私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
毎月10日は、定年後の8年近くささやかな楽しみのひとつがある。
月刊総合雑誌のひとつの『文藝春秋』が発売される日であり、
今月11月号はどのような特集記事を掲載されるか、
と前月の9月10日に発売された10月号を読了後、思いめぐらしたりしてきた。
前月の10月号のに於いては、次号の11月号の予告として、
《 【大特集】大人の読書 》のタイトルと概要だけが掲載されていたが、
もとよりこの間に緊急時事問題などは発生し、月刊誌の使命として急遽変更せざるを得ないので、
『文藝春秋』の編集部の諸兄諸姉は、どのような特集記事を採りあげる、
つたない私なりに興味をいだいているのである。
今朝いつものように購読している読売新聞の朝刊を見ていたら、
出版の広告として、本日10日発売の月刊総合雑誌の11月号の『文藝春秋』、『中央公論』が掲載されていた。
そして『文藝春秋』の大特集として、
総力特集として《 日中文明の衝突 》と題され、
やはり月刊誌の使命として取り上げざるを得ない、と微苦笑をさせられた。
大特集として《 名著再発見 六十歳になったら読み返したい41冊 》
と明記され、各界の著名人が推薦される作品を紹介される記事のようで、
私に心身波長に合った記事かしら、と微笑んだりした。
大型企画として《 英「エコノミスト」誌が分析した 2050年の日本 》
と命題を掲げられていた。
私も英「エコノミスト」誌が分析した2050年の日本の概要は、
ネットで掲載されていた記事を読んだりしたが、私は興味を覚えことなく、そうですか、
この程度であった。
私は少なくとも18年先の2030年問題が最大関心となっている。
試算すれば、この時は私は86歳となる年であり、家内も81歳となり、
この世に存命できているか、あの世に行っているか、もとより不明であるが、
果たして日本が2030年の社会はどのような変貌するのか、
日頃から思索する課題のひとつでもある。
しかしながら、私たち夫婦は子供も恵まれなかった為か、
その20年先の2050年は、私たち夫婦は既にあの世に行っているので、
想像の範囲を超えているので、私たち夫婦にとっては、せんなきことと思ったりしている。
このようなことをぼんやりと思ったりした。
私は『文藝春秋』に関しては、1970〈昭和45〉年の春から、毎月買い求めているが、
『中央公論』は特集に関心した時は、購読しているのが、ここ40数年の習性である。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このように定年後からの生活を過ごしてきたが、
私が読書に目覚めたのは、恥ずかしながら高校生になってからである。
活字から綴られた底しれぬ内容はもとより、そして行間から感じられる深淵に、圧倒的に魅せられた。
そして年金生活の今でも本屋で、雑誌コーナーで月刊誌、季刊誌、臨時特別号を眺めた後、
単行本、新書本、文庫本のコーナーを見たりする。
或いは、、ときには古本屋に行き、読みたい本を探し求めて購読し、
早や50数年過ぎている・・。
昨今は、私もネットから多々読むこともあり、活字中毒の私は一辺倒もままならなくなり、
苦笑する時もある。
私の高校時代は、人並みに文学の小説、随筆の文庫本、単行本を買い求めたりしていたが、
授業の時事に魅了されし、週刊誌の『朝日ジャーナル』を買い求め、
海の彼方のケネディなどの政治家に心酔したりした。
大学に入学する前後から、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し、
小学4年生の頃から独りでたびたび映画館に通ったりしてきた体験も加わり、
これが原因で大学を中退し、シナリオライターをめざして養成所に入所し、
アルバイトなどをしながら、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。
その後、講師の知人のアドバイスを頂き、小説の習作に移り、
契約社員の警備員などをし生活費の確保と空き時間を活用して、文学青年のような真似事をして、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
総合月刊雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。
この間、純文学の新人賞に応募したが、最終候補の6編の直前で3回ばかり落選し、
あえなく敗退し、挫折した。
やむなく民間会社に中途入社をする為に、
