夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『にほんブログ村』に加入している私は、『エッセイ』から『60代』に完全移行の思い・・。

2012-10-15 22:53:43 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
この【gooブログ】の私のサイト『夢愛人たわむれ記 ~かりそめ草紙~』に於いて、
『ブログの開設から2,826日』と明示されて、こんなに過ぎたのかしら、
と微苦笑したのである。

そして、昨日までの『トータルアクセス数の閲覧数(PV)は2、986、050、
訪問者数(IP)は629,507と表示され、多いか少ないか判らない、と思ったりしている。

しかし閲覧数(PV)は、ここ3年前後グーグル、マイクロソフトなどの大手のロボット検索で、
大幅に加算されているので、実質数は不明であると苦笑したりしている。


私は2004(平成16)年の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職して、
まもなくブログの世界を知った・・。

最初に【アメーバブログ】に加入して、
『極楽とんぼ ~団塊世代のひとりとして~』と題し、発信名を『極楽とんぼ』と称した。
Webの世界に未熟な私は、戸惑いながら投稿をはじめ、
まもなく賞金ランキングのような形式が公示され、私は投稿をやめた。

そしてブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入し、
『風のように光のように』とタイトルを掲げて、発信名を『風と光』とし、
原則として毎日数通ぐらい投稿したのは、2004(平成16)年11月17日である。

まもなくブログ形式に準じた【すくすくブログ】を知り、
『続・極楽とんぼ』と題し、発信名も『極楽とんぼ』と称し、
気楽に綴れる専用サイトとしたのは、翌年の2005(平成17)年1月11日であった。
一週間ぐらい投稿したが、【gooブログ】を知り、取り止めた。

この後、この【gooブログ】に加入して、
『新・極楽とんぼ日記』と題し、発信名も『極楽とんぼ』と称し、
少し気楽に団塊世代、社会、政治・経済の諸問題を綴ろうと思い、
投稿をはじめたのは、 2005(平成17)年1月19日であり、
この日から2,826日が過ぎた、ということである。

まもなく『極楽とんぼ』と称した芸能人がいることを知り、その上に社会的な不祥事を起し、
関係ない私までコメントが寄せられ、迷惑限りないと思い、心の純潔を汚されたように感じて、
やむなく発信名を『夢逢人〈ゆめあいびと〉』に改称した。


このように【gooブログ】と【簡単gooホームページ】
二刀流のようなことを一年半ばかりし、
【gooブログ】は特に政治・経済に関しては、素人のつたなさ、そして無責任の広言を反省し、
投稿を中止したのである。


その後、2007(平成19)年、肝要の本命である【簡単gooホームページ】が9月末で閉鎖と知り、
8月より半ばより、これまで投稿文が移動できるブログ形式に準じた【OCN Cafe】を知り、
やむなく加入し、『風のように光のように』として、殆ど毎日数通は投稿した。
そして後日には、改題し『風、そして光のように』とした。


この間、2008(平成20)年の春先から、少し悩んだりした・・。
定年退職後の3年半、このように4つのブログ系のサイトに加入して書き散らしてきたが、
4月の初めに、振り返った時、何かしら鍋物の《ごった煮》のような思い、
ひとつのブログ【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』に、
今まで書き散らかした投稿文3000通前後を整理、統合しはじめたりした・・。

そして本格的に2008(平成20)年4月中旬から開始し、
私が幼少時代から年金生活までの生きてきた心の軌跡であり、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからである。

私のブログ形式に準じた【OCN Cafe】の『風のように光のように』は、
あたかも新聞の当日分のような存在であり、
余程のことがない限り、過ぎ去った投稿文はわざわざ読んでくれない、
と改めて認識したのである。

そして、集約した【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』に於いては、
カテゴリーのジャンル別に改めて編集した。
そして区分した結果として、あたかも14冊の旧刊本が並んでいると思いながら、
どの本の中で、一編読んでも、もとより私なりの愛惜を秘めたりしている。

そして併設していた【OCN Cafe】の『風のように光のように』(のちに『風、そして光のように』と改題)は、
2010(平成22)年7月で中止し、
これ以来【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』として、
本年の初めの頃に、いつまでも《年金青年》ではないと思い、
『夢逢人たわむれ記~かりそめ草紙~』とタイトルを改称している。


私の半生は屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・、
と思いながら、国内旅行で不在とかパソコンが故障しない限り、毎日投稿してきている。

そして数多くの方の投稿文を拝読しながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
私は励まされたり、微笑んだりして、年金生活を過ごしたりしてきた。

私は以前のある旧サイトで、コメントで交流を深めた人も含めた人もいるが、
何かしら『お友達リスト』が掲示機能があった。
そしてサイト上に明示できるので、こうした関連からまもなく100人は超えてしまい、
こうした影響もあり、ランキングの首位に4週間ばかりなったことがある。

しかし、私は気楽にコメントを書くことはできず、
書き込んで下さった方のプロフィールはもとより、
最近のその方の心情まで配慮して返信するタイプであるので、
時間を要して、日常生活の肝要の読書、散策の時間まで影響したので、
原則としてコメントの返信は取りやめて、お互いに投稿文を読んで頂ければ、と変貌したのであった。


私はブログを投稿する際、最後までお読み頂けるように工夫したり、
その上に数多くの方にお読み頂けるように、試行錯誤をしたりしているが、
日本だけでもブログをされている方は、数千万人と風の噂で聞いたりしていた。

そして私の加入している【gooブログ】のサイトでも、この当時は150万人の加入数いたので、
私は誰からも読まれなく無視されることは、悲しきことで愕然とするので、ひとつの対策をした。

