第5章 されど、知床観光航路
20日(金)は知床の硫黄山航路コースの観光船に乗船後、知床峠を通り、ウラス、標津、摩周湖、硫黄山、
そして阿寒湖までのJALライナーのバス観光周遊の移動の旅である。
前日の朝、港から沖まで晴れ渡って折、
家内達に明日のお天気は悪いから、今日の日中に観光船に乗った方が良い、と私は言い、
私は『知床自然センター』に出かけた。
『乙女の涙』までの散策の途中で、道連れになった人達と話している時、
観光船が風と波で欠航になった、と教えて貰った。
この人達は、九州の方達で、団体観光のグループで、道東観光めぐりをしている一部の人であった。
『こんなに・・良いお天気なのに・・欠航とは・・
何のために・・この道東めぐりに参加したか・・意味がないわ・・』
と50代のご婦人が私に言ったりしていた。
『そうですよね・・観光船の方達に・・こんな良いお天気・・
何時・・周航するのよ・・言ってみたいですね・・』
と私は軽口を言った。
この観光船は、これだけ魅了させる景観を秘めている。
私たち夫婦は、昨年の5月、知床岬まで早朝クルーズがある団体観光周遊に参加したことがある。
ウトロのホテルのロビーに真夜中の2時半に集合して、
知床岬で日の出を観るために乗船したことがあった。
観光船から知床連峰が望め、4時過ぎの月をほめ、知床岬まで周航したことがあった。
詳細は昨年の5月に綴っているので、省略するが深く心に残っている。
20日の朝は、どりよりとした曇り空であった。
昨日のお天気を配慮すると、欠航かしら、と思いながら、朝の7時過ぎにフロントに問い合わせた。
『おかあさん・・こんな天気でも・・観光船に乗れるって・・』
と私は家内の母に言った。
そして家内は
『良かったわ・・おかあさん・・雨女・・返上よ』
と言った。
家内達は動物好きなのであるが、
ここ数年に動物園などに行ったりすると、雨まじりのお天気が多かったのである。
私からしてみれば、家内の母は初めて北海道の思い出に観光船は欠かせないひとつであるので、
何とかと思いが叶えたらという気持ちであった。
硫黄山航路コースの乗船後、どんよりとした曇り空で、ときおり小雨が降ったりした。
オホーツクの波の打ち寄せる海岸の景観は飽きることのない光景であった。
家内の母の微笑んだ顔立ちを見ると、この旅行は良い思い出になると私は感じ、
安堵したりした。
第6章 道東の魅了のひとつは
硫黄山コース周遊船を下船後、バスは知床峠に向かったが、
霧につつまれて、前回訪れた時と同様に、
峠で下車しても薄ら寒く霧の中で、知床の連山も幻となった。
峠を越えてラウスに向かうと、霧が消え去り、ラウスの街並みが一望できた。
私は前回も感じたことであるが、
オホーツク海のウトロと根室海峡に面した太平洋のラウスとは陽と陰のように思っている。
標津のサモンハウスで昼食後、摩周湖を観たが、おだやかな晩秋の光景であった。
家内達に記念写真を撮った後、冬の情景が深く心に残っているので、
道のはずれで煙草を喫ったりしていた。
摩周湖から硫黄山に向かうゆるい下り道の直線があるが、
左右の広葉樹が朱色と黄色の錦繍の世界となっていた。
道路以外、すべての彼方まで染まって折、
この中をバスが走行したが、夢幻のひとときを感じた。
硫黄山は20年ぶりに来たが、休憩所、お土産屋、広い駐車場に少し驚き、
この間の歳月を感じたが、硫黄の吹き出る小高い山の丘陵は変わらない情景であった。
阿寒湖は華やかな温泉街であるが、それなりに3連泊の間に散策し、
私の阿寒湖の魅力を探そうと思っている。
《つづく》
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村
散文 ブログランキングへ
20日(金)は知床の硫黄山航路コースの観光船に乗船後、知床峠を通り、ウラス、標津、摩周湖、硫黄山、
そして阿寒湖までのJALライナーのバス観光周遊の移動の旅である。
前日の朝、港から沖まで晴れ渡って折、
家内達に明日のお天気は悪いから、今日の日中に観光船に乗った方が良い、と私は言い、
私は『知床自然センター』に出かけた。
『乙女の涙』までの散策の途中で、道連れになった人達と話している時、
観光船が風と波で欠航になった、と教えて貰った。
この人達は、九州の方達で、団体観光のグループで、道東観光めぐりをしている一部の人であった。
『こんなに・・良いお天気なのに・・欠航とは・・
何のために・・この道東めぐりに参加したか・・意味がないわ・・』
と50代のご婦人が私に言ったりしていた。
『そうですよね・・観光船の方達に・・こんな良いお天気・・
何時・・周航するのよ・・言ってみたいですね・・』
と私は軽口を言った。
この観光船は、これだけ魅了させる景観を秘めている。
私たち夫婦は、昨年の5月、知床岬まで早朝クルーズがある団体観光周遊に参加したことがある。
ウトロのホテルのロビーに真夜中の2時半に集合して、
知床岬で日の出を観るために乗船したことがあった。
観光船から知床連峰が望め、4時過ぎの月をほめ、知床岬まで周航したことがあった。
詳細は昨年の5月に綴っているので、省略するが深く心に残っている。
20日の朝は、どりよりとした曇り空であった。
昨日のお天気を配慮すると、欠航かしら、と思いながら、朝の7時過ぎにフロントに問い合わせた。
『おかあさん・・こんな天気でも・・観光船に乗れるって・・』
と私は家内の母に言った。
そして家内は
『良かったわ・・おかあさん・・雨女・・返上よ』
と言った。
家内達は動物好きなのであるが、
ここ数年に動物園などに行ったりすると、雨まじりのお天気が多かったのである。
私からしてみれば、家内の母は初めて北海道の思い出に観光船は欠かせないひとつであるので、
何とかと思いが叶えたらという気持ちであった。
硫黄山航路コースの乗船後、どんよりとした曇り空で、ときおり小雨が降ったりした。
オホーツクの波の打ち寄せる海岸の景観は飽きることのない光景であった。
家内の母の微笑んだ顔立ちを見ると、この旅行は良い思い出になると私は感じ、
安堵したりした。
第6章 道東の魅了のひとつは
硫黄山コース周遊船を下船後、バスは知床峠に向かったが、
霧につつまれて、前回訪れた時と同様に、
峠で下車しても薄ら寒く霧の中で、知床の連山も幻となった。
峠を越えてラウスに向かうと、霧が消え去り、ラウスの街並みが一望できた。
私は前回も感じたことであるが、
オホーツク海のウトロと根室海峡に面した太平洋のラウスとは陽と陰のように思っている。
標津のサモンハウスで昼食後、摩周湖を観たが、おだやかな晩秋の光景であった。
家内達に記念写真を撮った後、冬の情景が深く心に残っているので、
道のはずれで煙草を喫ったりしていた。
摩周湖から硫黄山に向かうゆるい下り道の直線があるが、
左右の広葉樹が朱色と黄色の錦繍の世界となっていた。
道路以外、すべての彼方まで染まって折、
この中をバスが走行したが、夢幻のひとときを感じた。
硫黄山は20年ぶりに来たが、休憩所、お土産屋、広い駐車場に少し驚き、
この間の歳月を感じたが、硫黄の吹き出る小高い山の丘陵は変わらない情景であった。
阿寒湖は華やかな温泉街であるが、それなりに3連泊の間に散策し、
私の阿寒湖の魅力を探そうと思っている。
《つづく》
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村
散文 ブログランキングへ