技術を習得しょうとコンピュータの専門学校に一年ばかり学んだ後、
この当時は映像・音響メーカーの大企業だった会社に、何とか中途入社をしたのは、
25歳の時であり、遅ればせながら、社会人のひとりとなった。
この時から社会人としての常識が欠けていたので、
総合月刊雑誌の『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』を毎月読んで、
まもなく転籍させられた会社がレコード会社であり、音楽に何の素養のない私であったので、
音楽専門月刊誌の『レコード芸術』を必死に読んだりしていた。
この頃は私は血気盛んな独身青年であったので、娯楽週刊誌の『平凡パンチ』まで読んでいたので、
一時期は『世界』から『平凡パンチ』まで雑誌を読んでいるのは、
日本広しといえども私ぐらい、と自惚(うぬぼ)れしてもいた時期であった。
50代の初めの頃に、教養娯楽雑誌の『サライ』を知り、
その後、パソコン初心者向けの『暮らしとパソコン』、ビジネス週刊誌の『日経ビジネス』、
音楽専門の週刊誌の『オリコン』なども買い求めたりしていた。
そして2004(平成16)年の秋の定年退職の4年前頃は、
大人の生き方誌と称された『ほんとうの時代』を精読し、私の退職後の生活を明確に思考していた。
定年退職後まもなくして、めぐり逢えたのは季刊誌の『文藝春秋SPECIAL』であり、
私の心身の波長に合うのである。
ここ数年の状況は、定期に購読しているのは月刊誌の『文藝春秋』であり、
25歳からの総合雑誌として持続しているので、毎月逢える私の心の友としている。
そして季節をめぐる毎には『文藝春秋SPECIAL』を秘かな恋人のように愛読している。
こうした中で、本屋の書棚で『中央公論』、『新潮45』、『サライ』など特集に魅せられた場合は、
買い求めたりしている。
書籍に於いては、定年後からは塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、
三浦朱門、阿川弘之、高峰秀子、中西輝政の各氏の作品を中核に、
単行本、新書本、文庫本を購読している。
このように文愛人のひとりの私は、
定年後に日常の買物専任者となった私は急いで2店のスーパーを廻った後、
11月号の『文藝春秋』を買い求めて、先ほどから、ほっとしながら読みはじめている。
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毎月10日は、定年後の8年近くささやかな楽しみのひとつがある。
月刊総合雑誌のひとつの『文藝春秋』が発売される日であり、
今月11月号はどのような特集記事を掲載されるか、
と前月の9月10日に発売された10月号を読了後、思いめぐらしたりしてきた。
前月の10月号のに於いては、次号の11月号の予告として、
《 【大特集】大人の読書 》のタイトルと概要だけが掲載されていたが、
もとよりこの間に緊急時事問題などは発生し、月刊誌の使命として急遽変更せざるを得ないので、
『文藝春秋』の編集部の諸兄諸姉は、どのような特集記事を採りあげる、
つたない私なりに興味をいだいているのである。
今朝いつものように購読している読売新聞の朝刊を見ていたら、
出版の広告として、本日10日発売の月刊総合雑誌の11月号の『文藝春秋』、『中央公論』が掲載されていた。
そして『文藝春秋』の大特集として、
総力特集として《 日中文明の衝突 》と題され、
やはり月刊誌の使命として取り上げざるを得ない、と微苦笑をさせられた。
大特集として《 名著再発見 六十歳になったら読み返したい41冊 》
と明記され、各界の著名人が推薦される作品を紹介される記事のようで、
私に心身波長に合った記事かしら、と微笑んだりした。
大型企画として《 英「エコノミスト」誌が分析した 2050年の日本 》
と命題を掲げられていた。
私も英「エコノミスト」誌が分析した2050年の日本の概要は、
ネットで掲載されていた記事を読んだりしたが、私は興味を覚えことなく、そうですか、
この程度であった。
私は少なくとも18年先の2030年問題が最大関心となっている。
試算すれば、この時は私は86歳となる年であり、家内も81歳となり、
この世に存命できているか、あの世に行っているか、もとより不明であるが、
果たして日本が2030年の社会はどのような変貌するのか、
日頃から思索する課題のひとつでもある。
しかしながら、私たち夫婦は子供も恵まれなかった為か、
その20年先の2050年は、私たち夫婦は既にあの世に行っているので、
想像の範囲を超えているので、私たち夫婦にとっては、せんなきことと思ったりしている。
このようなことをぼんやりと思ったりした。
私は『文藝春秋』に関しては、1970〈昭和45〉年の春から、毎月買い求めているが、
『中央公論』は特集に関心した時は、購読しているのが、ここ40数年の習性である。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このように定年後からの生活を過ごしてきたが、
私が読書に目覚めたのは、恥ずかしながら高校生になってからである。
活字から綴られた底しれぬ内容はもとより、そして行間から感じられる深淵に、圧倒的に魅せられた。
そして年金生活の今でも本屋で、雑誌コーナーで月刊誌、季刊誌、臨時特別号を眺めた後、
単行本、新書本、文庫本のコーナーを見たりする。
或いは、、ときには古本屋に行き、読みたい本を探し求めて購読し、
早や50数年過ぎている・・。
昨今は、私もネットから多々読むこともあり、活字中毒の私は一辺倒もままならなくなり、
苦笑する時もある。
私の高校時代は、人並みに文学の小説、随筆の文庫本、単行本を買い求めたりしていたが、
授業の時事に魅了されし、週刊誌の『朝日ジャーナル』を買い求め、
海の彼方のケネディなどの政治家に心酔したりした。
大学に入学する前後から、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し、
小学4年生の頃から独りでたびたび映画館に通ったりしてきた体験も加わり、
これが原因で大学を中退し、シナリオライターをめざして養成所に入所し、
アルバイトなどをしながら、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。
その後、講師の知人のアドバイスを頂き、小説の習作に移り、
契約社員の警備員などをし生活費の確保と空き時間を活用して、文学青年のような真似事をして、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
総合月刊雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。
この間、純文学の新人賞に応募したが、最終候補の6編の直前で3回ばかり落選し、
あえなく敗退し、挫折した。
やむなく民間会社に中途入社をする為に、
技術を習得しょうとコンピュータの専門学校に一年ばかり学んだ後、
この当時は映像・音響メーカーの大企業だった会社に、何とか中途入社をしたのは、
25歳の時であり、遅ればせながら、社会人のひとりとなった。
この時から社会人としての常識が欠けていたので、
総合月刊雑誌の『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』を毎月読んで、
まもなく転籍させられた会社がレコード会社であり、音楽に何の素養のない私であったので、
音楽専門月刊誌の『レコード芸術』を必死に読んだりしていた。
この頃は私は血気盛んな独身青年であったので、娯楽週刊誌の『平凡パンチ』まで読んでいたので、
一時期は『世界』から『平凡パンチ』まで雑誌を読んでいるのは、
日本広しといえども私ぐらい、と自惚(うぬぼ)れしてもいた時期であった。
50代の初めの頃に、教養娯楽雑誌の『サライ』を知り、
その後、パソコン初心者向けの『暮らしとパソコン』、ビジネス週刊誌の『日経ビジネス』、
音楽専門の週刊誌の『オリコン』なども買い求めたりしていた。
そして2004(平成16)年の秋の定年退職の4年前頃は、
大人の生き方誌と称された『ほんとうの時代』を精読し、私の退職後の生活を明確に思考していた。
定年退職後まもなくして、めぐり逢えたのは季刊誌の『文藝春秋SPECIAL』であり、
私の心身の波長に合うのである。
ここ数年の状況は、定期に購読しているのは月刊誌の『文藝春秋』であり、
25歳からの総合雑誌として持続しているので、毎月逢える私の心の友としている。
そして季節をめぐる毎には『文藝春秋SPECIAL』を秘かな恋人のように愛読している。
こうした中で、本屋の書棚で『中央公論』、『新潮45』、『サライ』など特集に魅せられた場合は、
買い求めたりしている。
書籍に於いては、定年後からは塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、
三浦朱門、阿川弘之、高峰秀子、中西輝政の各氏の作品を中核に、
単行本、新書本、文庫本を購読している。
このように文愛人のひとりの私は、
定年後に日常の買物専任者となった私は急いで2店のスーパーを廻った後、
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