫ができて、
これが小ぶりの実のなる伊予産地の柚子かょ、と私は微苦笑を重ねたりした。

翌年の5月になると、若芽が伸びたので、刈り込んだ。
栄養分を主木から枝に行き渡らす為に、程ほどに刈り込んだのである。
しかし私の期待に反して、この秋、収穫ゼロとなった。

それから数年、刈り込まず、肥料も与えず、草むしりだけは丁重にするだけで、
自力で成長しなさい、とあえて放置した。

そして秋になると、実に10数個ばかり収穫があった。


私が定年退職する10年前の頃からは、百個は超える実が成った。
この秋の時は、たわわな緑色の実を眺め、
『XXちゃんさぁ、やっと念願どおりになったょ・・』
と私は家内に高揚しながら言ったりした。

そして晩秋になると、緑色の実は淡い黄色に染められ、
やがて黄色になる頃は12月を迎えたりした。

このように我が家の伊予柚子は、苦節10数年の歳月を要したりである。


その後、5月初旬の頃になれば、
伊予柚子の枝からは、たわわに白い花を咲かせ、
私は微笑みながら、この樹木の下とその周辺を草むしりをしたりする時、

♪白い花が 咲いていた
 ふるさとの 遠い夢の日
【『白い花の咲く頃』 作詞・寺尾智沙、作曲・田村しげる、唄・岡本敦郎 】

と思わずかぼそい声で鼻歌を唄ったりしている。

秋になると、週に一回、柚子を7つぐらい捥(も)ぎ、冷蔵庫の野菜コーナーに保管する。
そして夕食の前に、私はこの日に気に入った弐合徳利に辛口の純米酒を入れ、
人肌ほどに温めながら、ぐい呑みも選定した上、
家内に柚子のひとつを渡して、輪切りにして貰ったりする。

私は酒を一口呑み、柚子を口に含み、そして香りと共に味わう・・。

この後、家内と夕食を頂きながら、
私のかみ締めている柚子の一切れは、それなりの風味がある。

このように伊予柚子を晩酌の友としていたが、一昨年の秋から私は自発的に休肝日が多くなり、
こうした時は夕食の一品となったりしている。

このような私は、私の住む武蔵野地方から遥か遠方の四国の伊予地方の柚子は、
初めの10年ぐらいは敬遠されたが、やがて何とか我が家の土壌に馴染んでくれて、
愛(いと)おしさを増している・・。

こうした私なりのささやかな思いがあるので、庭の手入れの合間、微苦笑したのである。

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