こうした意味合いからのひとつの目途として、
やはりブログのランキングに加入して、程ほどに上位にランキングされれば、
少しでも多くの方に読んで頂けると、ささやかなブログの体験上で学んできた。

そしてあるブログのランキングに加入したりしてきたが、
その後、一昨年の2010〈平成22〉年の秋に、
ブログのランキングの『にほんブログ村』に再加入した。

私は2008〈平成20〉年の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了されていたので放置していたが、
『にほんブログ村』には、投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、
ふたたび本加入させて頂いた。

そして、少しばかり加入ジャンル部門を彷徨〈さまよ〉った上、
小説系の『エッセイ』を90%前後の割合に、シニア系の『60代』10%前後の割合で加入し、
『エッセイ』を重点にランキングを少しばかり気にしたりしてきた。


こうして『にほんブログ村』は、早や3年近くになっているが、
この間に長く私が魅了されて、深く愛読しているサイトがある。

もとより『にほんブログ村』の加入数は64万人以上、
この中の小説系は12,000人、シニア日記系は1,200人は超えているので、
たまたま私が読んで魅了されて、少なくとも半年以上に及び愛読してきたサイトであり、
恥ずかしながら公表すれば、この私のサイトの【ブックマーク】に明示した。

いずれも小説系の『エッセイ』、そしてシニア日記系の『60歳代』で、
魅了されたサイトをご本人のご承諾も得ずに、勝手に掲載させて頂いている。

そして素直に発露すれば、『にほんブログ村』の『お気に入りメンバー』の機能があり、
私は少なくとも男性30名、女性25名を登録して、この方の投稿された愛読者のひとりとなっている。

そして私の『お気に入りメンバー』の方が投稿された文を精読して、
このように日常生活を過ごされている、或いは人生の思いを深く学んでいる。

私は、たかがランキング、されどランキングと思いながら、
この広い空の下で、たまたまランキングなどで未知のお方に、
投稿文の上で、めぐり逢えたこと、秘かに感謝したりしている。

そしてこうした中で、コメントを頂いたり、
或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感きわまってコメントをしたりしている。


こうした心情で過ごしてきた私は、少しばかり心が揺れている。
私の投稿文の内容の殆どは、年金生活を過ごしている中で、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴っている・・。

しかしまぎれなく私は68歳の身であり、真情としては50代~70代の世代の投稿文を深く読むことが多く、
今回、小説系の『エッセイ』の加入を取りやめて、シニア系の『60代』にすべて集約することにした。
このことは小説系の『エッセイ』の投稿文を読む時間を減らしたく、
私と近いシニア系の『シニア日記』、『60歳代日記』の投稿文を読む時間を増やしたく、
年金生活の私でも、時間に限りあるので、決意した。

私の投稿する内容は、単細胞のつたない身なので、従来通りの形式で綴りますが、
シニア系のシニア系の『シニア日記』、『60歳代日記』の未知の諸兄諸姉、
よろしくお願い致したく、一筆啓上の挨拶とさせて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
散文 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金木犀、ほのかな匂いを残して、音もなく、ときおり散りはじめて・・。

2012-10-15 10:05:55 | 定年後の思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨日、私は日中の大半、庭の樹の剪定、草むしりをしていたが、
和室の近く、そして小庭の片隅にある金木犀〈キンモクセイ〉の二本の樹が、
たわわな橙黄色の小花が咲き、満開のような状態で、近寄るとほのかな匂いとなっていた。

平年ならば10月の初めの頃になると、枝先の莟〈つぼみ〉がなり、
やがて一週間が過ぎた頃は、たわわな橙黄色の小花が咲き、あたり周辺に香ばしい匂いを漂(ただよ)わせ、
10数メートル離れていたも、芳香を感じて、この時節の到来を教えられてきた・・。

今年は我が家の金木犀の莟〈つぼみ〉は少ない上、どうしたのかしら、
と少し心配して10月を迎え、私は買物や散策の時に近所の旧家の植木畑に多い金木犀を眺めたりし、
やはり少なかったのである。
今年の夏は熱い日々が続き、9月の下旬の初めの彼岸の頃まで、残暑の厳しい日が多く、
天候のせいかしら、と私は少しばかり落胆したりした。


昨日の朝の9時半過ぎが庭の手入れをして、歩道に隣接した小庭の片隅にある金木犀の樹に近寄って、
初めて橙黄色の小花がたわわに咲き、満開のような状態に気付き、独り微苦笑したりした。
そして昼前後から霧雨となったが、少しばかり泥まみれとなった私は、
今しなくて何日(いつ)するのよ、と自身を叱咤激励して、昼食抜きで3時半過ぎまで、
孤軍奮闘したりした。

今朝、青空が広がる爽やかな秋晴れを迎え、まばゆい陽射しの中、
小庭に下り立ち、かすかな音がするので、風もないのに何かしらと思っていたのであるが、
しばらく解からなかった・・。

そして私は金木犀のほのかな芳香に誘われ、近寄ると、
ときおり小花が音もなく散り、黒土に落下する時に、かすかな音をたてていたのに気付いた。
そして樹元の周囲は黒土の上で、こぼれた橙黄色の小花が彩(いろど)っていた・・。

私は幼年期に農家の児として育てられたので、
このような樹の周辺に橙黄色の小花が黒土の上に落ち、彩〈いろど〉る情景に、
幼年の身ながら確かな美として、感じたりしてきた。

こうした思いを秘めている私は、小花が音もなく散り、黒土に落下する情景に、
しばらく見惚(みと)れ、夢幻のようなひとときを過ごした。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
散文 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする